夢から覚めても

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夢から覚めても

 カーテン越しに届く柔らかな陽射しが……。
かすかに耳に届く、小鳥達のさえずりが……。
新しい一日の訪れを告げていた。
暖かな陽射しと、部屋に満ちる朝の香りを感じ、私はゆっくりと目を開いた。
そして、私の瞳に映る、私を包み込むようにして静かに眠っているのは、
「――浩之ちゃん……」
初めて浩之ちゃんと一緒に迎えた朝。
私は、私の一番大切な人の名を、誰にともなくそっと呟いた。
「――……ん」
浩之ちゃんはまだぐっすりと眠ったまま。
ふふふ。まるで子供みたいだね。
安らかな寝顔の浩之ちゃんを見て私はそんな風に思った。
――浩之ちゃんにこんなこと言ったら何て言われるかな?
『そんなオレに抱かれて眠るのが安心するなんて、お前の方がよっぽど子供じゃねーか』
浩之ちゃんだったらきっとこう言うよね。
ぶっきらぼうな表情を浮かべて言う浩之ちゃんの姿が浮かんだ。
そう言われたらきっと、私は何も言えなくなっちゃうな。
――ホントはいっぱい言いたいことあるんだけどね。
ちらりと時計を見てみる。時計の針は、七時を一〇分ほど回った所だった。
いつもの毎日ならもう起きる時間。朝ご飯を食べて学校へ行く準備をしなければいけない時間。
でも、今日は違うんだよね。
今日はお休みだから……、ずっと一緒に居られるんだよね、浩之ちゃん?
「――浩之ちゃん」
もう一度、今度はさっきよりも少しはっきりと、呼び掛けるようにして浩之ちゃんの名を口にする。
でも、やっぱり浩之ちゃんはぐっすりと眠ったまま。
やっぱり疲れちゃってるのかな……?
私は昨夜のことを思い出し……。
や、やだ。私ったら何考えてるんだろ?
頬が熱くなるのをはっきりと感じ、慌てて別のことを考える。
――朝ご飯、どうしようかな?
ふと、そんなことを思う。いくらお休みだからと言っても、朝ご飯食べないわけにはいかないしね。やっぱりそろそろ起きた方がいいのかなぁ?
カーテン越しに射し込む白い陽光が、薄暗かった室内を少しだけ明るく彩る。
――でも……。
でも、もう少しこのままでいたいな……。
静かに寝息をたてる浩之ちゃんの腕に抱かれながら私は思う。
浩之ちゃんの腕の中はすごく安心できるから。
浩之ちゃんの優しさを全身で感じられるから。
私は浩之ちゃんの温もりと胸いっぱいの幸せに抱かれながら、再び浩之ちゃんの腕の中でゆっくりと目を閉じた。
――夢の中でも浩之ちゃんに逢えるといいな……。
***
「あかり……」
私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
「――ん……」
私は少し間を置いてから、目を開いた。
「あ……? ひろゆきちゃん?」
まぶたをこすりながら言う。
私をじっと見詰める浩之ちゃん。
や、やだ。何か恥ずかしいな……。 やっぱり、いつもより浩之ちゃんのこと意識しちゃうな。
私はつい浩之ちゃんから目を逸らせてしまう。
浩之ちゃんはそんな私の気持ちに気付いていないのか、呆れたように言葉を続けた。
「な~~にが『あ、ひろゆきちゃん』だよ? 今、何時だと思ってんだよ? いい加減、起きようぜ」
「え、私そんなに寝てたの?」
少しびっくりしながら、訊き返す。
慌てて時計を見ると……。
「ええっ! もうこんな時間?」
一気に眠気が吹き飛ぶ。
時計の針は既にお昼を回っていた。
「ご、ごめん。お腹空いてるよね? 朝ご飯の用意しようと思ったんだけど、また寝ちゃったみたい。今、急いで作るから!」
言って、浩之ちゃんのベッドから跳ね起きる。
「ああ。さすがに腹ペコだぜ。悪ぃけど急いでくれねーか?」
少し済まなそうに言う浩之ちゃん。
ごめんね。ホントはすぐ起きるつもりだったんだけど。
「あ、あとな……」
浩之ちゃんの顔に浮かぶ笑顔。
いつもの優しい笑顔じゃない。
私をからかおうとする時のちょっと意地悪な笑顔。
「な、何?」
恐る恐る尋ねる。
「ちゃんと服着てから作れよ……。飯」
ぽそりと呟く。
――?
