お姫さまにはかなわない

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お姫さまにはかなわない

 気が付けば日付が変わっていた。
「う~……眠れないよう」
つぶやいても、その声は冷たい空気をわずかに震わせ、夜闇に吸い込まれるだけだった。
ふと修学旅行の前日も、こんな風に期待と、興奮と、それからほんの少しの緊張と不安に、いつまでも寝付けなかったことを思い出す。
こんなんじゃ、目前に迫った受験も不安になろうというもの。
この高揚感は嫌いじゃないけれど、失敗してはいけないのは同じこと。むしろ、寝不足顔を彼に見られるのは、名も知らないような受験のライバル達に見られるのよりも、ちょっと、ううん、かなり嫌だ。
明日──正確には、すでに日付が変わっているので今日──の、日が昇るのを、遅々と進まぬ時間を感じながら待つよりは、心地好い眠りに落ちていく方が楽だと分かっているのに、未だに眠気は襲ってこない。
身を預けたベッドの中で、小さく身じろぎする。
普段なら、早寝遅起きと両親や彼に言われ続けても、暖簾に腕押しな彼女だが、さすがにこういう日くらいは、醜態を見せたくない。
安請け合いをしちゃったかな、と内心小さく後悔する。
あの場では、勢いに任せて二つ返事に近かったけれど、本当は彼より早く起床して、迎えに行くなんていうことは、簡単にできることではないのに。目覚ましをいくつもセットしたあげくに、母親にまでお願いして、子どもでも寝ないような時間にベッドに入ってようやくなのに。
とりえあず、目を閉じよう。
暗闇に慣れて、部屋の中をぐるぐる見渡してると、このまま一睡もできそうにない。
羊を数えても、一向に眠れないのはすでに経験済み。
なら、何も考えずに、目を閉じる以外に打つ手はない。
逸る気持ちを抑えつけ、毛布を顔まで深く被り直して視界を闇で覆う。
──えっと、朝ご飯をタカくんちで食べて、街へお出かけ。どこへ行こうかな。あ、タカくんに任せちゃって大丈夫だよね? せっかくタカくんが 誘ってくれたんだから。お昼はヤックかなぁ? 嫌いじゃないけど、たまには違うところへ入ってみたいかも。う~、こんなことなら、もっと雑誌とか読んでお くんだったよう。おしゃれなお店を教えてあげて、驚かせちゃえば良かったかな。でも、あんまりお金使わせちゃダメだから、やっぱり無理かな。それから、そ れから……──
余計に頭が冴えてくる。
自分の努力が無駄と悟りつつも、もう、目は開かずに眠りを待つ。
「タカくん……」
彼の名をつぶやきながら、思考がだんだんうろんになっていく。
結局、このみが安らかな寝息を立て始めたのは、時計の長針が一回転あまりしてからのことだった。

──そして、目を覚ますと。

§

目が覚めた。
「げ」
日曜の朝というのに、この寝起きの良さは快挙といっても良いだろう。これが平日なら、余裕綽々で登校できるのに、休みの日ばかり早起きでも仕方 ない。実際は、前日に引き続き記録更新中ということになるが、おそらく、言葉通りの三日坊主になることは間違いないだろうと、ダメな方向への確信も生まれ る。
それはそうだろう。嫌々ながらに学園へ向かうことなどより、惰眠を貪る快楽が負けることなどあろうはずがないのだから。
休日というのは学生にとって、ちょっとした贅沢が許される一日である。
昼まで寝たりとか、昼まで寝たりとか、昼まで寝たりとか……。
思考の大部分が睡眠欲で占められている、起床直後の河野貴明は、せっかく生まれた自堕落な選択肢を、なんとか放棄してのそのそと起きあがる。
早朝の空気は冷たい。エアコンの暖房をタイマーで稼働するようにしておくべきだったか。
もっとも、暖かかったりしたら、二度寝の誘惑に勝てたとは思えないから、今朝の状況は、結果としては間違いではなかったようだ。
「あ~……」
床離れの良さの理由に、苦笑する。
なんだかんだで、遊ぶ理由がないと、自分の休日は寝て過ごすだけになってしまうだから。例え名目がどうであれ、たまには外に出ないと、「ヒキコモリの可哀想な少年」とどこかの誰かに思われてしまうかもしれない。
カーテンを開ける。
体感的には、まだ春とは思えない2月の空は、快晴。絶好の外出日和。文句なし。
御機嫌になる自分に、もう一度苦笑して、寝間着のまま階下へ降りていく。
──とりあえず、腹減った。

