秋風は頬に優しくて……

秋風は頬に優しくて……

 ――季節は秋。
厳しかった残暑も今では嘘のように感じられる。そんな穏やかな日々をオレたちは変わらず過ごしていた。
麗らかな午後の陽気もとうに過ぎ去り、少しだけ開けられていた窓から流れ込む風は早くも夕暮れの匂いを運んできている。
教室の隅の壁にぽつんと掛けられた今年のカレンダーも残すところあと数枚。
そっか、もうこんな季節だもんな……。
放課後。
風に揺れるそのカレンダーを見て、なんとなくそんなことを思いながらも、帰り支度もしっかりと済ます。オレは席を立ち、同じように教科書やノートなどを鞄にしまっているあかりの席へと向かって歩を進めた。
「あかり、帰ろうぜ?」
「あ、うん。ちょっと待ってね……」
オレはいつものごとくあかりに声を掛けた。
あかりは鞄の中に教科書やらノートやらを詰め込みながら、
「でも、浩之ちゃんの方から誘ってくるなんて珍しいね?」
顔を上げオレを見ながら言った。オレの方から声を掛けるなどという珍しい出来事に、あかりは嬉しそうだ。
「そうか?」
「うん。だって浩之ちゃん、いつも授業終わってもなかなか動こうとしないんだもん」
「寝起きは頭がボーッとして動きたくねーんだよ」
「――もう、居眠りしちゃダメだよ」
眉をひそめ困った顔で呟くあかり。
「眠くなるんだからしょーがねーだろ?」
「しょうがないなぁ……」
あかりは苦笑を浮かべながらため息一つ。
「ま、それはどーでもいいけどな……。それよりも、さっさと帰ろうぜ?」
「うん、そうだね」
そう言ってあかりは鞄を手に取って席を立った。
「あ、ふたりとも今帰り?」
廊下に出るとばったり雅史に会った。これから部活なのだろう。スポーツバックを担ぎながら話し掛けてきた雅史を見ながらオレはそう思う。
「おう、雅史」
「雅史ちゃんは部活?」
「うん。秋季大会も近いし、三年生が抜けちゃった今は僕たちが頑張らないといけないしね」
「そっか、大変だな。ま、頑張れよ!」
相変わらずマイペースな口調で話す雅史に手を上げそう言う。
「うん。それじゃ、また明日」
雅史もオレに答え、軽く右手を上げながら言った。
「ばいばい、雅史ちゃん。部活頑張ってね」
「ありがとう、あかりちゃん」
部活へ向かう雅史の背を見送ってからオレたちは教室を後にした。
階段を下り、昇降口で靴を履き替え玄関から校庭に出る。
部活のためにグランドへ向かう生徒の背中を目で追いながらあかりが言った。
「雅史ちゃん、部活、頑張ってるね」
「ああ、三年生が抜けちまったからな、今までよりも気合いが入ってるよな」
「うん」
あかりは視線を戻し、オレを見る。
「浩之ちゃんも部活すれば良かったのにね」
「いきなり何だよ?」
オレをまっすぐに見つめるあかりの瞳。
「だって雅史ちゃんからも結構誘われてたんでしょ? サッカー部」
「まぁな。けどやっぱりオレには部活で汗を流すなんて向いてねーよ」
校門近くに植えられた桜の樹の横を通る。
以前は優しげな色で彩られた花を咲かせ、青々とした葉を揺らしていた枝も、今ではすっかり寂しくなってしまった。
「それにな……」
「え、何?」
「あかりといっしょに居られる時間が少なくなるじゃねーか」
「……浩之ちゃん」
あかりがきゅっとオレの上着の袖を掴む。
「ありがとう」
オレは何も言わずにあかりのその手を握りしめる。
――季節は秋。
涼やかに拭き抜けていた風に、わずかに冷たさが混じり始める季節。
木の葉は散り、あるいはその色を紅く染め上げる。
早くも傾き始めた太陽に照らされ、オレたち二人の足元に長い影が落ちる。
穏やかに、しかし確実に過ぎてゆく時間。
同じ季節をあかりと共に過ごせる――。
そのことがオレは何よりも嬉しかった。

§

「ずいぶん寒くなったね」
オレの手を握りしめながらあかりが静かに呟いた。
いつもの帰り道。なだらかな下り坂を歩きながらオレたちは家路を辿る。
「そうだな……もうすぐ冬だからな」
あかりの暖かな温もりを手に感じながら、オレはあかりを見てそう答えた。