一瞬、浩之ちゃんの言った事がよく分からなかった。
「え……? ――きゃあっ!」
その時になって初めて、私は何も身に着けていない事に気付いた。
「ど、どうして?」
――恥ずかしい!
顔が真っ赤になっているのが自分でもはっきりと分かる。
浩之ちゃんは、慌てて毛布にくるまる私を面白そうに見ながら、
「どうして、って。お前、昨夜はその格好で寝たんじゃねーか。忘れたのか?」
――そう言えば……。
慌てていて、すっかり忘れてたみたい。
「い、今すぐに着替えるから……。ちょっと向こう向いててね?」
「しょーがねーな」
意地悪な笑顔のまま、浩之ちゃんは入り口のドアの方を向いた。
――もう、やっぱり意地悪なんだから……。
私は急いで衣服を身に纏う。
「もういいか?」
「う、うん」
私の言葉に振り返ってこっちを見る浩之ちゃん。
まだ熱さの残る私の頬。
恥ずかしさから浩之ちゃんの顔がまともに見れない。
「そ、それじゃあ、すぐに用意するから。もうちょっと待ってね」
私は短くそう言うと、急いで浩之ちゃんの横をすり抜け廊下に出た。
階段を急いで駆け下りてキッチンへ向かう。
――さてと、急いで準備しないとね。浩之ちゃん、だいぶお腹空かせていたみたいだし。
うーん、やっぱり時間もないし、簡単なもので済ませちゃお。
とりあえず、お湯を沸かし、トーストをトースターにセット。
焼き上がる間にハムエッグと、ありあわせの材料でサラダを作って、と。
トーストが焼き上がるのを待って、サラダにドレッシングをかける。
あと、コーヒーは……。
浩之ちゃんを呼んできてから入れようかな? 冷めると美味しくないし。
テーブルにふたり分の食事を並べて、準備完了。これでいいかな?
――ホントに簡単に済ませちゃった……。
ごめんね、浩之ちゃん。今度はもっと美味しいの一生懸命作るから。
テーブルに並べた食事を一通り眺めると、私はさっそく浩之ちゃんを呼びに二階へ上って行った。
「お待たせぇ、ご飯できたよ」
浩之ちゃんの部屋に行くと、浩之ちゃんはぼんやりと外を眺めていた。
――どうしたのかな?
浩之ちゃんは私の声を聞いてこちらを振り向く。
「お、早かったな? もうできたのか?」
いつもの口調で私に訊く。
――良かった私の気のせいみたい。
「う、うん。ゴメンね。浩之ちゃん、お腹空かせてると思って急いで作ったから、すごく簡単なのになっちゃったけど……」
「いーって、いーって。お前の作った飯は、オレが自分で作るよりずっと美味いからな。さすが自称『藤田浩之研究家』だな?」
「えへへ……」
浩之ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいな。
私がお料理をお母さんに一生懸命習ってるのだって、浩之ちゃんに喜んでもらいたいから……。
――あ、浩之ちゃんの喜ぶ顔を見るのが好きだから、私のためでもあるのかな?
でも、浩之ちゃんには言えないよね、こんなこと。
「ありがとう。でも、見てがっかりしないでよ?」
「分かってるって」
もう、ホントにちゃんと聞いてるのかしら?