食器を片付けて、普段は滅多に見ない土曜の朝のテレビを眺める。
父親はご苦労なことに土曜も休み返上で仕事らしい。
こんな時間に顔を合わせたのがよほど意外だったのか、貴明の母親は慌てて朝食を用意しながら「大変よねぇ」と嘆息。母も知れず気苦労があるのだろうか。
「あ、お袋、俺、今日出かけるから」
「あら、珍しい。どおりで」
得心、といった表情。
「で、誰とデート?」
「ぐっ!?」
待て、と言葉を継ぐ前に、追い打ち攻撃。
「あぁ、そうね、昨日はバレンタインデーだったものね。母さんも、年甲斐もなくあの人にチョコレートあげちゃったら、とっても喜んでくれたのよ?」
「いや、いい加減息子にのろけるのは止めてくれ」
いい年なんだから、という言葉は禁句である。
「良いじゃない、別に。両親が仲睦まじいのは一家安泰の必要条件よ?」
「そうかも知れないけど、さ」
「私のことなんて、どうでも良いじゃない。貴明こそ、誰に誘われたの? もしかして、昨日は大漁?」
「違う違う違う! だいたい俺がそんなにもてるわけないだろ」
異性への苦手意識の克服さえできてないのだから、母の言うように大漁だったとしても途方に暮れるだけだったろう。
「このみだよこのみ。あ、言っておくけど別にデートってわけじゃないからな。義理でもチョコくれたんだから、礼代わりに遊んでやろうかと思って」
「う~ん、一般的にそれをデートと言うんだと思うわよ、母さんは。そっかぁ、このみちゃんか。あの子なら母さんも安心よ。頑張ってきなさいね」
「何をだよっ」
母親とは思えない言動に、だんだん調子が狂い始める。
「お袋も、変な勘違いしないでくれ。義理だって言っただろ? それに、このみと遊びに行くことなんて、別に珍しくもないだろう?」
そもそも、単なるご近所さん以上の付き合いをしてきたのは、貴明とこのみの両親である。小さい頃よく行った家族旅行も、両家合同だったり。ちょっとした大家族さん状態である。
さすがに、近年は両家の父親の仕事が多忙になるなどの理由などもあって、そういったイベントとは疎遠になっているが、家族同然の付き合いがなくなるわけもなく、気の置けない関係が変わろうはずもなかった。
「そういうことにしておきましょうか」
言って意味ありげな微笑みをよこす。
「?」
微笑みの意味を図りかねる貴明に、母が言う。
「じゃ、お昼は要らないわね」
「ん」
「そういうことなら、このみちゃん待たせないように、さっさと準備なさい」
「まだ、そんな時間じゃないだろ」
「あら? 貴明が迎えに行くんじゃないの」
「いや、別にそういうわけ……じゃ」
「あらあら。このみちゃんて、朝弱いのに、迎えに来てもらおうなんて思ってたの? だいたい、女の子を呼びつけるなんて、貴明にはちょっと早いんじゃないかしら?」
「だから、いちいちそういうことと結びつけないでくれよ」
「そういうことって?」
「う……、その、付き合ったりとかどうとか……」
尻すぼまりになる貴明の言葉に、笑顔を困ったような微苦笑に変え母は言う。
「もう、そんな奥手でどうするのかしら。男の子がリードしないと女の子は不安になっちゃうんだからね。相手がこのみちゃんだからって、あんまりぞんざいにしてると、春夏さんに怒られちゃうわよ」
ね? と諫めるような落ち着いた口調。
「ま、いいわよ。とりあえず、あんまり遅くまで出歩かないようにね。あと、春夏さんにもちゃんと挨拶してから出かけること。ま、貴明なら信用されてるから二つ返事でOKよね」
貴明は母と春夏の会話を想像し、内心頭を抱える。
いちいちこんなこと話す必要なかったのに、迂闊。きっと、二人が勉学に励んでいる間に、お茶でも飲みながらあることないこと話すのだ。
決めた。これからのことは、何があっても母には伝えない。これ以上詮索されるような情報を与えてたまるか。
しかし、このみの方はどうだろう。春夏に訊かれたら誤魔化せるような器用な真似などできるだろうか。
とりあえず、余計なことは言うなと、釘は刺しておこう。
それが、多分、まったく功を奏さないと分かっていても、そう思わずにはいられなかった。
「とりあえず、もう行くから」
「はいはい。身だしなみくらいはしっかりしていくのよ」
「分かってるよ」
寝起き姿の貴明に、もう一度念を押し、母は手元の湯飲みに口を付けた。

