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ToHeart Archive

ToHeart ~十年後も君を~

神岸あかり 誕生日記念SSです。ToHeart という作品に出会えたこと、彼女と出会えたこと、感謝することはいろいろありますが。
いつでも幸せに微笑んでいるであろう彼女の、ほんのひとときの時間ですが、お楽しみいただければ幸いです。

なお、軽い性描写を入れてありますので、その辺嫌いな方は閲覧をご遠慮ください。

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君にたくさんの花束を

君にたくさんの花束を

 どれだけ感謝しても、足りないから。
せめて、この花束を、君に送ろう。

「プレゼントで花束を贈りたいんですが……」
いらっしゃいませ、と入店するや否や女性店員に声をかけられた浩之は、思わず丁寧語で答えた。
意気込んでフラワーショップに足を踏み入れてみたものの、店内の雰囲気に圧倒され、いきなり及び腰になる。
「はい、どのような種類をご希望でしょうか?」
こういう場所は自分には不似合いではないかという思いを抱きつつも、知識のない自分は誰かに相談するしかないのは事実。専門の販売員なら、相談 相手としては至上であるし、そもそも浩之の個人的な事情まで詮索するわけではないのだから、気後れする必要はないと分かってはいるのだが。
明るい店内にところ狭しと配置される種々雑多の花々。今日この時まで、誰かに花を贈ろうなど思いもしなかった浩之にとっては、さながら花咲き乱れるジャングルといった様子である。
「う~ん」
思案顔のまま、店内を見渡す浩之を見て、店員は少し微笑ましく思う。
高校生くらいだろうか? 照れくさそうな仕草と、口ごもりながらプレゼントと言った様子から、多分、恋人に贈るんだろうと、自然に正答に辿り着く。自分から見れば弟のような年代の少年を、懐かしく思いながら次の言葉を待つ。
「あ~、こんなんなら、何が良いかあかりに訊いてくるんだった」
根を上げたのか、大きく嘆息し、申し訳なさそうに浩之は店員を見る。
「もしよろしければ、ご相談に乗らせていただきますよ?」
もう少し、この少年の様子を楽しんでみても良いかなと、意地悪な思いも浮かぶものの、自らの職務を放棄するほどこの仕事を軽んじてはいない。
興味があるなら、これから訊けばいいのだから。
渡りに船の申し出に、少年はようやく肩の荷が下りたとばかりに緊張の色を薄める。決して真面目そうではないけれど、まっすぐな瞳はどこか人を惹 き付けるようなものを感じる。ほんの少しの会話でも、斜に構えているようでいて、相手への思いやりが言外に含まれていることも理解できた。
あかり、というのが彼の恋人の名前だろうか。お客さまのプライベートをあまり詮索する必要はないのだが、学校帰りに学生服を着込んで、単身プレゼントを買いにやってくるような、この少年の一生懸命さを店員は好ましく思った。
「お送りになる相手は、女性の方でよろしかったでしょうか?」
「あ、はい」
独り言をつぶやきながら、店内を眺めていた様子を見られたことに、わずかに恥じ入りながらも浩之は答える。
「いつも、世話になってるヤツがいて、そいつの誕生日、今日なんです。こういうの初めてだから、どんなの選んで良いか分からなくって」
「そうですか。あの、不躾な質問かも知れませんが、その方はお客さまの」
「あ~、まぁ、そんな感じです」
店員が皆まで言うよりも早く、言葉を遮るように浩之が答える。
他人からそういうことを訊かれることに、慣れないし、ましてプレゼントに花束なんてらしくないことを考えている自分が、やたら恥ずかしいことをしているんじゃないかという錯覚する。
「そうですね、でしたら定番ですが、薔薇などがよろしいかと思いますが」
色や種類で薔薇も様々な品目があるが、恋人へのプレゼントならローテローゼが定番中の定番である。これまでも、この花を購入されるお客さまは多数いたし、これからも絶えることはないだろう。
「この赤い薔薇などいかがでしょうか? 一番人気ですし、女性に贈るならこちらが喜ばれるかと思いますよ」
「ふ~ん」
「あとは、かすみ草を一輪加えて、メッセージカードなど添えられてはいかがでしょうか? 本数は特に決まっているわけではありませんが、お誕生日のプレゼントでしたら、年齢と同じ本数を差し上げるのがよろしいかと思います」
「なるほど」
薔薇にかすみ草? その組み合わせに何の意味があるのかは浩之には分からない。相手は販売のプロなのだから、浩之が選ぶのよりは間違いはないだ ろう。それに、定番といわれているのには、それなりに理由があるのだと思うし。時流に合わせたように流行廃りがあるようでは、定番とはいえないのだから。
「分かりました。じゃ、それでお願いします。いくらくらいになりますか?」
「ありがとうございます。薔薇は何本になさいますか?」
「あ、えっと、十八本で」
「少々お待ちください」
店員はエプロンに忍ばせていた小型の電卓を取り出して、手早く金額を算出する。薔薇が十八本、かすみ草、ラッピングその他、締めて……。
「お待たせしました。こちらになります」
液晶に表示される黒色の数字を見て、浩之は思わずうなり声を上げる。
「げ」
予想より結構する。花って、こんな高かったのかよ。
「そうですね、こちら、単価の方はそれほどでもないのですが、本数がまとまっておりますので」
浩之の内心の焦りを察しつつも、とりあえずはマニュアル通りの対応を。
実際の金額は、浩之が驚くほど高いわけではない。単に、花束イコール安価でお手軽などと思っていた代償なだけである。今後は相場もよく調べてからプレゼントも選ぼうと、ほんの少しだけ反省しながらも、ここまで来て後に引ける浩之でもない。
「いえ、それで構いません。お願いできますか」
「ありがとうございます。それでは先にお会計よろしいでしょうか」
言って、レジカウンターへ浩之を案内する。
「花の方はただいまラッピングさせていただきますので、しばらくお待ちください」
そう言って軽やかにテンキーに指を走らせ、売上を立てていく。
「それでは、お会計、こちらになりますね」
「あれ?」
数字が先ほどの見積もりよりも、わずかながらも小さくなっている。
「あ、少しだけおまけさせていただきますね。またの機会がありましたら、ぜひ当店をご利用ください」
「あ、すいません」
「どういたしまして」
紙幣で支払い、硬貨で釣りを受け取る。とりあえず、予算内に収まったことは喜ばしいが、当分は節約生活が続きそうだ。
まぁ、受験生がそれほど娯楽にお金をつぎ込める時期じゃないのは重々承知。さらにいうならば、誕生日にプレゼントとか浮ついたことが言える余裕もないのだけれど。
「お待たせしました。痛まないようにセロファンで包んでおきましたが、お渡しする際には外してからにしてください。それとメッセージカードもございますが、一言、お客さまの気持ちを添えて、お渡ししてはいかがでしょうか?」
何から何まで出来合いでは格好が付かないかも知れない。
せめて、お祝いの一言と、それとなかなか口には出せないが、感謝と素直な気持ちを書こう。
店員からペンを受け取り、筆を走らせる。内容を見られるのはさすがに恥ずかしいので、気を利かせて店内を眺めるように視線を逸らしてくれたのは正直ありがたかった。
書き終えたカードを、二つ折りにして店員に渡す。
「はい、確かに。それではこちらが商品になります。お気をつけてお持ち帰りください」
「はい。いろいろありがとうございました」
軽く頭を下げてから、ラッピングされた花束を受け取る。
柔らかなピンク色の包装に、薔薇の深紅に近いリボン。一輪添えられた白い花がひっそりと寄り添っている。
とりあえず、店の名前は覚えておこう。
店を出てから、一度振り返り店名を確認してから歩き出す。
まぁ、これが喜んでもらえるか、まだ分からないんだけどな。気がかりなのは、その一点だった。