「じゃ早く行こ?」
「ああ」
私の言葉に頷く浩之ちゃん。
私は浩之ちゃんの後について階段を下りて行った。
「あ、浩之ちゃんは先に座ってて。今、コーヒー入れるね」
「ああ」
言って浩之ちゃんが椅子に腰を下ろした。
「はい、どうぞ」
私はふたり分のコーヒーをテーブルに置く。
浩之ちゃんのコーヒーはブラックで。
私のはクリープとお砂糖を入れて。
「お、さんきゅ。――お前、相変わらずそんな甘ったるい飲み方してんのか? 男はやっぱりブラックで飲まなきゃな」
「――私、男の子じゃないもん。いいじゃない、私、ブラックなんて苦くて飲めないよ」
「そーか? オレはこっちの方が美味いと思うけど……」
釈然としない顔をして浩之ちゃんが言った。
「それより、早くご飯食べよ? お腹減ってたんでしょ?」
「お、そうだった。当初の目的をすっかり忘れる所だったぜ」
笑いながら浩之ちゃんはトーストに手を伸ばす。
「それじゃ、いただくとしますか」
「うん」
おいしそうにお料理を口に運ぶ浩之ちゃん。
そんな様子を見ていると自然と微笑みがこぼれる。
「な、なんだよ、あかり? オレの顔に何か付いてんのか?」
「ううん、別に何も付いてないよ。ただ見てるだけだから……」
「何いってるんだか……。オレの顔なんかもう見飽きてるだろ?」
「ふふふ……。まだ全然見飽きてなんかいないんだから」
浩之ちゃんは私の言葉に苦笑しながら、
「――ったく……。相変わらず恥ずかしいヤツだなぁ」
そう言って、ふっと視線を逸らす。
「えへへ……」
たわいない会話と微笑みで彩られる、私たちふたりだけの穏やかな時間。
南の空に高く昇った太陽から、さんさんと降り注ぐ初夏の陽射しが、窓の外を白く輝かせていた。
***
遅めの食事を済ませ、後片付けをする私。
浩之ちゃんはリビングでソファに腰を下ろして、ぼんやりとテレビを眺めている。
なんだか退屈そう。
私は浩之ちゃんと一緒にいられるだけで十分なんだけど……。
――浩之ちゃん。
私たち小さな頃からずっと一緒にいたよね。
小学校の時も、中学校の時も、そして今も……。
浩之ちゃんには迷惑がられたこともあったけど、私は浩之ちゃんの近くにいつでもいたかったの。
近くにいられる、ただそれだけで私はすごく幸せだった。
――浩之ちゃんはどうなのかな?
私は今、本当に幸せ。
一緒にご飯を食べたり、色んなお話ししたり、どこかへ遊びに行ったり……。
浩之ちゃんと同じ場所で、同じ時間を過ごせる……。
私にはこれが一番の幸せなんだと思う。
だって、こんなにも心が落ち着く。
こんなにも心が満たされる。
――ずっとこうしてていいんだよね、浩之ちゃん……。
「……あかり?」
「え?」
突然、名前を呼ばれ、はっとする私。
「どうした? 何かぼーっとしてたぜ?」
浩之ちゃんが少し心配そうにしてこちらを見ていた。
いけない、浩之ちゃんに心配掛けちゃった。
「あ、ううん。何でもないの」
言う私を見て、
「そうか? ――後片付け終わったんなら、こっちに来いよ。一人でテレビ見てても退屈なだけだからな」
浩之ちゃんは自分のすぐ隣りのクッションを、ぽんぽんと叩いた。
「え、いいの?」
「何、遠慮してんだよ? それともオレの側にいるのは嫌か?」
意地悪な質問をする浩之ちゃん。
――もう、そんなわけないじゃない……。
「ううん、そんなこと……」
私は食器を棚にきちんと並べ、もう一度手を洗ってから浩之ちゃんの所へ行った。
うーん、気持ちのいい日だな。
「浩之ちゃん、窓、開けてもいい?」
「ん? ああ」
浩之ちゃんの返事を聞いてから、私は窓を開けた。
室内に流れ込んで来るさわやかな初夏の風が、私の頬を撫で、髪を揺らす。
部屋に満ちる暖かな空気。
私は深呼吸を一つしてから浩之ちゃんの隣りに腰を下ろした。
「今日は少し暑いね」
体が少し火照ったような気がしてそう言った。
そう感じるのは陽気のせい?