「うん」
木々の枝を優しく揺らしながら吹き抜ける風が、地面に落ちた枯れ葉を宙に舞わせる。
さながら北風と枯れ葉の円舞曲。
「大丈夫か?」
やや紅潮したあかりの頬を見ながら訊く。
「うん、大丈夫」
言いながら、あかりはつないだ手に少しだけ力を入れた。
「浩之ちゃんがいてくれれば寒くたって平気だよ」
オレの顔を見上げながら目を細め微笑むあかり。
「ばーか。――ったく、恥ずかしいヤツだな」
「えへへ……」
まっすぐなその視線から目を逸らし、照れ隠しにあかりの髪の毛をくしゃりとした。
「あっ!」
あかりは驚き声を上げるが、すぐにいつもの『しょうがないなぁ』といった表情でオレを見る。
「ふふふ、浩之ちゃん照れてる?」
ぱっと顔をほころばせ、くすくすと笑いながらあかりが訊いた。
「ばーか」
もう一度そう言ってから、少しだけ苦笑の混じった微笑みを浮かべ、
「オレが照れてるとこみて面白がってるだろ?」
「え? そんなことないよぉ」
あかりも苦笑を浮かべながらそう答える。
――やっぱりな。
図星をつかれた時のちょっと困ったような、恥ずかしそうな、それでいて嬉しさを隠そうともしない笑顔。
「ンなこと言ってもすぐ顔に出るからなぁ、あかりは」
意地悪っぽくそう言ってあかりを見る。
「えへへ……。でも、浩之ちゃんもいっしょだよね?」
「ん?」
「浩之ちゃんもすぐ顔に出るから」
「オレの考えてることが分かるのはお前くらいのもんだよ。雅史だってお前ほどオレの考えは読めねーしな。――もっともオレもあいつの考えてることよく分かんねーけどな」
さっき会ったばかりのにこやかな笑顔の雅史の顔を思い出す。
「だって、『藤田浩之研究家』だもん」
にっこりと笑いながら自信たっぷりにあかりが言った。
「そう言えばそうだったな」
「うんっ!」
オレの言葉を聞いてあかりは本当に嬉しそうに笑った。
オレの心まで暖かくしてくれるような幸せな笑顔。
物心つく前からいっしょに過ごしてきたあかりが、こうして今でもオレの隣りにいてくれることを心底嬉しいと思った。
そして、このあかりの笑顔をいつまでも見続けていたい。そう思った。
「あかり……」
「なぁに、浩之ちゃん?」
オレはあかりのオレを呼ぶ言葉には答えずに、いきなりあかりの肩に手を回しオレの方に抱き寄せた。
「ひ、浩之ちゃん……?」
いきなりなオレの行為にびっくりするあかり。
「あ、悪ぃ。痛かったか?」
「え? ううん、ちょっとびっくりしただけだから……」
あかりの顔にうっすらと浮かぶ朱の色。寒さではない、別の気持ちから浮かんだ色。
「顔赤いぜ、どうした?」
恥ずかしそうに目を伏せるあかりを見つめながら、少しだけ意地悪な質問。
あかりが困るのが分かっているのについつい訊いてしまう。まだまだオレもガキだな……。
「も、もう……。私が恥ずかしいの分かってて訊いてるでしょ? いつも意地悪なこと言うんだから……」
みるみる紅く染まっていくあかりの頬。
ちょっとすねたような顔で抗議する。
「そうでもないぜ?」
「え?」
不思議そうにあかりが声を上げる。今度はオレが何を言おうとしているか思いあぐねているようだ。
「イヤじゃないだろ? こうされるの」
あかりの大きな瞳を覗き込むように見つめながらオレは言う。
我ながら遠回しな言い方だな……。
あかりみたいに、もっと素直に自分の気持ちを言葉にできれば。
「…………」
言葉に詰まるあかり。瞳は逸らさずに、オレの目をじっと見る。
「……うん」
少し間をおいて、顔を真っ赤にしたあかりが小さく頷いた。
西の空低く浮かぶオレンジ色の大きな夕陽。茜色に染まった雲。遥か遠くの空まで広がる夕暮れの色。
柔らかな夕陽の光を浴びながら、重なり合うオレたちの影。
はにかみながらも幸せそうに微笑むあかりを見つめながら、オレは肩を抱く手に力を込めた。
「浩之ちゃん、またね」
「なぁ、あかり」
帰ろうとするあかりに声を掛け呼び止めるオレ。
「え?」
「ちょっと寄ってかないか?」
