遥かに仰ぎ、麗しの

~ゆめでもすきとささやいて~


1.

 目を開くと殿ちゃんの顔がすぐそこにあった。

「と、殿ちゃん?」

「こんばんは、梓乃」

 わたくしに覆い被さるような殿ちゃんの体勢。

 殿ちゃんの身体を支える両手は、わたくしの頭を挟むように置かれていて。

 ――まるで、わたくしを逃がさないようにしているよう。

 状況が理解できないわたくしは、ぱちりぱちりとゆっくりとまばたきをふたつ。

 やっぱり目の前にあるのは、わたくしのよく知る殿ちゃんの顔。

 けれど、今の殿ちゃんの表情を、わたくしは知らない。

「え、えっと、殿ちゃん、どうしたんですか?」

 時計の針を確認しようと頭を動かそうとするけれど、なぜかわたくしは殿ちゃんの視線から目を逸らせないでいる。

 もう、ずいぶんと遅い時間のはず。学院生たちは、一部のひとを除いて自室で眠りに就いている時間のはず。

 殿ちゃんが、わたくしの部屋を訪れる時間でないことも、はっきりと理解できている。

「と、殿ちゃん……?」

 わたくしの問いかけに、答えを返してくれない殿ちゃん。どうしたのだろう?

「梓乃……」

 普段の落ち着いた彼女からはとても想像もできないような、とろけるような甘さを含んだ、囁きにも似た声が私の名前を呼んだ。

「は、はいっ」

 わたくしは殿ちゃんから目が逸らせない。

 緊張からか、知らず知らず呼吸が速くなる。

 静まりかえった室内に響くように聞こえる、自分自身の呼吸の音が耳に痛い。

 そして、わたくしを見つめたまま告げられた、殿ちゃんの言葉に、わたくしは答える術を失った。

「……夜這いに来たよ、梓乃」

 夜這い――他人の寝床に忍び入って情を通じること。

 どこで得たのかも分からない知識が浮かび、その意味を理解したとたんに混乱に拍車がかかる。

 疑問符だけが意識を塗りつぶし、呼吸することすら忘れたように私は身じろぎひとつできず、殿ちゃんを見つめ返すだけ。

 殿ちゃんは何を言っているのだろう?

 殿ちゃんが、わたくしに?

 いや、そもそも、男性が女性の元へ訪れて、その……することが、夜這いなのではないのだろうか?

 殿ちゃんは間違いなく女の子なのに、どうして、わたくしに対して、そんなことをしようとするのか?