それとも浩之ちゃんがこんなに近くいるからかな?
「そうだな。もう五月だし、これからどんどん暑くなってくな」
「うん」
「でも、今度の修学旅行が北海道ってのは嬉しいよな。避暑に行くみたいで。できれば、もっと暑くなってからの方が楽しそうだけどな」
――そっか。ゴールデンウィークが終わったら、もう修学旅行なんだよね。
「楽しみだね、修学旅行。北海道なんて私、行くの初めて」
「オレだって初めてだぜ。でも、こんな街とは別の世界って感じがするよな。
広いし、自然が多そうだし、空気も美味そうだ」
「うん」
私は浩之ちゃんの言葉に頷いた。
――でも、浩之ちゃん、修学旅行の自由行動。誰と一緒に行くんだろ?
やっぱり雅史ちゃんたちと、男の子の友達同士で行くのかな?
できれば私と一緒に行ってほしいけど。
「あ、浩之ちゃん……」
やっぱり、思い切って訊いてみよう。
「ん、何だ?」
「あ、あのね……」
もう誰かと約束してたらどうしよう……。
心に広がる不安。
「修学旅行って、自由行動の時間あるよね?」
「ああ、確か、まる一日自由行動できる日があるんじゃなかったっけ?」
「浩之ちゃん、誰と行くかとか、もう決めたの? やっぱり雅史ちゃんとかと一緒に行動するの?」
浩之ちゃんは、私が何を言いたいのか分かったようで、こっちを見て笑った。
「何だ、そんなこと心配してたのか?」
いつも私に見せてくれる、すごく優しい笑顔。
「う、うん」
少しどきっとして、どもってしまう。
見慣れたはずの浩之ちゃんの笑顔――でも、今の私には眩しすぎる笑顔――。
それだけで、私の心臓が早鐘を打つ。
浩之ちゃんはそんな私に気付かない。
「オレはもう決めてるぜ」
――やっぱり。
「だ、誰と……?」
恐る恐る浩之ちゃんの言葉を待つ。
「決まってんじゃねーか。――あかり、お前とだよ」
――え?
今、何て言ったの? 浩之ちゃん?
「あ、もう志保とかと約束しちまったのか?」
「え、あ?」
「だからぁ、お前の方はどうなんだよ? もう誰と行くか決めてんのか? まだ決めてないからオレに訊いたんだろ?」
浩之ちゃんは私に次々と矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
「う、うん。私はまだ決めてないけど……。でも、いいの? あとで雅史ちゃんとかから誘われるんじゃないの?」
私がそう言い終わる前に、
――突然。
浩之ちゃんが私の肩に手を回し、私を抱き寄せた。
「あ……。ひ、浩之ちゃん?」
私は浩之ちゃんの顔を見上げ、消え入りそうな声で、そう言った。
「やっぱり今日、変だぜ? あかり。オレがそんなことすると思うか? せっかくの修学旅行じゃねーか。高校生活で最大のイベントだろ? ふたりでいろんな思い出作ろうぜ?」
私の肩を抱く浩之ちゃんの右手に、私は自分の右手を重ねながら、
「……浩之ちゃん」
そう言って私は、浩之ちゃんの大きな手を、きゅっ、と握りしめた。
「今まで――さんざんお前を待たせちまったからな。オレには、その時間を取り戻すことはできないけど、その分までお前の側にいてやることはできる」
浩之ちゃんは私と顔を合わせないように、目を逸らしながら言葉を続ける。
きっと私と同じ顔してるんだね。
私は熱く火照った自分の頬と、私の肩を抱く腕から伝わる浩之ちゃんの温もりを感じながらそう思った。
「――あかり」
「うん」
「悪かったな。お前の気持ちに応えるのに、ずいぶん遠回りしちまって……。今度はオレがお前の気持ちに応える番だよな? ――ずっと一緒にいようぜ、修学旅行の時だけじゃなくてこれからもずっと、な?」
――ひ、浩之ちゃん……。
胸が一杯で、そう言いたいのに言葉にならない。
――こぼれ落ちる涙。
目の前が滲んで良く見えなくなる。
私はそっとまぶたを閉じ、浩之ちゃんの胸に顔を埋めた。
浩之ちゃんは、そんな私を優しく抱き締めてくれる。
そして、私は浩之ちゃんの言葉に、
「……うん」
とだけ、小さく、でもはっきりとそう答えた。
――リビングに流れ込む涼やかな風が、火照った頬にとても心地好かった。
***
「あかり……」
あれからどの位時間が経ったのかな?
