ToHeart ~十年後も君を~

神岸あかり 誕生日記念SSです。ToHeart という作品に出会えたこと、彼女と出会えたこと、感謝することはいろいろありますが。
いつでも幸せに微笑んでいるであろう彼女の、ほんのひとときの時間ですが、お楽しみいただければ幸いです。

なお、軽い性描写を入れてありますので、その辺嫌いな方は閲覧をご遠慮ください。

十年後も君を

 お互いの気持ちを確かめる方法なんて、たくさん思い浮かぶようで、実際はそんなに無いのかも知れないと、私はときどき怖くなる。
 電話? メール? もちろん直接お話ししたり、それこそ、互いに顔を見ることで伝わったり、心の中で思っているだけでも伝わることだってあるけれど。
 けれど、やっぱり、私は怖いと思ってしまう。
 離れている時間の一分一秒を、ほどかれてしまった手のひらから消えていく、あなたの温もりを、もしかしたら明日が来ないなんていうあり得ない空想を。あなたのいない世界を。
§
 だから、私はこの時間がとても好き。
 こうやって、ありのままの私に触れてくれるあなたを感じられること。
 がむしゃらに、時には荒々しく、けれど壊れ物を扱うような優しい心をなくさないでいてくれること。
 私が夢中であなたの名前を呼ぶこと。
 あなたが私の名前を呼んでくれること。
 あなただけに見せる私。私だけに見せてくれるあなた。
 身体の繋がりは、本当に簡単に、私たちの距離を零にしてくれる。
 あなたに抱かれるという行為自体も私は好きだけれど、その時間はあなたは私だけのものだから。
「あっ! ……ん、ぅん!」
 私たちは交わる。
 正面から抱きしめられて、繋いだ手、絡まる指。
 何度も何度も唇を合わせ、舌を絡め、私たちはお互いを求め合う。
「んあ! やっ……、はぁ……んぅ!」
 流れる汗を舌ですくわれ、味わわれてしまう。羞恥から私は彼の肩に顔を埋めて、首筋に強く口づける。誰はばかることなく、本能のままに愛し合う。
「あ! 浩之ちゃん……っ! 浩之ちゃん!」
 私は彼の名前を呼んで、ぎゅっとしがみつく。
 触れ合っていない場所なんてないくらいに抱き合って。このまま溶け合ってしまいそうなくらいの一体感に陶然となって。
 いつもいつも、私はこの感覚に翻弄されてしまう。
 私の中を激しく往復する彼自身に。ひとつになっているというたまらない充足感に。そして、この例えようもない幸せと抗いがたい快感がない交ぜになった激しい波に。
「はぁっ! あんっ、んん! あぅ……っ!」
 会話らしい会話など、とうに失われ、部屋に響くのは彼に奏でられている私の嬌声と、どんどん激しくなっていく彼の呼吸音。軋むベッドのスプリングと、私たちが生み出している水っぽい音。
 ぼんやりと見る彼の表情ははっきりしないけれど、こうして向き合って彼に愛してもらっているという、その事実だけでも私は言いようのない快感に震えてしまう。
 無意識に唇を求め、それに応じて来た彼の唇を、待ちきれなかったかのように、ぶつけるくらいの勢いで重ね合う。どちらからともなく舌を口腔に差し込み、絡め合い、歯で甘噛みし、歯茎の裏まで舐めていく。
 ぞくりぞくりとした快感に、とうに理性など溶かし尽くされ、ひたすらにその感覚を貪っていく。溺れていく。
「あっ! ああっ!」
 ぎゅっと握りつぶすようにされた私の乳房は、彼の意のままに形を歪めていく。
 痛みとすら錯覚するその快楽に、私はひときわ大きな声を上げてしまう。
 手のひらで包み込むように私の胸を味わい、そうしてから敏感にしこっている先端を予期せぬタイミングでつまんでくる。
「ひゃう! ああっ!」
 何度も彼によって味わわされた快感は、けれど、私の意識の隙間を通るように、不意打ちみたいなタイミングで襲ってくる。
 そのたびに、私はあられもない声を上げて、彼の本能を満たしてしまう。
「あ、浩之ちゃんっ! それ、やぁっ!」
 強すぎる快感に、我を忘れそうになる恐怖が重なってくる。
 けれど、そんな私の懇願など、キスの一つで誤魔化して、彼は動きを止めない。それどころか、私を追い込むように何度も何度も腰を打ち付けてくる。