§

このままあかりの家に向かうか、自宅へ戻るかの二択に、浩之は後者を選択した。
両親不在がかれこれ一年近く続くのに加えて、受験の追い込みもあって、神岸家の厄介になる回数が目に見えて増加していた。
あかりのありがたい申し出に、二つ返事で答えれば、彼女の母であるひかりも、家族同然に迎え入れてくれる。子どもの頃からの長い付き合いとはいえ、この年になっても変わらずに接してくれるのは、正直どれだけ言を尽くしても感謝しきれないとも思う。
ましてや、今の二人の関係は、単なる幼なじみのそれではないのだから。
今日の、この突然の思いつきだって、単なる勢いに任せた行動ではないと自分では思っている。
あかりの誕生日を祝うだけなら、毎年のように、志保や雅史といった、馴染みの面々で大騒ぎしていた。さすがに、入試を控えている今年だけは、自粛せざるを得なかったけれど、それを理由に何もしないという選択は、浩之は当然のこと、あの二人にも存在しないと信じていた。
柄にもないプレゼントの選択は、知らず知らずあかりを単なる幼なじみではなく、女性として意識した結果であることは言うまでもない。もちろん、 あかりの好きなくまグッズでも喜ぶだろうし、仮に「おめでとう」の一言だけだったとしても、彼女なら最高の笑顔で喜んでくれるだろう。それを良しととしな いのは、ひいては浩之個人のわがままでもある。
もしかしたら、浩之に余計な気を遣わせてしまったことを、申し訳なさそうに詫びるかもしれない。
もちろん、そんなこと言おうとすれば、浩之は実力行使でその口を塞ぐまでであるが。
そんなわけで、まったく似合ってない深紅の花束を抱えながら、浩之は少しだけ歩を早め自宅を目指す。
道行く人々の視線が、自身に向けられているのは気のせいだと、内に生まれる恥ずかしさを誤魔化すように。