§

背後から聞こえた、行ってらっしゃいの言葉に、適当に答えて、貴明は家を出る。
このみの家はすぐ隣に建っているのだから、急ぐ必要もないのだが、これ以上不毛な会話を続けると、平静でいられる自信がなくなりそうだった。
午前9時をわずかに回った今の時刻、街へ出るにしても、少しばかり早い時間であるが、人混みに巻き込まれる前に、適当な場所へ入り込むには不都合があるわけでもない。
「ま、問題は、このみが起きてるかどうかなんだけどな」
昨日の会話を思い出す。
だいたいにして、アイツが早起きするなんて約束を守ったことがある回数など、両手の指で数えられるくらいに思う。
イベント前日にテンションが高くなって、睡眠不足になるタイプであるのは間違いない。だいたい、朝が弱いくせに、貴明を起こしに来るなんて安請け合いするこのみもどうかしてる。別に、時間の約束もしてないし、そんな大げさに受け取られても困るのだし。
貴明とこのみが一緒に出かけることなど、二人の長い付き合いの中で幾度もあったことである。このみが寝坊することも、逆に貴明の方が寝坊してしまうことも、そんなものはとうの昔に折り込み済みのよしみである。
多分、まだ夢の中なんだろうなと、結論づけながら、柚原家の呼び鈴を鳴らす。
耳慣れた声が、扉向こうからくぐもって聞こえる。春夏である。
「はいはい、と。あ、タカくん、おはよう」
「おはようございます。春夏さん。あの、このみは……?」
「あはは、お察しの通り、かしらね」
ごめんなさいね、と手を合わせ、小さく謝る。貴明の母と、それほど年が離れているわけでもないのに、どうしてこの人はこんな可愛らしい仕草が似合うのか。
「私も起こしてって頼まれたんだけど、ちょっとドタバタしちゃってて」
「あ~、別にいいですよ。特に時間の約束してたわけじゃなかったですし」
「あら、そうなの? あの子ったら『絶対絶対絶対起こしてね』ってしつこいくらい言うものだから、てっきり……」
「はは……」
返答に困る。適当なこと言わずに、時間を決めて駅前で合流とかにしても良かっただろうか。隣の家に住んでいるのに、そんなことしたらこのみは不満そうに頬を膨らますだろうけれど。
「う~ん、タカくん、悪いんだけど」
「はい?」
「あの子起こしてやってくれない? 私がいくら言っても今日は起きないのよう」
「いつもはあんな大声張り上げてるのに……」
ぼそりと疑問の言葉を口内で転がす。
「ん?」
「あっ、いや別に。春夏さんが起こしてもダメなら、俺が行っても一緒だと思いますけど?」
「あ~、いいのいいの、だいたいあの子が頼んでおいて目を覚まさないのがいけないんだから。やたらと鳴りまくってた目覚ましも、器用に全部止めちゃってたみたいだし」
それにね、と春夏は言葉を続ける。
「たまにはタカくんに起こされるようなびっくりがあった方が、少しは薬でしょ?」
「そういうもんですか?」
「ま、あの子もずいぶんと昨日から浮かれてたみたいだから、多分寝付けなかっただけだと思うんだけどね」
「あ~、相変わらずですね」
「ホント、もうちょっと大人になってくれてもいいのにね。あ、でも、手がかからなくなったら、それはそれでちょっと寂しいのかしら?」