 私たちがぶつかるときに生まれる乾いた音と、それを打ち消すくらいに淫らに生まれ続ける、様々なものが混じった湿った音。
 耳から感じるそんな音でさえ、私の官能を高ぶらせ、もっともっと、行為に没入させていく。
「やっ! ああっ! あああっ!」
 彼が私の名前を呼んでいるような気がする。
 判然としない思考の中で、私は彼の呼びかけに答えようとするけれど、快感に塗りつぶされてしまったそのままに、口からこぼれていくのは意味をなさない叫びの断片。
「……ひ、ひろっ……ゆき、ちゃんっ!」
 途切れ途切れに何とか紡いだ彼の名前。
 聞こえたのか聞こえていないのか、分からないけれど、彼は私の言葉に応えてくれたかのように、今日、何回目か分からない口づけを降らせてくる。
 息が苦しくなるくらい、唇を求め、そのまま首筋をきつく吸い上げて、それから胸の先端を赤ちゃんのように舐め、吸って、歯を立てた。
「あ、やっ……っ! も! だめぇ!」
 私の意識とは完全に切り離されたかのように、意のままにならない身体。ただ、彼の動きに面白いように反応し、ベッドの上で跳ね、喘ぎだけがこぼれていく。
 荒々しい踊りが曲調に合わせて終盤に向けて加速していくように。
 ただただ、ひたすらに互いを求め合っている私たちの交わりも、高みへ向けて駆け上がっていく。
「あっ! あっ! ああっ!」
 激しい快感に目をつぶってしまう。
 真っ暗なはずの視界が、白い光で埋め尽くされていく。
 彼の背に回した両手に力を込めて、彼を離さないよう、彼が離れていかないよう、私は強く抱き寄せる。
「んっ! ああっ! あん!」
 お返しとばかりに私を抱きしめてくれた彼の首筋に顔をうずめ舌を這わせる。歯を立てる。
 小さく呻いたかのような彼の声にすら、私は感じてしまって、意識がどんどん真っ白く染め上げられていく。
 これまでにも何度となく、彼に導かれた頂が近づいてくるのがおぼろげな意識の中でも分かる。
 このまま、このまま、と思いながら私は無我夢中に何かを叫んで。
 同じ場所を目指す彼の動きも、どんどんと激しくなっていって。
 最後の最後に、私のいちばん深くを突き上げた、彼の動きが私の中の何かを壊してしまって。
「ああああああっ!」
 同時に彼に注ぎ込まれた精の熱さに、さらに後押しされれるように、私は絶頂を迎えた。
§
 荒くなった呼吸が収まるまでのひとときを、私は彼の胸に頭を預けまどろむように過ごしている。
 言葉もなく、自然に私の髪を撫でてくれる彼の手が、くすぐったくて気持ちよくて、小さく小さくため息に似た笑みをこぼした。
「ん?」
「なんでもないよ、浩之ちゃん」
 疑問の言葉を浮かべながらも、私の心地よさを察してくれたのか、止めることなく撫で続けてくれる。
 それは些細なことだけれど、いつも私のことを気遣ってくれる彼の気持ちが嬉しくて、私はもっととおねだりをするように、彼の胸に頬を寄せる。とくん、とくん、と穏やかになりつつある鼓動を暖かさと一緒に感じる。
「そっか。疲れたか?」
「もう、そんなこと訊くのはどうかと思うよ?」
 もちろん、疲れることをしているのだから、その答えはイエスしかないのだけれど。
 そんなことを訊かれても、素直に答えるには私も平静を取り戻しすぎているし。
「こんな調子じゃ、朝がまた辛いなあ」
「浩之ちゃんの寝坊癖だけは何年経っても直らないね」
「あ~、自分ひとりじゃ、まともに朝起きられる自信はもうないな」
 ちょっと昔の私たちを思い返してみても、彼が自分ひとりで起きられた試しなんて、数えるほどしかないのになあ、なんて思って。多分、そんな私の考えも、筒抜けで。
「ん、こほん。いつもありがとうございます」
 と、妙にかしこまったお礼をもらってしまった。
「うん。ありがとうされておくね」
 そうやって、感謝されるのに、悪い気がするはずなんてないので、私も少しおどけた感じで返事する。
「ん、明日もよろしく」
「もう、しょうがないなあ」
 たわいもない会話が、ふたりだけの時間をゆっくりと彩っている。