誰もいない自宅の静けさになど、とうに慣れていた。
すぐに出かけるのだからと、靴を脱ぎ捨て、リビングに荷物を置いてから、自室へと駆け上がる。
夜の近い時間であるから、あかりの家でも夕食の準備が進められていることだろう。自分のことは、あまり気にしないでほしいと思うのだが、あの家の住人はどうにも浩之が来ないことには食事に手を付けようとしない。
結局、浩之が可能な限り余裕を見て神岸の家を訪ねることにしているのだが、今日は少し時間が危ういことに、少しばかり気を揉み始めていた。
制服を脱ぎ捨て、とりあえず適当に服を見繕って着替える。あとは食事を取って、勉強して、寝るだけだから、それほど気を遣うこともないだろう。普段通りの格好で、部屋を飛び出し駆け下りる。
厚手のコートを念のため纏い、それから財布と家の鍵、今日は忘れてはならない大切な荷物もある。全てが揃っているのを確認し、家を出た。
日は沈み、空の色が闇に染まるまでそれほど時間もかからないだろう。
ゆるみ始めた冬の気配も、二月の終わりにさしかかったとはいえ、この時間はまだまだ自己主張の手を休めない。
はき出す吐息が白く流れるのを脇目に、通い慣れた道を神岸家に向かって進む。すごそこである。
とりあえず、台詞の確認をしよう。
チャイムを鳴らせば、おそらくはあかりが出迎えてくれるだろう。いきなり渡しても良いものか、それとも家に上がってからの方が良いものか。慣れないものはするものではないとしみじみ思う。
とりあえず、当たって砕けてもあかりなら許してくれるだろうと、他人が聞けば自分勝手な結論を下し、押し慣れた呼び鈴を鳴らした。
「はいはい、あら、浩之ちゃん」
「あ、おばさん、こんばんはっす」
予想に反し、浩之を出迎えたのは、家主である神岸ひかり。
両親不在の間も、何かにつけて浩之のことを気遣ってくれる、ある意味母親以上に母親らしい人物である。あかりとのこともあるので、当然のように頭が上がらない。
「いらっしゃい、今日は遅かったのね。二人とも待ちくたびれちゃったのよ」
上品な微笑みを湛えたまま、ひかりは浩之を家に招き入れる。
めざといわけではないが、浩之が背後に隠すそれに、ひかりが気付く。もっとも、隠し切れてないそれに、気付くなと言えば、それは無理と答えるしかないのであるが。
「あら、わざわざありがとうね、浩之ちゃん」
「あ、いや。これくらいは……」
嬉しそうに礼を言われても、浩之は困ってしまう。
「でも、こんなのしか用意できなかったんですけど」
「あら、あの子にとっては浩之ちゃんから贈られる、それが一番嬉しいことなの、まだ分かってくれてないのかしら?」
「あ~、その、すいません」
「別にいいんだけどね。浩之ちゃんが選んでくれたんだから、きっと喜ぶわ。それにしても、奮発したわね、結構高かったんじゃない?」
隠すまでもないと、表に持った花束を嬉しそうに眺めながらひかりが問う。
「ま、去年は大したのをあげられませんでしたからね、今年は奮発ですよ」
「そうね、ありがとう。あ、ここで立ち話してもしょうがないから、早く上がってちょうだい」
「おじゃまします」
いつも通りの気安さに、緊張していたのは自分だけだったという事実に、肩の荷が下りたような安堵を覚える。
「あかり、浩之ちゃん来たわよ」
「あ、うんっ」
ぱたぱたと足音を聞き慣れた足音。
「浩之ちゃん、いらっしゃい」
「ああ、今日もごちそうになりに来たぜ」
「うん、いっぱい食べてくれると嬉しいな」
「ん、ゴチになります」
ついつい、あかりのペースに乗せられ、たわいもない会話がスタートする。
ぬるま湯みたいにいつまでも浸かっていられる、心地良さに満たされた空気。
油断すると、そのまま変な時空に引きずり込まれそうになるので、とりあえず我に返って、本日の最大の目標を達成することにする。
「あかり」
「なぁに? 浩之ちゃん」
勢いを付けて、眼前に突きつけるように差し出してしまう浩之。
もう少し、やりかたもあるだろうに、と内心毒づいても、時間は戻らない。
「え?」
「誕生日、おめでとう」
「あ」
だいたい、これくらいオレがすることを予想してたって良いじゃないか。
なんで、そんな惚けたような目でオレを見るんだ、あかり。
いつもいつも、オレにありがとうとか言ってるけれど、ホントはオレの方がその台詞を言わなきゃいけないんだから。
だから、今日、オレがお前にこの花を贈るのは、当然のことだし、お前に受け取ってもらわなきゃ困るんだ。
「あ、その、浩之ちゃん、これ、私に?」
「この家に、今日誕生日の人間が、お前以外にいるのか?」
これくらいは素直に受け取ってくれよと、浩之は深紅の花束を強引にあかりに手渡す。
「わ」
驚きの表情は喜色に染まり、そのまま崩れて……。
「あ~、泣くな泣くな。泣くんだったら、これはお前にはやらん。おばさんに渡すぞ?」
「イヤだよ。もう、私が貰っちゃったもん。お母さんにも渡さないからね」
「わーったよ。じゃあ、オレから取り上げられないように、しっかりしてろよ」
「えへへ、分かったよー」
あかりは浮かびそうになった涙をぬぐうためか、まなじりを袖でこすり、笑顔を作る。「でも、こんなの貰っちゃって良いの?」
「ああ、オレの気持ちと思ってくれ」
「えっ!?」
「ん?」
「あ、ううんっ、なんでもないよ。そうなんだー、えへへ……」
「何だよ、いきなり笑うと気持ち悪いぞ」
「もう、いいの。私は浩之ちゃんからプレゼントが貰えて、すごく嬉しいんだから。気持ち悪いなんて言わないでよー」
「まぁ、それは冗談だけど。いきなり笑い出すのは怖いから、外ではやめておけよ」
「浩之ちゃん次第だよ。こうやって、私を喜ばせる浩之ちゃんが悪いんだよ」
「そんなに喜ぶことか? ホントはもっと良いのにしたかったんだけど、ゴメンな」
「ううん、これがいいの。一番嬉しい。ありがとう」
あかりは、幸せそうにローテローゼの花束を抱きしめる。
「はい、あかりも浩之ちゃんも、そろそろいいかしら?」
「あ、すみません」
「あ、あはは……」
我に返りとたんに照れくさくなる浩之とあかり。
ひかりに一部始終を見られていたという事実は、二人を赤面させるには十分すぎるほどの威力を発揮した。
「じゃ、じゃあ、私、これお部屋に活けてくるね」
「ああ、さっさと行ってこいよ。遅くなってなんだが、オレもさすがに腹ぺこで限界かも」
「うん」
言って、階段を上り部屋へ向かうあかり。
「ほら、言ったでしょ」
「ええ。でも、あんなに喜んでくれるとは思わなかったですよ」
「そうね、浩之ちゃんには分からないかもしれないわね」
「何がです?」
「好きな女の子に、薔薇の花を贈るってこと。女の子にとっては特別なんだから」
そんなことを、あのフラワーショップの店員も言っていた。理由を聞いておけば良かっただろうか?
「どういう意味かは、教えてくれないんですよね?」
「あかりに訊いてみたら? そう簡単には教えてくれないと思うけど」
「でしょうね……」
志保あたりにでも訊いてみるか。アイツならあることないことまでペラペラ喋り倒してくれることだろう。
「はいはい、今日はせっかくなんだから、ゆっくりしていってね。別に今日くらい勉強おろそかにしても、私は許しちゃうから」
「さすがにそれは、マズイです」
でも、まぁ、年に一度だ。あかりが望むなら、いくらでも付き合ってやっても良いだろう。その分、明日は死にものぐるいで勉強? そんなの知ったことか。
階段を下りる足音が聞こえる。
さて、いい加減おじゃましよう。
浩之はいつになく豪華であろう食卓に期待を高める。
その前に、もう一度言ってやろう。
「あかり、誕生日おめでとう」
と。