「ど、どうして?」

 ようやく、わたくしの口から問いかけの言葉が零れ出る。

「梓乃が、好きだから。それだけじゃ理由にならない?」

 そう言って、殿ちゃんは、わたくしが見たこともないような艶めかしい表情を浮かべ、言葉を続ける。

「ねえ、梓乃? 梓乃は私のこと嫌い?」

 そんなことは絶対にないと断言できる問いかけのはずなのに、混乱のただ中の私が言葉にすることができたのは、ほとんど意味のないもので。

「と、殿ちゃん……。わたくしは……」

「梓乃。お願い。答えて?」

「な、何をですか?」

「梓乃は、私のことが好き? それとも、嫌い?」

 殿ちゃんの言葉にわたくしは縫い止められている。

 けれど半ば自動的に、わたくしは殿ちゃんが望んでいる言葉を彼女へ返す。

「す……好き、です」

 その答えに満足そうな微笑みを浮かべる殿ちゃん。

 まるで、わたくしがそう答えるのが当然であるような自然さで。

 きっと、それは、わたくしが殿ちゃんの望みを断ることなどできないという、確信から生まれたものなのだ。

 だから、殿ちゃんはわたくしの好意の言葉を受け取り、さらなる行為で返してくる。

 少し冷たく感じる彼女の手のひらが、私の頬を撫でる、その行為で。

「嬉しい、梓乃、ありがとう」

 わたくしが置かれているこの状況は、明らかにおかしい。

 けれど、わたくしの身体は、わたくしの意識と切り離されたように、指先ですらわたくしの意志に応じず、ぴくりとも動こうとしない。

 ただ、胸の奥で早く強く鳴り響く鼓動が、わたくしの内側から身体に熱を帯びさせて行く。

 ひやりとした殿ちゃんの手のひらが、その冷たさと、なめらかさの軌跡をわたくしの肌に刻んで行く。

 頬を伝い、首筋を撫で、さらに下へと降りて行こうとする。

「ま、待ってください、殿ちゃん」

「何? 梓乃」

 不思議そうに殿ちゃんが、わたくしの瞳を見つめ返し問うてくる。

 お互いの瞳の中にお互いの顔が映りそうなくらいの距離で。

 わたくしの疑問そのものの意味が分からない様子で、そうすることが当然なのに、なぜ止めるのかという表情で。

「あ、あの、どうして……?」

「言ったでしょ、梓乃。夜這いに来たの」

「よ、夜這いって、殿ちゃんそれは……」

「私は梓乃が好き。梓乃も私が好き。だから、問題ないよね?」

 わたくしと殿ちゃんは女同士です。

 そう言いたいのに、どうしても彼女の行為を拒絶する言葉が口にできない。

 それとも――口にしたくないのだろうか、わたくしは?

「で、でも……」

「梓乃。嫌なら嫌で私を拒絶してくれてもかまわない。でも、そうする前に考えてほしい。梓乃は、私のことが嫌い?」

 つきん、と殿ちゃんが「嫌い」と言うたびに、胸に痛みを覚える。

 殿ちゃんが、わたくしに向けて言うとは夢にも思わない言葉。

 だからこそ、わたくしの答えも変わることはなくて。

「好きです。嫌いになんてなりません。なれるわけがありません!」

「じゃあ、もう一つ答えて?」

 そう言ってみせる、わたくしの知らない表情。

 女の子の殿ちゃんとは違う、多分、これは女としての鷹月殿子の表情。

 知らなかった彼女の一面をこんな状況で見せつけられて、なのに、わたくしは彼女のそんな表情をもっと見てみたい、そんな風に思ってしまう。

 ああ。

 落ちて行く。堕ちて行く。

 わたくしは殿ちゃんという静かな泉へ落ちて行く。

 そうしたら、きっと、わたくしは溺れてしまう。

 息ができなくなるくらいに、殿ちゃんに溺れてしまう。

 もう、息継ぎもできないくらいに、深く沈んでいってしまう。

「私は梓乃が欲しい」

「っ!」

 息をのむ。

 殿ちゃんがわたくしを求める、その言葉とその意味に。

「ねえ、梓乃? 答えて? 梓乃は、私が欲しい?」

「と、殿ちゃん……」

「教えて、梓乃。梓乃の気持ちを。梓乃が望むなら、私をあげる。全部あげる。だから、梓乃を私にちょうだい?」

「わ、わたくしは……」

 言ってしまえば楽になれる。

 わたくしの頭の中のどこかで、わたくしではないわたくしが、ひっそりと囁きかけてくる。

「梓乃、怖いの?」

「え……?」

「私に触れられるのが怖い? それとも、私に触れるのが怖い?」

 怖い?

 違う。こうして彼女に組み敷かれている状況でも、わたくしの中に恐怖という文字は浮かんでいない。

 ただ、戸惑いがあるだけ。混乱があるだけ。

 なぜ突然、殿ちゃんがわたくしを求めてくるのか、その理由がわからないから。

 ……だから?

 だから、わたくしは、戸惑っている? 殿ちゃんにではなく、この状況に?