「せっかくの誕生日だけど、平日じゃあなあ」
「いいよいいよ、そんなの気にしないで」
 もう、誕生日を気にして一喜一憂するような年じゃないし。……気持ちの中では嬉しいんだけれど、祝ってくれるひとも、祝って欲しいひとも、今の私にはひとりで十分すぎる。
「欲しいものはちょっと前にもらっちゃっているしね」
 左手を眼前にかざすと、薄明かりの中で小さく光を跳ね返す紫の水晶が、薬指に自然にはまっている。
 それは、星の光ほどの瞬きもなくて、月の光ほどの明るさもないけれど。
 それは、私と彼が望んで結んだ絆の形の一つ。
 毎日のように眺めて、でも、見飽きることなんてないくらい。私は自分の想いをそのたびに確かめ、そのたびに深めていっているように思う。
「えへへ……」
 意識していないと、ちょっと気の抜けた笑い声が自然と漏れてしまう。
 顔の方も、きっとずいぶんと締まらない表情を浮かべているんだろう。
 夜の闇の深さに少しだけ感謝しながら、私は表情が見られていないことを祈る。
「だらしないヤツめ」
 こつん、と私が枕にしている右腕とは逆の手で、彼が小さく小突いてきた。残念、やっぱり暗くたって、私のことはお見通しみたいだ。
「えへへ」
 こんな幸福感が長続きするなんて、私もちょっとどうかと思うのだけれど、やっぱり嬉しいものは嬉しいし。
 指輪を贈られたのは少し前。
 突然、前触れもなく、渡されたアメジストの指輪は当然のように私の指にぴったりで。
 けれど、「なぜ?」と問うた私の言葉に、
「こういうのは少しでも早くと思ったんだ」
 何て言って。
 もう一度、「どうして?」と訊くと、
「お前がもうオレのものだってちゃんと言っておかないとな」
 なんて答えてくれた。
 それにしては、遅すぎるし、きっと誰かに何か言われたせいで焦って用意してくれたんだろうな、とか当時はいろいろ思うこともあったけれど。その後、その誰かさんに、さんざんからかわれたりもしたけれど。
 そうして贈ってもらった指輪は、確かに彼の思惑通りの効果を上げているのは間違いないと思う。
「だから、いいの。私は普通に毎日が送られれば、それが一番だと思うよ」
「ま、せめて、豪華なディナーくらいはごちそうさせてもらうさ」
「もう、そうやって、無駄遣いするんだから……」
 気持ちは嬉しいんだけれど、学校へ通いながらアルバイトなんてしている経済状況を考えると、ちょっと奮発したお夕食なんていうものは、贅沢も良いところだと思う。
「いいのいいの、そうしないとオレの気が済まないって」
 そこまで言われると、頑なに断る私の方が悪く思えてしまう。
 何で私がそう思わないといけないのか、よく分からないんだけれど。
「じゃあ、お言葉に甘えちゃうよ?」
「どうぞ、どうぞ。好きなだけ甘えて良し」
「今からで良いの?」
「……良し」
 あ、少し考えた? でも、答えに満足。
「えへへ~」
 ごろごろと彼に甘えていく。
 別に普段と変わるわけじゃないのだけれど、気持ち次第でいろいろ感じ方が変わってくる。
 だから、甘えたいときは甘えるし、甘えて欲しいときは甘えてもらう。そんな風に、以心伝心じゃないけれど、気持ちが伝わっているのって、とっても嬉しいしすてきなことだと思う。
 ──だからなのかもしれない。
 ときおり感じるのは、今みたいな、なにものにも代え難いと思える時間が、失われてしまうのじゃないかという恐れで、それはきっと幸福というコインの裏側にあるものだから。
 絶対がないように、この気持ちが永遠じゃないのかもしれないという怖さ。そんなことは悩んでいないで、一笑に付すべき空想の類だと断じられればとても楽だけれど。
「……こら」
「ひゃっ!?」
 そんな風に考えていたら、突然、抱きしめられてびっくりする。
「何難しいこと考えてるんだ」
「え?」
「お前はすぐ顔に出るんだから、何考えてるのかもだいたい想像は付くけどな」
 ちゅ、と額にキスしてくれる。
「あ……」
 そうして、私は思い出す。
 私がひとりで泣いているとき、私の元に駆けつけてくれたのが誰なのか。
 私がどこにいたとしても、探し出してくれるのは誰なのかを。