きょとんとした表情でオレを見るあかり。
「どうしたの?」
「いや、別にどーってこともないんだけどよ……。――たまにはいいかな、って思ってさ。大したもんねーけど、コーヒーぐらいなら出せるぜ?」
視線を落とし、少し考えるような仕草をするあかり。
そして、再び顔を上げたあかりは笑顔で、
「それじゃ、ちょっとだけお邪魔しようかな?」
そう言ってにっこりと微笑んだ。
空をよぎるいくつもの黒い影。塒へ帰ろうとしている烏の群れが、互いに鳴き声を上げながらオレたちの頭上を通り過ぎた。
「お母さんのお手伝いもしないとだから、あんまり長居はできないと思うけど」
大きく滲んだ夕陽に照らされてオレンジ色一色に染め上げられた街並。
同じように紅い光に彩られた姿で佇むあかりを見ながら、
「なーに、心配してんだよ? それくらい分かってるって」
家の鍵を取り出しながら言う。
ドアを開け玄関に入るオレに続くあかり。
「着替えてるから、ちょっとリビングの方で待っててくれ」
「あ、うん」
丁寧に靴を並べているあかりの姿を後ろ目で確認してから、オレは階段を駆け上がった。
自室に戻り鞄を机の上に置いてから制服を脱ぐ。制服をハンガーに掛け、適当に着替えを済ませてから、オレは急いでリビングへ向かった。
「あ、浩之ちゃん」
リビングに現われたオレの姿を見付け、あかりがキッチンから顔を覗かせた。
「待たせて悪ぃな……って何してたんだ、あかり?」
「うん、浩之ちゃんが来る前にお湯を沸かせておこうと思って。コーヒーでいいんだよね? もうすぐお湯沸くと思うからちょっと待ってね」
「何もンなことまでしなくてもいいのに……」
苦笑しながらオレはソファに腰を降ろし身を預ける。
「今日は一応、オレが誘ったんだぜ? これじゃいつもといっしょだな」
「えへへ……」
いつもの笑顔を浮かべながら、あかりがふたり分のコーヒーカップを持って来る。
「はい、お待たせ、浩之ちゃん」
「お、悪ぃな」
あかりの差し出したコーヒーカップを受け取る。
「さんきゅ」
「ううん、いつもしてることだしね」
言われてみれば、自分でコーヒー入れるなんてここ最近してないな……。あかりといっしょにいる時は家事とかあかりにまかせっきりだしな。
入れたてのコーヒーの香りを堪能しながら、一口。
何が楽しいのかあかりはそんなオレをにこにこしながら見ている。
「まったく手慣れたもんだ。オレん家なのにお前の方が台所事情に詳しそうだしな」
うんうんと頷きながら感心していると、
「もう、それは浩之ちゃんが自分でお料理しないからだよ? 私が作りに来てなかった頃ってどういう食生活してたんだろ?」
オレの言葉に苦笑いしながら諭すようにオレに言うあかり。
「そりゃあ……」
「カップラーメンとかばっかり食べてちゃだめだよ。そのうち身体、壊しちゃうんだから」
「ばかりってわけじゃないぜ? ちゃんと」
「カップうどんもカップ焼きそばもいっしょだよ……」
ぴしゃりと言い切るあかり。
「…………」
さすがに同じ手は通用しないか……。
絶句するオレを見て、あかりはおかしそうにくすくすと笑いながら、
「レトルト食品ばっかり食べてないで、浩之ちゃんもお料理したほうがいいと思うなぁ。浩之ちゃんのお母さんが心配する気持ち、なんとなく分かるな」
ため息混じりにあかりが呟く。
「おいおい、いきなり何言ってんだ」
「私でよければ簡単なお料理教えてあげるよ? お母さんの受け売りだけどね」
ぺろりと小さく舌を出してあかりが微笑んだ。
「いや、簡単なのならできるんだけど、めんどくさいしな。それに今はあかりがいてくれるから、オレが作る必要なんてないだろ?」
「もう、そんなことばっかり言って……。私だって毎日、浩之ちゃんにお料理作ってあげられるわけじゃないんだからね」
少しだけ照れ臭そうに言いながらも、声を弾ませながらあかりが答えた。
コースターに載った手元のコーヒーカップを取り、口を付ける。
「オレは毎日作ってもらいたいんだけどな~」
意地悪な視線をあかりに向ける。