 わたくしは、わたくしは、どうしたいのだろう。

「怖くないよね、梓乃?」

 だって。

 そう言って、殿ちゃんが瞳を閉じて、わたくしへと近づいてくる。

 一瞬のはずのその動作が、わたくしには、とてもゆっくりと見えて。

 なのに、彼女から逃げることなどできなくて、逃げようと、そう思うことすらできなくて。

 わたくしと殿ちゃんの唇の距離がゼロになるまで、彼女の顔から視線を逸らすこともできず。

 わたくしは、初めての口づけを、殿ちゃんと交わした。

「ん……」

 触れた唇から殿ちゃんの暖かさが伝わる。小さく漏れた吐息がわたくしの唇を撫でた。

 ほんの少しの接触なのに、わたくしは、殿ちゃんの、女の子の、唇の柔らかさをどうしようもなく感じてしまう。

 見開いたわたくしの瞳は、静かに目を閉じたままの殿ちゃんの間近の表情をぼんやりと映している。

 夢見るような優しさと、陶然とするような艶やかさがない交ぜになったその表情が、わたくしの深いところにある何かを揺さぶるのが分かった。

「は……」

 わたくしと殿ちゃんの初めての口づけは、たぶん数秒の出来事。

 耐えきれず、口端からこぼれた意味を成さない声を聴いてから、殿ちゃんの唇が離れて行く。

 そうして、ゆっくりと彼女が目蓋を上げ、わたくしを見つめ微笑むのを、わたくしは彼女の唇に釘づけられたままの視線の端に捉え。

 そして、離れてしまった唇を、惜しい、と思ってしまった。

「どう、梓乃?」

「……えっ?」

「怖くないでしょう?」

「……あ」

 殿ちゃんにそう言われて、ようやく気付く。

 わたくしが、誰かとここまでの接触を許すなんて、今までなかったということを。

「私は、少し怖かったよ?」

「え? 殿ちゃん……?」

「梓乃に拒絶されることが。こんな風に梓乃に触れたら、怖がられるんじゃないかって、それだけが怖かった」

 わたくしは、どうなのだろう?

 殿ちゃんとの口づけのほんの一瞬で、わたくしは何を思ったのだろう。

 殿ちゃんの柔らかさを、温かさを、彼女の香りを、こんなにも近くで感じて、わたくしは……。

 『惜しい』そう思ったのではないか。

「わたくしは……。殿ちゃん、わたくしは……」

 ああ、この気持ちをどうやって言葉にすればいいのだろう。

 わたくしには殿ちゃんに向ける次の言葉が見つけられない、何も言えない。

 言葉を口にしてしまったら、殿ちゃんが壊れてしまいそうだから。

「良いの。梓乃は、何も言わなくて良いから」

 殿ちゃんの細くてしなやかな人差し指が、わたくしの唇に触れて言葉を封じる。

 触れた指の感触だけに、わたくしの意識が集中する。冷たいのに、熱い、そんな不思議な感触に。

「でも、お願い。今だけは、逃げないで。怖くないなら、嫌でないなら、お願いだから、今だけは」

 射すくめられているのは、わたくしの方のはずなのに、そう言った殿ちゃんの声は、微かな怯えの色が滲んでいて。

 むしろ、この状況で恐れを抱いているのは、殿ちゃんの方じゃないのかなんて、そんな風にわたくしは思ってしまった。

 でも、わたくしは、怖くなんて、ない。

 きっと、殿ちゃんになら、何をされたって怖くなんて、ない。

「梓乃?」

 わたくしに触れていた殿ちゃんの右の手に、わたくしは左の手を重ね、彼女の柔らかな戒めを解く。

「殿ちゃん」

「……」

 わたくしの呼びかけに、悪戯を叱られる小さな子どものように、びくりと殿ちゃんが身を震わせた。

「……良いです」

「え?」

「……っ。ですから、良いですよ、殿ちゃん。貴女の好きなように……」

 ――わたくしを、もらってください。

 そんなこと、言えるはずもないけれど。

 今なら、今だけは、わたくしは、貴女にこの身を委ねます。

「うん。……ありがとう、梓乃」

 だから。

 この形のない恐れも、この名付けようのない貴女への想いも、この胸の高まりも。

 何もかもを、消えないように、わたくしに刻みつけてください。

「……はい。お願い、します」

「ん」

 殿ちゃんの浮かべた、安堵混じりの嬉しそうな笑顔。

 わたくしは、重ねていた手に力を込めて、殿ちゃんの手をしっかりと握る。

 そして、わたくしは、彼女をもう少しだけ、安心させられるように、笑顔を作ろうとする。

 上手く笑えているかどうか、自分では見ることはできないけれど、答えはすぐに返ってきた。

 わたくしたちは、もう一度唇を重ねる。

 今度は、わたくしも目を閉じる。

 殿ちゃんの顔が、見られなくなることが、少しだけ残念に思えた。


2.