春夏の手を煩わせないこのみの姿が、貴明には想像できない。
「ま、いいわ、タカくん、上がってちょうだい」
「えと、それじゃ、おじゃまします」
「どうぞどうぞ~」
靴を揃えて柚原家に上がる。なんだかんだで貴明も春夏に頭が上がらない。二人の母親がいるようなものだから、この辺の最低限の礼儀はわきまえているつもりである。
それにしては、春夏の娘であるこのみの奔放さは、一体誰の影響なんだろう?
「じゃ、俺、このみ起こしてきますんで」
「お願いね。私は朝ご飯あっため直しておくから。タカくんは?」
「あ、ちゃんと自分ちで食ってきたんで」
「そっか、それじゃ一人分ね」
言って春夏はキッチンに引っ込む。料理に妥協を許さない春夏のことである。昨夜の残り物も無駄にせず、朝食には似つかわしくないメニューが出そろっても貴明は驚かないだろう。
逆に、平日は慌ただしいことが多いので、気合いを入れて作っても報われない反動だろうか。
鼻歌でも聞こえてきそうなキッチン内の春夏の姿をしばらく眺めてから、貴明は階段を上りこのみの部屋へ向かう。
「さて、と」
まずは初手。ドアのノック。一回、二回、三回。軽快なノックの音にも、目標は沈黙を守る。
次手。室内のこのみをよんでみる。
「このみ。起きろ、もう朝だぞ。ってかお前が起きるっていうから俺もこんな時間に起きたんだぞ。こら、いい加減起きろ。春夏さん、怒らせるとあとが怖いぞ」
とりあえず一息つく。
……。
やはり、効果なし。
「あ~、やっぱりこうするしかないのか」
あまり気乗りしないが、直接交渉を行うしかないようだ。年頃の娘の部屋に、幼なじみとはいえ男である自分を入れて、春夏は何も思わないのだろうか。
膠着状態の戦線を脱するには、それしか手段がないとしても、一応最後通告はしておこう。
「このみ、起きないんだったら、直接叩き起こすからな。部屋に入られたくないんだったら、速攻で起きろ。十秒だけ待ってやる」
律儀に十を数え出す貴明。
結果は見えてるとはいえ、いきなり乗り込むよりは自分の精神も落ち着くだろう。
ゆっくりと数えたとしてもせいぜい十五秒程度。あっさりと決断の時は訪れる。
「入るぞー」
貴明は、意を決してドアノブを回転させる。
ドアを引き開き、一瞬躊躇ってから足を踏み入れる。
小さな寝息を立てるこのみがそこにいた。
驚かさないようにおそるおそるベッドに近づき脇に立つ。
こいつを起こそうとしてるのに? 何やってるんだ、俺。
まったく、こちらの気苦労も知らないんだろう。幸せそうに寝ちゃって。逆に今の季節で良かったかもな。寝乱れてたりしたら、さすがに目のやり場に困るし、そんなんだったら逃げ出すしかない。
ぺちぺちと頬を軽く叩く。
春夏のようにいきなり耳元で大声を上げるといった、荒っぽい起こし方は貴明にはできそうにない。
「起きろー、朝だぞー」
罪のない寝顔を見ながらだと、ほとんど気合いも入らない。まぁ、少しくらい出発が遅くなったところで、削れるのは遊ぶ時間か勉強の時間か。
待て、マズイぞ。後者になったら俺の責任問題では?