花束を贈ろう。
君が隣にいる限り。
この、たくさんの花束を。
オレの想いと共に。いつまでも。

──了──

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ありがとう、をあなたへ

ありがとう、をあなたへ

 燦々と降り注ぐ暖かな陽の光に抱かれて、私たちはのんびりと、ようやく訪れた季節の匂いを楽しんでいた。
穏やかな風にのせて運ばれる、柔らかさに満たされた春の匂いはただ緩やかに、私たちを包み込むようにゆっくりと流れて行った。
何度こんな感覚を味わったのだろうか。
私はやっぱり春が好きなんだと、この季節を感じる度に思う。
ゆっくりと季節の移ろいを感じながら、だんだんと寒くなる一年の終わりを過ごし、そして迎えた新しい一年を雪や木枯らしと共に過ごし、雪解けの水溜まりや芽吹き始めた若葉たちや木々の蕾、こうして感じる暖かなそよ風。
そして何度も思う。
またこうして新しい季節の始まりを感じることができる事に。
こうして隣にいてくれる私の大切なひとに。
『ありがとう』
と。

§

風が舞う。
木々の梢を揺らして、若葉を優しく撫でながら。
私たちの髪を緩やかに揺らしながら。
「ん……」
私は小さく息を吐いた。
「どうした?」
眩しそうに空を見上げていた浩之ちゃんが私に訊いてきた。
「ううん」
優しげな笑顔のまま、私を見つめてくれる浩之ちゃんの笑顔に、私もありったけの笑顔で答える。
「気持ちいい陽気だなぁって」
「そうだな」
私も浩之ちゃんと同じように青い青い空を見上げた。
ときどき聞こえる小鳥達の囀りは、遠く近く私たちの周りでまるで輪唱のように響いて、雲の白は降り積もっていた雪を思い出させた。
雪解けの季節は少し前まで。
至る所に見えていた雪解けの水溜まりもほとんどその姿を消して、日陰にわずかに見られるくらいにまで減っていた。
寒さに震えていたつい先日までの出来事を思い出す。
コートに身を包んで、ともすれば滑りそうになる足元に気を付けて歩いたこの道。
足を滑らせて体勢を崩した私を慌てて支えながら苦笑した浩之ちゃんの笑顔が脳裏に浮かんだ。
「やっぱり寒いのよりはこっちの方がずっといいな」
「うん、そうだね」
「でも春休みもあと少しってのがちょっとな……」
「もう、高校の頃から言うことは一緒だね」
くすりと笑みを零しながら私は浩之ちゃんのグチに言葉を返した。
毎年言ってる口癖にも似たその言葉は、やっぱり私にとっては大切な、大好きなひとの言葉だから、こうして今年も浩之ちゃんの言葉が聞けた事が嬉しかった。
「私はでも、冬も好きだよ」
ホントは浩之ちゃんと過ごす季節が好きなんだけどね。
喉元に出かかった言葉を笑顔で飲み込みながら浩之ちゃんに言った。
「寒いのは苦手だけど、やっぱり雪って奇麗だからね」
「お前がドジをしなければオレだって嫌いってほど嫌いでもないぜ?」
してやったりの笑顔で私の台詞にツッコミを入れる浩之ちゃん。
「う……」
「毎年毎年飽きないよな」
「しょうがないよ。道路凍っちゃったら滑っちゃうもん」
「来年は何回お前が滑ったか数えてみようか?」
「意地悪だね」
「いつもの事だろ?」
「うん」
さり気なく私も反撃。
「言うようになったな」
「えへへ。毎度の事だもん」
「そっか」
「うん」
言って笑い合って。
こんな何気ない会話も、毎日を輝かせるための大切なかけらたち。
小さな小さな思い出も、きっとこんな日常から生まれるものだから。
だから浩之ちゃんの意地悪さも、優しさも、怒りも、哀しみも、全部同じくらい大切に思う。
私が好きなのは、そんな浩之ちゃん全部だから。
「学校、もうすぐだね」
「ようやく一年か。結構苦労したなぁ……」
「そんな事ないでしょ?」
「う~ん、まだ専門的な講義をやってないからそんなでもないけど、やっぱキツいわ」
「怠けちゃダメだよ」
「はいはい、お互いにな」
大学生になってもう少しで一年が経とうとしていた。
浩之ちゃんの頑張りもあって私たちは同じ学校へ進学することができた。
もちろん学部は違うけれど。
でも、やっぱり最初のうちは教養の講義とかで一緒になる事が多くて、そう気付いてからの後期では、示し合わせて一緒の講義を受けたりした。
隣り合ってノートを広げて、難しい話に耳を傾けていても、やっぱり私は隣の浩之ちゃんを意識してしまっていた。
うつらうつらと居眠りしそうになる浩之ちゃんをつついて起こしたり、ちょっとだけ退屈な時間はその日の夕食の話をしたり、休日の予定を打ち合わせたり、少し前までは考えもしなかった毎日がそこにあった。
考えてみれば高校の頃までは遠巻きに見つめていた事も多かったと思う。
朝の登校や、お昼、たまに一緒にした試験勉強とか。
でも、浩之ちゃんと一緒に過ごすようになって、毎日いろいろな表情を見せてくれる事が嬉しかった。
分かっていたつもりでもまだまだ分からない事も多くて、見えなかった浩之ちゃんの一面を見れた事がちょっと意外で、それ以上に嬉しかった。
もっともっと浩之ちゃんのことが知りたくて、私のことも知ってほしくて。
そう思って一緒の学校に進んで、ちょっとした頃に言ってくれた言葉。
『一緒に暮らさないか?』
唐突に、でも真剣にそう言われたのは真っ赤な夕日が空を焦がし始めるそんな時間。
夕日の紅さが目に染みて。
ただ頷く事しかできない私がそこにいた。
『今すぐ結婚、て訳じゃないけど。――ずっと一緒にいてほしいから』
『う……ん。うんっ!』
精一杯の笑顔で頷いた私を抱き締めてくれた浩之ちゃんの腕は、今までよりもずっとずっと大きく感じられた。
お父さんもお母さんも、最初はびっくりしていた。当然だけど。
結局、私の方から切り出して半ば強引に説得をしてしまった。
意外なところもあるもんだ、なんて驚きながら言った浩之ちゃんの表情がちょっと可笑しかったのを覚えてる。