「んっ。……ちゅ」

「……ぁ。んっ、ふぁ……」

 わたくしたちは、ついばむような口づけを、幾度となく交わす。

 触れては離れ、離れたかと思えば触れてくる。

 くすぐったいような、もどかしいような感覚に、わたくしは身を震わせる。

「ん、梓乃……」

「殿ちゃん……ぁっ」

 そうして、わたくしたちはお互いの名前を無意識に呼び合う。

 この唇のやわらかさを、温かさを、もっともっと求めるように。

 まるで夢のような、まぼろしのような口づけを交わしていく。

 繋がれた手はそのままに、けれど、唇は何度も結ばれ、ほどかれ、そしてまた結ばれる。繋がっていく。

「あっ、んっ、ちゅっ、ふぁ」

「ん、梓乃……っ。ふっ……あっ、んっ、んん」

 少しずつ、少しずつ、触れ合っている時間が延びていく。

 わたくしたちから漏れる吐息に、少しずつ湿った音色が混じっていく。

「ちゅっ、ぴちゃっ……ん、あっ。ちゅ」

「あ、ふぁ……っ。ん、んっ、んぅぅっ!」

 濡れた唇を殿ちゃんの舌先が舐め撫でる。

 それまでの唇の柔らかな感触とは違った、ざらりとした舌の感触に、ぞくりとした新しい甘いうずきを覚える。

「あぅ、と、殿ちゃん……ふぁ……」

「ん、し……の。梓乃っ。ちゅっ、ぴちゅっ!」

 殿ちゃんは、舌で味わうように、わたくしの唇を愛撫する。

 ゆっくりと、上唇から円を描くように、何度も何度も、執拗なまでに、何かを焦らすように。

「や、殿ちゃん、くすぐった……」

「梓乃……梓乃……。ちゅっ」

 もう、これは、口づけなどではない。

 わたくしは、殿ちゃんの舌に翻弄されている。

 甘い感触と、微かに味わう殿ちゃんの味。

 思わず上げてしまったわたくしの声も、殿ちゃんは意に介さないように、わたくしの唇をひたすらに味わっている。貪っている。

 わたくしの思考も、溶けていく。

 殿ちゃんの吐息に、殿ちゃんの唇に、殿ちゃんの舌に。

 殿ちゃんに溶かされていく。

「あぁ、んっ、あっ、殿ちゃんっ」

「ん……梓乃。少し、唇、開いて?」

「……ぇ?」

 ぼうと、もやのかかったような意識のなか、わたくしは殿ちゃんの言葉の意味を理解することもなく、小さく唇を開く。

「ん、梓乃っ!」

「え? あ、んっ、んんっ!?」

 ぬめりとした感触が、口内に生まれた。

 それが、殿ちゃんの舌だと遅まきながら理解したときには、もう、殿ちゃんはわたくしの口腔を、彼女の思うがままに味わっていく。

「ぁっ! んっ、あ、あっ、あっ!」

「れる、じゅっ、ちゅっ、ん、ちゅ、ぴちゃ」

 殿ちゃんの舌は、わたくしの口腔をひたすらに責める。

 歯を、歯茎を、舌を、ありとあらゆる場所が、殿ちゃんの舌によってなぞられていく。味わわれていく。

 他人に口内を舐められるという感覚は、くすぐったいようでいて、時折、ぞくぞくとした未知の感覚を伴って、わたくしの意識さえも侵していく。

 殿ちゃんの求めに応じて、わずかに開いたはずの唇は、親鳥からエサをねだる小鳥のように大きく開かれ、彼女の舌をもっともっとと求めている。

 わたくしの舌を、殿ちゃんの舌が捕らえる。まるで知らない生き物のように、自在にわたくしの舌をねぶり、味わい、わたくしの中から未知の感覚を引きずり出そうとしてくる。

「ぁっ、やっ、んっ、ふあぁ!」

「ちゅ、じゅ、じゅる、んっ、梓乃っ」

 殿ちゃんは、わたくしの舌を貪ることを飽きることなく繰り返して。

 けれど、途端。わたくしから殿ちゃんの舌が離れていった。