しかし、前者だとしても、このみの御機嫌を損ねるという由々しき事態に発展することが、容易に想像できてしまう。
どう転んでも、貴明に有利な展開になりそうにはない。
……ならば。
目の前の妹のような幼なじみを、叩き起こすのみっ。
「行くぞ、ベッドから落ちても知らないからな」
覚悟の声は、このみに向けてか、それとも自身に向けてのものか。
貴明は、このみの身体をすっぽりと覆い隠している暖かそうな毛布に手をかけ。
「そりゃっ!」
一気呵成にはぎ取った。
……。
……。
「うわああぁぁ……っ」
貴明は大声を上げそうになる口を、慌てて両手で塞ぎ、叫びを飲み込む。
この場面を春夏にでも見られたらあらぬ誤解を受けてしまう。それすなわち死刑。
布団を引きはがした勢いか、そもそも寝相が悪かったのか、寝間着がめくり上がって……。ほっそりとした折れそうな腰、白い肌とお腹に見える小さなおへそ。視線を上半身にずらしていくと、その、慎ましげに膨らんだ、胸が……見えそうに、なってるんですが?
待て待て! 俺は何を考えてる。落ち着け、河野貴明。ってかこのみの姿に動揺するなんてどうかしてるぞ。
最優先目標は、このみを叩き起こすこと。それ以外の障害は排除しなければ、このみか春夏のどちらかに、あるいはもしかしたら両方に殺される。
明日の朝日が拝みたかったら、この状況を迅速に打開すべし。
「ほら、起きろ起きろって! じゃねーと、俺がやばい、やばいから」
「ん……」
「うあああ、全然起きそうにねーじゃねーか!!」
神はいないのか?
とりあえず、寝間着を下ろし、このみの肌を隠さなければ目に毒だ。いろんな意味で、心臓にも悪いから。
「起きるなよー、頼むからこのタイミングで起きるなよ……」
たいていの場合、このような願いは絶妙のタイミングで裏切られる。
そう、この時この場所の貴明も例外ではなく。
「っ!!」
呆とした瞳が、焦点を結ばぬまま貴明を見つめる。
「タカ……くん?」
静かに、噛みしめるように、このみは貴明の名を呼ぶ。夢見心地の表情と声色で。
「タカくん、寒いよう。もう十分だけ眠らせてよう」
「こら、寝ぼけるな。頼むから、しゃきっと起きてくれ! このみ!」
「えへへ~。タカくんの手、あったかいね」
目を閉じ、笑顔のまま、このみが貴明の手を握る。
やばい、離してくれない。というか、なんでこんなに力が入ってるんだよ。
「タカくんも、寝よ?」
「え、ちょ……待っ」
うわあ、と情けない声を上げながら、貴明は倒れ込む。
自重でこのみを潰さないように、直前で身体を支えられたのは、とっさの判断にしてはよくやったと思う。
間近に迫ったこのみの表情に、貴明は息も止め、そして心臓が止まりそうな錯覚に襲われる。
少しだけ上気した頬に差す赤み、互いの吐息さえ届き合う超至近距離。唇さえ、届きそうな。心臓の鼓動さえ、感じ合えるような。
ばくばくと早鐘を鳴らし続ける心臓を、押さえ込むのに精一杯の貴明は、このみの行動になすがまま。
首に回されたこのみの両腕に気付くに至り、ようやく貴明は我に返ることができた。
「うわああああ、待て、このみっ! 早まるなっ!!」
「えへ~」
蕩けそうな笑顔のまま、このみは、貴明を抱き寄せ……。