ふいに、浩之ちゃんが私の名を呼んだ。
「――ホント言うとな、オレ、まだ実感わかないんだ」
「何?」
「オレたちがこうしていること」
「――うん」
浩之ちゃん、私と同じこと思ってたのかな?
「ほんの少し前までは、ただの幼なじみだと思っていたお前と、恋人同士になるなんてな……。何か、夢でも見てるみたいだぜ」
「うん。――でも、夢じゃなくて良かったね」
「あかり?」
浩之ちゃんが顔をこちらに向けて訊き返す。
「だって、夢だったらいつかは覚めるでしょ? そんなの、私は嫌だもん」
私は浩之ちゃんの目を見詰め返しながら言う。
「私、今とっても幸せだから……。こうして浩之ちゃんに想ってもらえるんだもん。ずっと浩之ちゃんのこと想い続けてきて良かった……。ホントに……、夢じゃなくて良かった……」
かすかに揺れる声。
気持ちの昂ぶりが抑えられない。
――やだ、また浩之ちゃんに心配掛けちゃう。
私は少し無理をして、浩之ちゃんに笑顔を返す。
「あかり……」
浩之ちゃんの心配そうな声。やっぱり無理してるって分かっちゃうのかな?
「えへへ、ごめんね。変なこと言っちゃって。私ったらやっぱり今日、少し変かな?」
「……いや、オレの方こそ変なこと言っちまって悪かったな」
浩之ちゃんが左手で頭を掻きながら言う。
「夢だろうが何だろうが、あかりはあかりだもんな。どんな時もオレが一緒にいてやるから、そんな辛そうな顔すんなよな?」
言って、にっこりと私に微笑みかける。
やっぱり、優しいね……。浩之ちゃん。
「――うん。ありがとう、浩之ちゃん……」
私は浩之ちゃんに体を預ける。
――浩之ちゃんが私をいつも支えていてくれる――そう思うと、さっきまでの不安が嘘のように、とても落ち着いた気持ちになれた。
「なぁ、あかり……」
私の髪を優しく撫でながら浩之ちゃんが呼び掛ける。
「――何?」
少し間を置いてから浩之ちゃんが口を開いた。
「これから、どうする?」
「これから、って?」
おうむ返しに訊く私。
「オレたちのこと、まだ誰にも話してないだろ?」
「うん」
「ちゃんと話しておいた方がいいと思うか?」
そっか。私たちのこと、誰も知らないんだもんね。
「浩之ちゃんはどうしたらいいと思う?」
こういうときは浩之ちゃんの言う通りにした方がいいよね。
――浩之ちゃんの決めたことなら、きっとそれが正しいと思うから。
昔からの経験で、こういう決め事は浩之ちゃんに任せた方がいいことを、私は良く分かっていた。
「――そうだな……」
浩之ちゃんは、視線をしばらく宙に泳がせ、
「やっぱ、このままでいいか?」
そう言った。
「オレたちが付き合ったからって、周りの連中がどうなるわけでもないしな。雅史と志保のヤツなら大丈夫だろ? いつも通りのオレたちでいられるさ。――もっとも、一番恐いのは、志保にばれて学校中にあらぬ噂を流されることだがな」
苦笑しながら言う浩之ちゃん。
「いくら志保でもそんなことしないと思うよ?」
言った私の言葉に、
「いーや、あいつはオレが苦しむ所を見るのを楽しみにしてやがるからな。何されるか分かったもんじゃないぜ。それに、お前の方が志保の性格は良く知ってるだろ?」