「あ……?」

 激しい愛撫の跡がわたくしと殿ちゃんの唇を繋ぐ銀の光となって残される。

 ちゅるり、とそんな音さえ聞こえそうな、なまめかしい仕草で殿ちゃんが舌でそれを舐め取る。

「……ぁ」

「梓乃、そのまま……」

「ぇ?」

 そう言って、再び殿ちゃんはわたくしへと舌を差しのばす。

 ちゅ、と舌と舌の触れる音。

 わたくしの予想より早く、自分自身も知らぬ間に、殿ちゃんを求め差し出されていたそれを、殿ちゃんが捉える。

「ん、ふふ……」

 嬉しそうに殿ちゃんが笑い、舌先でつついてくる。

 わたくしは、殿ちゃんにされるがまま、彼女の感触を味わい、そして、恐る恐る彼女の動きに応えていく。

「ん、殿ちゃぁん」

「梓乃、もっと……」

 殿ちゃんの舌から、わたくしの舌を伝い、彼女の唾液が流れてくる。

 わたくしの唇を濡らし、わたくしの口腔へと至り、ほんの少しだけ溜まったそれを、わたくしは嚥下する。

 こくり、と鳴らした喉の音は、殿ちゃんには聞こえないはずなのに、その様子を見たのか、殿ちゃんはさっきのように、わたくしの口内へと舌を差し込んでくる。

 わたくしを味わうのと同時に、今度はわたくしを侵そうと殿ちゃんが、唾液を流し込んでくる。

 もう、逃げることもできないわたくしは、殿ちゃんの望み通りにそれを飲み干し、そうして、そんなことを何度も何度も繰り返していく。

 合間に、口内を舌先でくすぐられ、

「んぁ」

 甘い声が漏れてしまうけれど、それが殿ちゃんを昂ぶらせていく呪文のように、彼女の行為を加速させていく。

 わたくしも、お返しとばかりに彼女の口へと舌を入れてみるけれど、あっさりと絡め取られ、逆に甘噛みされてしまう。

 ぴくり、ぴくりと、殿ちゃんの動きに応じて跳ねる身体。

 舌の絡み合う湿った音と、わたくしたちから零れる泣き声のような甘い声が、わたくしの耳を犯す。

「は……、ん、くちゅ、ぁ、あっ、ああっ」

 自分の口から出ているとは思えないようなはしたない声。

 それに羞恥心を刺激され、けれど、その恥ずかしさすら、この行為から生まれてくる感覚をより鋭敏にさせる材料にしかならないでいる。

「ん、殿ちゃん、殿ちゃんっ……!」

 もう、わたくしは、殿ちゃんに求められるままではいられない。

 わたくしからも、殿ちゃんの唇を、舌を、唾液を求め、互いに交換し、味わい、そして飲み干していく。

 すでに、口の周りは、どちらのものか分からないくらいに混じり合った唾液で濡れ、溢れ、頬を伝って零れていく。

 そうして、わたくしたちは、飽きもせずに深い口づけを繰り返していく。

「梓乃……。んっ、あ、んくっ……。ちゅ、じゅるる……っ!」

「ああっ! ん、あっ、ちゅっ、くちゅ……」

 どれくらい、そんな口づけを交わしていたのだろうか。

 気がつくと、わたくしたちの唇は離れ、ただ、荒い息づかいだけがわたくしの部屋に満ちていた。

「はっ、はぁっ、はぁっ……」

「はぁ、はぁ……。と、殿ちゃん……」

「梓乃……」

「……はい」

 呼吸を整えるように、鼓動の高まりを鎮めるように、わたくしたちは、手を繋いだまま、ほんの少し会話をする。

「だいじょうぶ?」

「……す、すごかった、です」

 何もかもが初めての体験で、わたくしはそれに翻弄されるしかなかった。

 今だけで、一生分してしまったのではないかと思うくらいの口づけ。

 殿ちゃんに導かれるまま、彼女が望むまま、わたくしは唇を捧げてしまったのだ。