「それだったら、私の家に毎日食べに来てくれていいよ? お母さんも『最近浩之くん来ないわねぇ』って言ってるし、浩之ちゃんなら大歓迎だよ」
が、そんなオレの言葉など意に介した様子もなく、あかりはいきなりそんなことを言った。
「い、いや、それはちょっとな……」
「え~、どうして? 私の家に来るのイヤなの?」
オレの言葉にあからさまにがっかりした口調であかりが声を上げる。
「イヤじゃねーけどよ、あかりのお袋さん、オレが来るといっつもオレたちのことからかうだろ? 照れ臭くてしょうーがねーよ」
まぁ、嬉しそうにしているあかりを見て喜んでいるんだろうけど、オレまで子供扱いされちまうからな……。
別にあかりのお袋さんの事を嫌ってるわけじゃないけど、昔からのオレを知られているだけにどうにもやりづらい。ある意味、出張しっぱなしのオレの両親よりも、オレのことよく分かってるからな。
「う、うん。お母さん、ああいう性格だから、滅多に遊びに来ない浩之ちゃんが来てくれると、嬉しくなっちゃうんだって」
あかりも照れ臭そうにはにかむ。
う~ん、あかりが家でオレのことどう言ってるのか分かったもんじゃねーな……。
「また新しい料理のレパートリーでも増えたら、行ってやるよ」
「それじゃ、がんばらなくっちゃだね!」
やけに気合いの入ったあかりの返事。
――もしかしたら、オレ、軽はずみなこと言っちまったんじゃあ……?
「気が向いたらでいいんだぜ?」
「えへへ……」
意味深に思えるあかりの笑顔。
明日あたり、いきなり『新しいお料理覚えたよ~』とか言われそうだな……。
――ま、それでもいいか。あかりの料理が食えるなら。
背に腹は変えられないってヤツか?
――ちょっと違うか。
なんてことをぼんやりと考えながら、カップの中のコーヒーを残さず飲み干す。さすが、入れ慣れてるだけあって、インスタントでもなかなか美味かったな。
「ごちそうさまでした」
あかりもちょうど飲み終わったようだ。
言ってカップをコースターに戻す。かちゃという小さな乾いた音がオレの耳に届いた。
「それじゃ、後片付けするね」
オレの分も手に取ってカップを重ね、あかりが席を立った。
「悪かったな、またこき使っちまったみたいで」
キッチンに向かうあかりに続いて、立ち上がりながら言う。
「これくらい気にしないでよ、浩之ちゃん」
勝手知ったるなんとやら。さすがに手慣れた様子でてきぱきと洗い物を済ませるあかり。
コーヒーカップの水を切るあかりに、
「ほら」
手を差し伸べ、カップを受け取る。
「ありがとう、浩之ちゃん」
ふたりぶんの食器をオレは簡単に布巾を使って水気を拭き取り、食器棚の元の位置に戻す。
「ご苦労さん」
洗った手を拭いているあかりに言う。
「どういたしまして」
あかりはオレを見ながらそう言って柔らかな微笑みを浮かべた。
室内を皓々と照らす蛍光灯の光。さっきまでの窓から差し込んでいた暖かなオレンジ色の夕陽もすでに沈み、外には薄暗い夕闇が静かに訪れていた。
「あ、もうこんなに暗くなっちゃったんだ?」
オレの視線を追って窓の外を見たあかりが、少し驚いたような声を上げる。
「そろそろ、帰らなきゃ……」
名残惜しそうにオレの方をちらりと見て、僅かにトーンを落とした声であかりが言葉を続ける。
「――ったく、そんな顔すんなよ……。明日だってまた会えるだろ?」
「う、うん……。でも、せっかく浩之ちゃんが誘ってくれたのに……」
「――退屈だったか?」
「え? ううん、そんなことないよ!」
オレの言葉に慌てたように頭を振るあかり。そのたびに、あかりの頭で結ばれた黄色いリボンと、さらりとしたあかりの髪が揺れる。
「日も短くなっちまったし、お袋さん心配させるわけにもいかないだろ? もし『寄り道禁止!』とかになっちまったらオレも困るしな」
――そんなことはないだろうけど……。
苦笑を浮かべながら言った後、心の中でそう付け加える。
「ふふふ、お母さんそんなこと言わないと思うけどね」
オレの苦笑いを見て、あかりもくすりを笑みをこぼす。