浩之ちゃんのご両親は、ずいぶん前から浩之ちゃんの方から話があったらしくて、
『ようやくか、うちの浩之をよろしく頼むね、あかりちゃん』
なんて言われてしまった。
ちょっと照れ臭くて、でもとても嬉しくて。
私のことをずっと考えていてくれたんだって思ったら涙が溢れて。
困りながらも嬉しそうに笑い掛けてくれたおじさん、おばさんの笑顔は、多分私が知っている中でも一番輝いていたものだったと思う。
ずっと憧れていた浩之ちゃんとの生活。
変わった事も変わらなかった事も、たくさん、たくさん。
もともと一人暮らしに近かった浩之ちゃんと過ごした時間が長かったから一緒に暮らすっていう感覚に慣れるのもすぐだった。
さすがに最初の夜は緊張したけれど。
その分嬉しさとか、浩之ちゃんのために頑張れる私でいれる事の満足感も今まで以上に感じることができた。
ときどきは私の家で家族で食事したり、浩之ちゃんの家族が揃った時はみんなでお出かけしたり。本当にままごとみたいな楽しい生活。
辛かった事が全くなかったわけじゃないけど、その度に浩之ちゃんの優しさを感じることができた。
たまにはわがままを言って困らせたり、怒らせたり、その逆も。
でも、そんな事の度にお互いの想いの強さとかを実感できた。
少しずつ見えてきたいろいろな浩之ちゃん。
一緒にいれる事の楽しさや辛さ、本当にいろいろな事を感じた一年だった。
「早かったかなぁ?」
訊いてみる。
「ん?」
「この一年」
「まぁ、いろいろあったからな」
苦笑がちに浩之ちゃんが答える。
今でもあの事を話そうとすると照れて護魔化して、恥ずかしい思い出になっているようで。
「私にはいい思い出ばかりだよ」
「そっか」
「浩之ちゃんの本気も見れたしね」
くすくすと笑いが零れてくる。
「ばっ……」
浩之ちゃんは言葉を詰まらせて外方を向いてしまう。
照れた時、困った時に決まって見せる浩之ちゃんのクセ。
「ふふ」
「その時の話はするなって」
「私にとっては一番嬉しかった事だもん。忘れろって言っても忘れられないよ~」
「だからその話をするなって」
ため息混じりにぽつりと呟いて、もう一度さらに深いため息。
「私は幸せだよ? こうして一緒にいられるのも浩之ちゃんのおかげだから」
「う」
「浩之ちゃんは違うの?」
分かってて訊いてしまう私。
私も随分浩之ちゃんに対して意地悪できるようになったと思う。
「はぁ……」
さっきよりも深いため息。
「ね?」
「言わないとダメなのか?」
「う~ん、どうしようかなぁ」
浩之ちゃんの顔が少しだけ赤くなってるような気がするのは錯覚?
多分、ホント。
照れ屋さんな浩之ちゃんだから。
「やっぱり、言ってほしいな」
優しくそよ風が吹き抜ける。
太陽は雲に隠れ、そしてまたすぐに顔を覗かせる。
さっきよりも眩しさを増したような陽射しが辺りを白く彩った。
「ダメ、かな?」
声のトーンを少し落としてもう一度訊いてみる。
弱ったような浩之ちゃんの表情。
でも、訊きたいから。
お願いだよ、浩之ちゃん。
「しょうがねーな」
「ふふふ……」
頭に手をやって掻く振りをしながら一言ぽつりと。
地面に落ちた若葉の影が静かに音もなく揺れた。
「オレもお前と一緒にいれて幸せだ」
「――うん」
「だから……」
「? 浩之ちゃん……?」
予想外の展開に私の心に疑問符が浮かんだ。
辺りから音が消えたような不思議な感覚。
浩之ちゃんの表情に、言葉を紡ぐ唇に、私の神経が集中した。
「これからも一緒にいてくれ。オレからのお願いだ。お前がいてくれれば、オレも頑張れるから」
滅多に聞けない浩之ちゃんの本心。
言葉にしてくれなくても伝わる事もある。
でも、こうして言ってくれる事がどんなに嬉しいか、考えた事ある?
ねぇ、浩之ちゃん?
ホラ、私も……。
「――うんっ」
こんなに、嬉しいよ。
涙が溢れてくるよ、嬉しさと幸せで。
春風にのせて流れる小鳥たち歌声、そよ風の囁き、木々のざわめき、小川のせせらぎ。
「私も……っ」
「あかり……」
「ずっと……一緒にいてね、浩之ちゃん」
素直になれた私がいた。
いつもよりもずっと自然に、わがままを、でもこれだけは叶えてほしいと思う、たったひとつの願いを口にして。
浩之ちゃんを信じてる。
「ったく、何度も言ってるだろーが」
くしゃりと私の頭に手を乗せて優しく撫でる。
一年前よりも少しだけ伸ばした髪の毛が、さらさらと浩之ちゃんの指を流れ零れた。
「うん……。でも……うれし……よっ」
心の中に広がる浩之ちゃんへの想い。
暖かな思い出と、これからのふたりの未来への希望。
ずっと信じている事ができると思う。
確証じゃないけれど。
でも、私たちふたりの願いだから。
きっと大丈夫。
信じてるから。
「これでいいか? ったく恥ずかしい事言わせやがって」
「う、うん。ゴメンね、でも嬉しいよ……やっぱり」
こつん、と浩之ちゃんが優しくこづく。
「あっ」
「滅多な事言わせるなよな、あかり」
「えへへ、また嬉しい思い出ができちゃったよ」
頬を濡らした涙を、私はそっと手の甲で拭った。
涙の跡は少し冷たくて、でも、陽射しに溶けて暖かさに変わった。
微笑む浩之ちゃんがいる。
大好きな大好きな、私の大切なひと。
そんなひとと歩いた眩しい季節が始まった日、私の心に新しい思い出が刻まれた。
それは甘くて切ない、涙色の言葉と情景。
こんな日常の風景さえも、色づいて私の中にいつまでも残るのだろう。
だから。
「じゃあ、私からも」
ずっと信じてるね。
私も一緒にいるって約束するから。
そう言って私は浩之ちゃんの両肩に手を添えて、つま先立ちで背伸びした。
「ん……」
優しく触れる互いの唇。
暖かさと陽の匂い。
そして大好きなひとの温もりと。
『愛してる』
伝わる気持ちが嬉しかった。
それは。
春の訪れを心から感じた。
そんなある日の出来事。
浩之ちゃんへの想いがさらに深まった。
そんなある日の出来事。
ありがとう、ね。