「あらあら、何やってるのかしら~?」
びくり、と貴明は硬直する。
ぎぎぎ、と貴明は首を回し背後を見ると。
「は、春夏さん」
「はい、タカくんは、何してるのかしら?」
「こ、このみを起こそうとして、それで」
混乱で言葉が支離滅裂になるのは分かっていても、この状況を切り抜ける魔法の言葉なんて、百年経っても浮かんでこないだろう。
「えっと、別にやましい気持ちなんてこれっぽちも。このみが強引に、手ぇ離さないから。すすすす、すいません!」
硬直から回復し、文字通り飛び退いてこのみから離れる。
「はいはい、ま、別に良いわよ、タカくんなら。でも、寝込みを襲うのは反則。ちゃんとこのみに告白してから続きをしてね?」
こつん、と軽くゲンコツを頭頂に落とされる。
覚悟していた痛みが襲ってこなかった疑問顔の貴明に、春夏は笑顔で答えた。
「さて、それじゃ、このだらしないお姫さまを起こさないとね。定番は、王子さまのキスだけど……」
ぶんぶんぶんっ! と全力で首を振り逃げ出しそうな体勢になる貴明を慌てて止める春夏。
「ウソウソ。そんなのは私のいない場所でしてちょうだいね」
「いや、しませんって。っていうか、誤解ですってば!」
必死に弁解に努める貴明の言葉を、春夏はどう受け取ったのか。
深呼吸をするように、大きく息を吸い込んで。
同時だった。
春夏の怒声が響くのと、貴明が耳を両手で塞ぐのは。
「こらっ!! いつまで寝てるの。いい加減起きなさいっ!!」
ごごうっ、と空気さえ震わせそうな春夏の声に、さすがのこのみもベッドから飛び起き、転げ落ちた。
「え? え?」
「よ、よう、このみ。目ぇ覚めたか?」
「タ、タカくんっ!?」
「頼むからさ、もう少し朝早くなろうぜ。心臓に悪い」
「え? 何が?」
きょとんと、俺の顔を見つめた後、このみは隣に立つ春夏の笑顔を見て凍り付く。
「お、お母さん、お、おはよ……」
「はい、おはよう」
追いつめられたネズミのように、貴明に助けを求めるアイコンタクトをよこすこのみ。 無理だすまん。
すかさず返す視線に、このみは本気でおびえた表情を浮かべる。
「もう、タカくんまで巻き込んじゃダメでしょ。いつまでもそうしてると、タカくん迎えに来てくれなくなっちゃうかも知れないわよ?」
「ええっ!? そうなの、タカくん?」
「そうよ」
「うー、お母さんに訊いてるんじゃないもん」
「そ、そうだぞ、このみ。俺だから良いものの、他の誰かとの約束すっぽかしたらお前が怒られるんだからな」
「う、うん。ごめんなさい」
「分かればよろしい。もうっちょっと手がかからなくなってくれると、静かな朝が迎えられるんだけど。ね? タカくん」
しょんぼりとするこのみを、さすがに可哀想に思い、貴明が助け船を出す。
「ほら、俺は春夏さんと下行ってるから、さっさと着替えて、飯食って出かけるぞ」
「あ、うん。ゴメンね、タカくん」
「別に、いつものことだからな」
「ほらほら、このみは早く着替えて下にいらっしゃい。一日なんてあっという間なんだから、せっかくのデート、時間がなくなっちゃうわよ」
「わー、それはダメ。着替える着替えるから、早く下行ってよ、タカくん」
なぜ、俺が怒られる? 理不尽なものを感じながらも、貴明は春夏に続いてこのみの部屋を出ようとする。
「あっ、そうだ。タカくん」
「ん?」
呼び止めるこのみ。振り返る貴明。
「おはよう。良い天気で良かったね、タカくん」
日だまりのような、満面の笑み。さし込む陽光に溶けそうな暖かな。
「ああ、せっかくだから、遊び倒すぞ」
「うんっ!」
幸せそうな笑顔を見届けて、部屋を出る。
ああ、やっぱりダメだ。やっぱりあの笑顔にはかなわない。
さっきまでの焦りも何処へやら。
頭をかきながら階段を下りる。
「ふふ」
「どうかしましたか?」
「やっぱりタカくん、このみには甘いわね」
「そういう春夏さんだって」
振り返り、貴明を見つめるこのみの母。
「そうかもね」
「そうですよ」
微かに聞こえる、このみの部屋を駆け回る音に互いに苦笑しつつ。
「早く来いよ~」
「わ、わかってるよ~!」
今日のお出かけプランを、もう一度確認する貴明だった。

──了──

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