「それじゃ、今日はこれくらいで帰るね」
ようやく戻ったいつもの調子であかりが言う。やっぱあかりはこうでなくっちゃな。
「おう、オレも暇だし、お前ん家まで送ってってやるよ」
「――ありがとう、やっぱり優しいね、浩之ちゃん」
小首を傾げ、目を細めて幸せそうな笑顔であかりが言う。たったこれだけのことで、こんなに幸せそうに笑うあかりを見て、オレの方が気恥ずかしくなってしまう。
「そ、そんなんじゃねーよ」
照れ隠しに視線をあかりから逸らしながら、オレはリビングに戻り、ハンガーに掛けてあったジャケットを羽織ると、
「ほら、あかり~、置いてくぞ~」
ちょっとだけ意地悪っぽく声を上げ、玄関へ一目散に向かう。
「あっ、浩之ちゃん、待ってよぉ」
慌てて駆け出す、ぱたぱたと響くあかりの足音を聞いて、オレはなんだか可笑しくなって小さく笑った。
「もう、私より先に浩之ちゃんが家の外に出てもしょうがないでしょ?」
「はは、そりゃそうだな」
リビングから姿を見せたあかりを見て言う。
「ほら、忘れもんないか?」
「うん、大丈夫だよ」
オレの言葉にこくりと頷きながらあかりが靴を履いた。
かちゃり
玄関のドアを開ける軽い音。あかりはオレに続いて外に出た。
――あかりの家はすぐ近くだが、念のために鍵はかけておくか……。
鍵穴に鍵を差し込み施錠する。
「ずいぶん暗くなっちまったな。家の手伝いあるんだろ? 大丈夫か?」
「うん、お手伝いって言ってもお夕飯の準備くらいだし」
「そっか」
そんなたわいもない会話を交わしながらあかりの家に向かう。
冬の到来を予感させるような、ひんやりとした空気がオレたちの頬を撫でる。
空に広がる瞬く星々と、少しだけ冷たげな光をたたえた月に照らされ、足元にはおぼろな影。
緩やかな風の乗って流れる雲が月の光を遮り、時折、周囲に深みのました闇を落とす。
ちりちりと微かな音を立てて淡い光を放つ電灯と辺りの家から漏れる灯が、夕闇に包まれた街並を儚げながらも彩っている。
「浩之ちゃん……」
ぽつりとあかりがオレの名を呼んだ。
「ん?」
「今日はありがとう。浩之ちゃんが誘ってくれて、嬉しかったよ」
「改まって言われるほどのことじゃねーよ。いっつもお前には世話になりっぱなしだし、たまにはこんなのもいいだろ?」
「うん」
歩みを止め、オレの顔を見上げたあかりが満面の笑顔で頷く。
「いつも私の方から浩之ちゃん家に押しかけてるから、ちょっと迷惑かな、って思ってたんだけどね」
「何言ってんだよ、迷惑だなんて全然思ってねーよ。逆にオレの方こそお前に礼を言いたいくらいだぜ」
あかりにつられて微笑みながらオレが答える。
「そんなことないよ……」
「ありがとな」
あかりが言葉を紡ぐのを遮って、短くそうとだけ言う。
「――うん」
ほんのりと朱が差すあかりの頬。白い月明かりに照らされながらオレを見つめ佇むあかりの瞳がかすかに潤む。
「またそんな顔して……オレが泣かせたみたいじゃねーか」
オレは苦笑しながら覗き込むようにオレを見上げたあかりの頭に手を乗せ柔らかな髪を撫でる。さらりとした髪が指の間を流れ風に揺れる。
「あっ、ご、ごめんね」
うっすらと浮かんだ涙を制服の袖で急いで拭おうとするあかりの腕をオレは軽く掴み、そのまま上気した頬にそっと添える。
「あかり……」
オレを見つめるまっすぐな瞳を同じように見つめ返し、あかりの名を呟く。
「浩之ちゃん」
あかりの言葉に答える代わりに、オレは静かに顔を近付ける。
そっと触れ合うふたりの唇。鼻孔をくすぐるあかりの優しい匂い。
瞳を閉じ、オレの口付けに応えるあかりを、オレはたまらなく愛おしく思った。
――季節は秋。
涼やかに拭き抜けていた風に、わずかに冷たさが混じり始める季節。
あかりの暖かさを全身で感じながら、オレはあかりを抱く両腕に少しだけ力を込める。
耳に届く風のざわめきと木々の葉擦れの音。
吹き抜ける風の冷たさはもう感じない。
上気したオレたちふたりの頬を撫でる秋の夜風は、ただただ優しくオレたちを包み込んでいた。

――了――