──了──

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新しい夜明けに

新しい夜明けに

――新しい夜明けに――
――はぁ……
白い息が澄み切った冬の空気に溶け霞んで消えた。
「もうちょっとだね」
「ああ」
言葉は少なくてもそれだけで十分な。
そんな雰囲気に包まれて。
「いろいろあったね、今年も」
「ああ」
それだけで。
想い出は言葉にしなくても。
瞳に映るお互いの姿を見つめて。
巡る季節の色に想いを馳せて。
刻み込んだ想いを確かめ合い。
共に歩んできた一つの時が。
今。
終わろうとしていた。
「どう? いい一年だった?」
「そうだな……」
答える代わりに。
「――あ……」
肩を抱き寄せ少しだけ冷えたお互いを温め合う。
温もりと温もり。
厚いコート越しにも互いの温もりが暖かくて。
「お前はどうだった?」
「もうっ。すぐごまかすんだから」
拗ねたような微妙な笑顔が眩しくて、愛おしくて。
「うん?」
照れ隠しに笑顔で濁し。
「ふふふ……」
見透かされたように微笑まれて。
「まぁ、いい年だったよ、な」
少しだけ本音で。
心からの言葉。
「うん」
「楽しかったからな」
風が吹く。
身を切る冷たさを運び、街を駆け。
「そうだね」
新しい一年の予感を感じさせながら。
「いろいろあったよね」
「ああ」
「私も。すっごく楽しかったよ」
きゅっ、と回した腕に少しだけ力を込めて。
少し赤く染まった頬と、細めた瞳で見上げて。
「もうすぐだな」
「――うん」
次第に高まる周囲の喧騒は、けれど遠くて。
ただ。
静寂にも似たふたりだけの穏やかな時間が。
ただ。
かけがえのないもので。
「――あっ」
一気に盛り上がる興奮と熱気。
歓声。
口々に楽しそうに言葉を交わす人波の中で。
「あけましておめでとうっ」
満面の笑顔で。
本当に幸せそうな笑顔で。
「今年もよろしくねっ」
少しだけ背伸びして耳元で聞こえた元気な声に。
「ああ」
オレも笑顔で。
一番たいせつなひとに。
「今年もいい年にしような」
挨拶がわりの優しいKiss。
真っ赤な顔で驚いて。
涙を浮かべて。
微笑んで。
「うんっ」
答えたこいつの笑顔が。
今年最初の想い出だな。
そう思った。

──了──

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空を見上げて

空を見上げて

「ほらほら、浩之ちゃん~。綺麗だね~」
「ああ」
「もうちょっとで頂上だよ」
「おう」
「えへへ~」
「しっかし、元気だな、あかり」
「うんっ」
「ま、あとひと頑張りしますか」
「うん、頑張ろうね、浩之ちゃん」