「そうかなぁ?」
いくら志保でもそんなことするとは……。
――志保ならするかも……。
ふと、脳裏をよぎったちょっと恐い考えを私は慌てて否定する。
「そ、そんなことしないと思うよ?」
「どうだか。お前だって少しは不安になったんじゃねーのか?」
私の表情を見て、私が何を考えたのか分かったのか、浩之ちゃんはにやりと笑みを浮かべた。
良かった、いつもの浩之ちゃんに戻ったみたい。
「ま、バレたらバレたでしょうーがねーけどな。そん時は、あかり、お前に志保の口止めをしてもらうからな? 頑張れよ」
浩之ちゃん……、他人事みたいに言って。
「う、うん。じゃあ、志保や雅史ちゃんには、内緒にしておくんだね?」
私は浩之ちゃんに確認する。
「隠すわけじゃねーよ。ただ別に説明するのが面倒だから話さないだけ。それとも、あかり。お前は話したほうがいいと思うのか?」
浩之ちゃんが意地悪な質問をする。
「そ、そんなんじゃないけど。――私だってみんなに知られるの、少し恥ずかしいし……」
消え入りそうな声で、浩之ちゃんの質問に答える。
「――と、言うわけだ。これからも、オレたちはオレたちのまま。志保や雅史は気付くかもしれないけど、だからってオレたち四人の関係が壊れるほど、あいつらも心は狭くないだろ?」
――そうだよね、私たちは私たちなんだから……。きっとこれからも、ずっと一緒にいられるよね? 志保や雅史ちゃんなら、『おめでとう』、『良かったね』、そう言ってくれるよね?
「うん、そうだね」
私はにっこりと浩之ちゃんに微笑みを返した。
「しかし、こんなこと悩むなんてオレたちらしくなかったかな?」
「ふふふ……。そうかもね」
室内を明るく染め上げる暖かな陽射し。そして、ゆるやかに吹き抜けるそよ風と、その風に乗って届く木々の緑の香りに包まれながら、私たちはお互いの顔を見詰め合い苦笑がちな笑顔を交わした。
***
久し振りに一緒に過ごした、浩之ちゃんとの一日。
初めはちょっとだけお互いを意識しちゃったけど、やっぱり浩之ちゃんは浩之ちゃんだね。すぐにいつも通りの調子で私に色んな話をしてくれた。
そんな浩之ちゃんに乗せられて、私もいつの間にか普段の私でいられたみたい。
そしてゆっくりと、でも確実に時は流れていく。気が付けば、もう太陽は西に傾き始めていた。
――もっと浩之ちゃんと一緒にいたいのにな……。
私は思い切って浩之ちゃんに訊いてみた。
『良かったら、晩ご飯も作っていこうか?』
窓から差し込む夕陽の光に赤く染め上げられたリビング。
「――ホントにいいのか? あかり……」
少し遠慮がちに浩之ちゃんが訊き返した。
「うん。だって、今日のお昼、時間なくて大したもの作れなかったでしょ? だからお願い。――ダメかな?」
浩之ちゃんは少し考え込んだみたいだけど、
「分かった、じゃ頼むぜ」
と言ってくれた。
――良かったぁ。
私はほっと胸を撫で下ろす。これでまだ、浩之ちゃんと一緒にいられる。
それじゃ、夕食の材料を確認してみないとね。
――何か残ってたかな?