 私がそんな「いつか」を怖がったとしても、それを取り除いてくれるのは誰なのかを。
 私は、彼が与えてくれた温かい気持ちや優しい気持ち、ちょっとだけ悲しい気持ちや辛い気持ち、それら全部をまとめて好きだというのも事実で、彼がそんな私を好きだと言ってくれたのも、また事実なのだから。
 だから、私は答えが決まっている問いをしてみようと思う。
 彼の一番近くにいる私として。
「ねえ、浩之ちゃん?」
「ん?」
「十年先ってどうなってるかなあ?」
「ん~、どうだろうなあ。何も変わらないんじゃねーか?」
 ほら。やっぱり。
 でもね、私は決めたんだ。
 ずっと先の不確かさに怯えるより、この毎日を大切にしていきたいから。
「私は違うと思うんだ」
「あかり?」
「きっと、私は今よりもっと浩之ちゃんのことが好きになってると思うよ?」
 だって、ほら。
 昨日より、今日。私は確かにこの気持ちのふくらみを感じているから。
「だからね、毎日、私は浩之ちゃんへの『好き』を確認していくよ? 昨日より、今日。今日より明日」
 そうすれば。そうすればきっと。
「一年後も二年後も関係ないよね。毎日好きになっていくんだから、十年もあっという間。ほら、そうしたら、十年先も二十年先もきっといっしょだよ」
 だから。過ぎた望みかもしれないけれど、私の気持ちはたった一つ。私の願いはたった一つ。
「……あいた」
 こつん、と今度はおでこをぶつけられた。
 間近で見る彼の表情は、暗いけれど怒っているようで、照れているようで、やっぱり笑っていて。
「だから、そういう恥ずかしいこと言うな」
「恥ずかしくないよう? 浩之ちゃんは恥ずかしいの?」
「……言われると恥ずかしい」
 言わなくても伝わる気持ちというのは確かにあるけれど、やっぱり今日はちゃんと伝えたくなってしまった。
 だって、今日は年に一度の私の誕生日。
 誕生日に私から何かを贈るなんておかしいかもしれないけれど。
「じゃあ、言ってくれなくても良いよ。でも、来年の私の誕生日も一緒に祝ってね? そうしたら、また私は約束してもらうから」
 そう、ずっと先のことなんて今はまだ分からないから。
「だから、浩之ちゃんからの誕生日プレゼントは、『私と一年間いっしょにいてくれること』でお願いします」
 そうしたら、また来年、私は同じことをお願いするから。
「やれやれ、ただより高いものはないんだぞ?」
 苦笑。
「大丈夫、浩之ちゃんだもん」
 あなたにもらう以上の愛を、お返しするのは難しいかもしれないけれど。
 私も毎日あなたを好きになっていくから。
 だから、今日も明日もいっしょにいてほしい。
 また一つ年を重ねた私の、一年に一回のお願いを叶えて。
 そうして言った私に、彼は返事代わりの答えをくれる。
 優しい優しい口づけを。
 胸一杯になるくらいの優しい気持ちといっしょに。
 ああ、やっぱりあんな空想なんて意味がない。
 こうして触れ合っている時間、重ねる言葉への実感がある。そして、世界には確かに私たちがいる。それは小さな小さな世界だけれど、私たちが作ってきた、そしてこれからも作っていく私たちだけの世界だ。
 だから、私はこの世界を大切に育てていこうと思う。
 私ひとりでは育てられない、彼といっしょに育てていく、私たちだけの世界を。
「ふぁ~、そろそろ寝るか?」
 眠って、目が覚めたら新しい朝がくる。
 また、ふたりで迎える新しい一日だ。
 今、この時間もとても愛おしいけれど、明日もきっと今日以上に素敵な日になるのだろう。
 そう、決めたから。
 そう、約束したから。
 私は小さく頷いて、少し冷えてきた空気から逃げるように彼にぴったりと寄り添った。
「おやすみなさい、浩之ちゃん」
「ああ、おやすみ」
 彼の暖かさを全身で受け止める。
 優しく私を包んでくれる今日の彼の温もりを忘れないように、私からも彼を抱きしめる。
 無言の時間、静かな息づかい、まどろみに落ちていく意識。
 ゆっくりと時を刻んでいく時計の針の音を子守歌に、私は眠りに就く。
 今日よりもっと、あなたを好きになる、そんな明日を待ちながら。