§

それは何気ないあかりの一言から始まった。
『ねぇねぇ、浩之ちゃん』
『ん? 妙に機嫌がいいな、なんかいいことでもあったのか?』
『えへへ……』
『で、どうしたんだ?』
『今週末って、三連休だよね』
『そう言えばそうだったな』
『それでね、一日空けられないかなぁ?』
『まぁ、別に構わないけど。どうせ暇だしな』
『暇って……。私たち一応受験勉強もしないとなんだよ~』
『イヤ、だからさ……。たまの息抜きってことだろ?』
『あ……。うん、そうだね』
『で、どっか行こうってことか?』
『うん。ダメかなぁ……?』
『ば~か』
『え?』
『せっかくの息抜きなんど、お前と一緒だったらどこだってついて行ってやるよ』
『えへへ~』
『な、何だよ』
『ありがとう、浩之ちゃん』
『だから、礼なんていいって言ってるだろ』
『あ、うん。そうだね』
そう言って微笑んだあかりの頭をオレは優しく撫でた。
恥ずかしそうな、それでいて幸せな微笑みを見れることが、オレにはこの上ない幸せだった。
春、夏とオレたちは猛勉強を重ねていた。
今まで怠けていた分を取り戻すのは並み大抵の努力では足りないことが十分に分かっていたから。
あかりも、オレも、高校を卒業してからの進路については、それまであまり話もしなかったこともあって、かなり悩んだことも事実だった。
ただ、オレたちのこれからのことを考えると……。
高校卒業したてで、あかりを幸せにしてやる確信が持てなかった。
もちろん、仕事に就くことも考えたりもした。
この就職難の時代とは言え、選り好みをしなければ少なくとも生活費を稼ぐことくらいはなんとか出来るだろうし。
未だ出張がちで滅多に家に帰ってこない両親のことを考えれば、オレの家でふたりで暮らすのも悪くないと思っていた。
オレには将来の予想図というものが、漠然としか浮かんでいなかったのかも知れない。
『なぁ、あかり』
『何、浩之ちゃん?』
『お前さ、高校卒業したらどうする?』
『どうするって……?』
『進学するとか、就職するとか、いろいろあるだろ?』
そう、あかりに訊いたのは、桜の季節ももう峠を越えた頃だった。
『私は多分、進学すると思うよ』
『そっか……』
『浩之ちゃん?』
『何だ?』
『進路、迷ってるの?』
『まぁ、そういう事だな……。オレってこれといって何かに打ち込んだこともないし、勉強だって大してできないからな。進学って言ってもいまいちピンと来ないんだよ』
『浩之ちゃん、勉強したいことってないの』
『よせよ……。オレには縁のない事だよ』
『でも、何かないの……?』
舞い散る桜と青く澄んだ空。
喧騒が遠のく放課後の教室。
あかりと机を向かい合わせて頬杖をつきながら見たあかりの表情は、いつになく真剣なものだった。
『浩之ちゃん、今までだっていろいろと頑張ってきてたと私は思うよ』
『ただ、何がしたいか見付けられないだけなんだよね?』
『三年生になっちゃって、時間も少ないかも知れないけど、一緒に考えようよ』
『私は、浩之ちゃんが選んだことならそれを応援したいから』
『だから……』
『浩之ちゃん』
『あとで後悔しないように、一生懸命考えようよ……』
『ね? 浩之ちゃん』
あかりはオレのことを真剣に応援してくれていた。
そのことに気付いたのはその時だったのか、あるいはずっと昔からだったのか、それはオレにも良く分からない。
ただ、そんなあかりの想いも考えずにオレはただふたりでいられればいい、としか思っていなかった自分が余りに情けなく思えた。
いつもはオレを頼って、オレに甘えて、オレのそばで笑ってくれていたあかり。
そんなあかりの優しさに、寄り掛かって、あかりのことを思いやるつもりで、それでいて何もできずにいたのはオレの方だった。
沈黙と遠く聞こえる部活動の活気に満ちた掛け声。
『オレは……』
『あかりといれればいいとしか思っていなかった』
『進学も就職のことも今の今まで真剣に考えていなかったかも知れない』
『今のオレにはしたいこともないし、自分が何になりたいかなんて事も全然思いつかないんだよ』
『こんな中途半端なままでいちゃいけないっての事も分かってるけど』
『オレには何が出来るんだろう……』
初めて真剣に考えた。
オレの事、あかりの事、将来の事。
考えはまとまりもしなかった。
堂々巡りの思考のループ。
結局、オレには自分のことすら満足に分かっていなかった。
『浩之ちゃん……』
『あかり……?』
『私も浩之ちゃんの側にいられれば幸せだよ。でも、浩之ちゃん、私のことばかり考えてて、浩之ちゃん自身の事をあんまり考えられなかったんじゃないかな?』
『……』
『浩之ちゃんのそういう優しい所、私もすごく大好きだけど、でもこれからの事を考えると浩之ちゃん自身のことも真剣に考えなきゃいけないと思うんだ』
『そうだな……』
『浩之ちゃん……』
『ああ』
『勉強、頑張ってみない?』
『今からか……?』
『うん。私も一緒に頑張るよ。先のことなんてまだ決めなくてもきっと大丈夫だから。でもね、何をしたいか分からない、って理由だけで自分の中で勝 手に区切りを付けちゃダメなんだよ。最後まで考えて、悩んで、間違ったっていいよ。私だって今こんな偉そうなこと言ってるけど、浩之ちゃんとおんなじ。進 学して何が出来るか、何になれるかなんて、全然見えてないんだよ』
『……』