キッチンに行って辺りを見回す。
調味料とかは、私が以前に買い足していたから、切らしているものはないみたい。
後は材料だけど……。
冷蔵庫の扉を開いて中を確認してみる。
うーん、やっぱり何にもないなぁ。昨夜の晩ご飯と今日のお昼で残ってた材料みんな使っちゃったんだ。
これは、買い出しに行かないとダメかな?
浩之ちゃんにお願いしてみようかな……。
「どうした、あかり?」
後ろから突然声を掛けられ、びっくりする私。
「え? ――あ、浩之ちゃん……」
「何か足りないのでもあったのか? ――と言うよりも、何にも入ってなかっただろ?」
さすがに自分の家の冷蔵庫の中身は浩之ちゃんもよく分かっていたみたい。
「う、うん」
そう言って私は俯いてしまう。
「しょーがねーな。あかり、出かけるぞ」
「え?」
その言葉に顔を上げる私。
「材料が無いんじゃ、いくらお前でも飯は作れないだろ? こんなことで晩飯食い逃すのもバカらしいし、さっさと買いに行こうぜ。」
「え? 浩之ちゃん、一緒に行ってくれるの?」
思わず訊いてしまう。
「ばーか。いくらオレでも女の子一人に買い出しになんて行かせるかよ。荷物運びはオレがやるから、材料選びと予算管理はお前がやってくれ。安くて美味いやつを頼むぜ」
そう言って浩之ちゃんはさっさと玄関の方へ歩いて行ってしまった。
「あ、待ってよぉ、浩之ちゃん」
私も慌てて浩之ちゃんの後を追う。
「ホラ、早く来いよ」
玄関から聞こえる急かすような浩之ちゃんの声。
「う、うん」
私も急いで玄関で靴を履き、浩之ちゃんに続いて外へ出た。
浩之ちゃんは玄関の鍵を確認すると、
「よし、じゃあ行くか」
と言った。
私も浩之ちゃんの言葉に頷いて、浩之ちゃんの隣を歩く。
西の空に低く大きく滲む夕日。
そして、赤く焦げるような空と、それに溶け込む茜色の雲。
明日も天気、いいかな?
静かに夜の訪れを待つ空を眺めながら、そんなことを考え道を歩いて行く。
いつも歩いた見慣れたはずの街並。
――でも、いつもと少し違う気がする。
私は隣を歩く浩之ちゃんの横顔をちらりと見る。
夕日に紅く照らされた横顔に、私は少しどきっとする。
「……あかり」
突然、私の手に暖かい感触。私の手を握る浩之ちゃんの大きな手。
「あ? ひ、浩之ちゃん?」
驚いて、浩之ちゃんの顔を見上げる私。
そんな私を見て浩之ちゃんは、
「急がなくてもいいさ。オレたちはオレたちらしく、ゆっくりと歩いて行こうぜ? これからはずっと一緒にいられるんだからな……」
そう言って少しだけ照れ臭そうに優しく笑ってくれた。
「うん……」
目を細め、静かに微笑む浩之ちゃんを見詰めながら、私も精一杯の笑顔を浮かべて浩之ちゃんに答え、その大きな手を、きゅっと握り返した。
紅く染まった私の頬を照らす、オレンジ色の夕陽。
――浩之ちゃん。
いつも一番近くにいてくれた私の大好きな人。
笑ったり、怒ったり、泣いたり、時には私をイジメたりしたけど、誰よりも優しく、誰よりも私を愛してくれた浩之ちゃん。
ずっと、ずっと、大好きだよ。
「これからも、ずっと側にいてね……」
そっと囁いた私の言葉は、吹き抜ける風に流れ、消えた。
――浩之ちゃん。
いつも一番近くにいてくれる私の大好きな人。
これからもずっと一緒にいようね……。
夢の中でも。
――夢から覚めても……。
誰もいない通り道。
夕日に照らされ、ゆっくりと歩く私たちふたりの影が長く尾を引き、そっと寄り添っていつまでも揺れていた。

――了――

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