『だから、これからも一緒に考えようよ。一緒に頑張ろうよ。私はね、浩之ちゃんと一緒だったらきっと大丈夫だから。今までだってずっと浩之ちゃんに助けられて来たんだから。こらからだってきっと大丈夫だよ』
『そんなことない……』
『え……?』
『オレもお前に頼りっぱなしだったんだよ。いつだって、当たり前にいるお前に知らないうちに甘えてたんだ』
『そんなこと……』
『実際、今お前の話を聞いてはっきりと分かったよ。このままじゃオレだけじゃなくて、お前にもきっと迷惑を掛けちまう』
『浩之ちゃん……』
『だからさ……』
『うん』
『オレも頑張るわ』
『え?』
『先の事なんて分からない、だから今を頑張る、だろ? ありがとな、あかり。お前のおかげだよ……』
『ううん……』
『やっぱ、お前がいないとダメみたいだな、オレ』
『えっ?』
『だからさ』
『う、うん……』
『これからも、オレの側にいてくれって事だよ』
『浩之ちゃん……』
『まぁ、オレが単にお前の側にいたいってだけかも知れないけどな』
『ううん……。浩之……ちゃ……。嬉し……よ』
『ば、バカ……、こんなとこで泣くなよ』
『え……う、うん……。えへへ……』
『と、とりあえず、オレも頑張るから、勉強よろしくな、神岸あかり大先生』
『――イヤだよ』
『何ぃっ!?』
『えへへ……、ウソ』
『はぁ……、脅かすなよ~』
『あっ……! ヤだ~』
『ば~か、オレをからかうからだ』
『うぅ、ゴメン……。でも、浩之ちゃんも私のこと先生なんて呼ばないでよ……。一緒に頑張るんだからね』
『――あ。悪ぃ……』
『ううん。私も浩之ちゃんにきっといろいろ教えて貰うことになると思うからおあいこだよ』
『そうなるように頑張るわ……』
『うん、頑張ろうね』
季節が流れていた。
穏やかな春。
静かな雨音に包まれた梅雨。
陽射しが眩しさを増し始める初夏。
刺すような眩しさに目を細める暑い夏。
そして。
穏やかな季節の中。
変わらぬ生活。
少しだけ変わったふたり。
受験の勉強の辛さも、少しだけ和らげる。
あかりと一緒なら。
受験の勉強の辛さも、きっと頑張れる。
あかりがいてくれるなら。
「はぁ……、ようやく到着かよ」
「うん、やっと到着だね」
太陽は南の空高く、オレたちを照らす。
少しだけ暑さを感じさせる陽射し。
流れる雲と、草葉を揺らす優しい微風。
火照った肌に浮かんだ汗をゆっくりと撫でてくれる初秋の風に身を任せ、オレたちは久々に羽を伸ばしていた。
「はい、浩之ちゃん」
「お、さんきゅ」
ほどよく冷えた紅茶を喉に流し込み、一息付く。
「は~」
「ふふふ、オジさんみたいだね」
「ほっとけ」
「お弁当、どうしよう?」
「う~ん、もうちょっとゆっくりしてから」
「うん」
「なんだか落ち着くね」
「そうだな……。たまには息抜きも必要だな、やっぱり……」
「うん」
「最近、調子はどうだ?」
「うん、悪くないと思うよ」
寝転がって空を見上げたオレを楽しそうに見ながら、あかりが言った。
「浩之ちゃんは?」
まぁ、お約束の質問だな。
「オレも、まぁ、悪くはないと思う」
「うん。浩之ちゃん、とっても頑張ってるもんね」
「お前のおかげだけどな」
苦笑がちにあかりを見つめる。
風に揺れる赤い髪と黄色いリボン。
幸せな微笑み。
細めた瞳。
「私も浩之ちゃんのおかげかな」
言って、えへへ……、といつもの照れ笑い。
「いいお天気だね」
「ああ、晴れて良かったよ」
「うん、気持ちがいいよ」
緩やかな風に運ばれてくる季節の匂い。
気持ち良さそうに身体を伸ばしていたあかりが、
「こうやって空見てるとオレたちって小さいよな」
「綺麗な空だね」
果てしない深さと広さの青さ。
こんな風にゆっくりと空を見上げるなんて随分としていなかった。
吸い込まれそうな青。
目に染みるくらいの青。
流れる雲。
溶けゆく白。
「今日はこうやってずっと空見ててもいいかもな」
「うん……」
「今日はあかりに感謝だな」
不思議そうにオレを見る。
「こうやってのんびり過ごすのも、たまには悪くないだろ?」
「うん」
「だから、感謝」
「ありがとう」
――でも、明日は勉強だよ。
そう言ったあかりにオレは苦笑して。
「はいはい」
くすっ、と少しだけあかりが可笑しそうに笑った。
静けさ。
暖かさ。
優しさ。
時間と白い雲だけがゆっくりと流れる。
「私も、横になっちゃおうかな……」
「ん?」
「浩之ちゃん、気持ちよさそうだし……」
少し恥ずかしそうに。
「私も浩之ちゃんと同じ空を見たいよ」
少し照れ臭そうに。
「そうだな」
オレの言葉に頷いて。
「うん」
ころん、とその小さな身体を横たえた。
それにあわせてオレも腕を伸ばし腕枕。
「あ、ありがとう……」
「いつものことだろ?」
「――もうっ」
腕に心地いいあかりの重み。
「わぁ……」
吸い込まれそうな青。
「綺麗……」
目に染みるくらいの青。
「来て、良かったよ……」
溶けゆく白。
「ああ……」
「あとで、お弁当食べようね」
「ああ」
「でも、まだこうやって空を見てていいよね」
「ああ」
「浩之ちゃん」
「ん?」
「ありがとう……」
風がそよいでいた。
雲が流れていた。
暖かな陽射しが降り注いでいた。
穏やかな風に抱かれ。
暖かな陽射しに包まれ。
「――ば~か」
「うん……」
空を見上げて。

──了──

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