 今になって、それが、どんな意味を持っているのか、理解して、顔から火が出そうになる。

 でも、その恥ずかしさ以上に、殿ちゃんと唇を触れ合わせるということは、今までわたくしが感じたどんなことよりも、圧倒的な体感だった。

「私も」

「殿ちゃんも?」

「うん、すごく、気持ち良かった」

「あぅ……」

 そう、きっと、この感覚が「気持ちいい」ということなのだ。

 誰かに与えられるその感覚は、自分を慰めるような、ひとりで得られる快感とは、まるで違っていて。

「わ、わたくしも……」

 そして、その快楽を与えてくれたのが、他ならぬ殿ちゃんであることが嬉しくて。

「気持ち良かった、です」

 わたくしの心から生まれた言葉を素直に口にすると、

「良かった……」

 そう言って、殿ちゃんは柔らかく微笑んでくれた。

「ね、梓乃?」

「はい」

「もう、だいじょうぶ?」

「え?」

「続きをしても、良い?」

「……あっ」

 続き。そうだ。これで終わりだなんて、誰も言ってない。

 殿ちゃんの問いかけに、わたくしの胸がとくんと跳ねる。

 それは、小さな不安と、多分、期待から。

 けれど、その言葉に、わたくしは何と返せばいいのだろう?

 意地悪な質問をする殿ちゃんに組み敷かれたままのわたくしは、視線で抗議の意を表す。

「……」

「……」

 わたくしと視線を合わせたまま、殿ちゃんは微笑むだけ。

 わたくしに何を言わせたいのだろう。

 この後の行為へと、わたくしの期待は高まり続けている。

 ……早く、して欲しいのに、どうして殿ちゃんは意地悪をするのだろう。

 焦れったいような沈黙と、見つめ合う緊張感に耐えきれなくなったわたくしは、身をよじるようにして、視線を逸らす。

「……梓乃」

 わたくしの名前を、殿ちゃんの声で呼ばれるだけで、どうしようもなく胸が高鳴ってしまう。

 その言葉は魔法のように、わたくしの心を溶かしていく。

 ああ、殿ちゃん、お願いです。わたくしを、もっと、もっと……。

「殿ちゃんは、意地悪です」

「ん、そうかも。でも、梓乃がかわいいから」

「もう、殿ちゃん……」

「だから、かわいい梓乃を、もっと、見せて?」

 殿ちゃんがわたくしを求めてくる。

 わたくしを欲しがっている。

 分かっています。本当は、わたくしだって、どうしてほしいのかなんて。

 わたくしも、殿ちゃんと、同じなのですから。

「……殿ちゃんだけですからね?」

 こんな、わたくしを見せてあげるのは。

 こんな、わたくしを差しあげるのは。

 貴女だけなんですよ?

「だから、殿ちゃん、お願いします。貴女の思うように、わたくしを愛してください」

 だから、殿ちゃん、わたくしをもっと貴女に溺れさせてください。

「ん」

 答える代わりの優しい口づけ。

 だいじょうぶです、わたくしは、貴女を信じていますから。

 だから、貴女の望むまま、わたくしを愛してください、殿ちゃん。

「んっ……!」

 殿ちゃんの唇が、わたくしの頬に触れる。

 小さく差し出された殿ちゃんの舌が、わたくしの頬を、汗を、舐め取る感触に、小さく震える。

「ちゅ、ちゅっ」

「ふぁ……、殿ちゃん、そんな、とこ……」

「ん、梓乃、美味しい」

「や、そんなこと、言わないでください」

 肌に浮かんだ汗を味わわれ、わたくしは羞恥の声を上げるけれど、殿ちゃんはそんなわたくしの声を意に介さず、少しずつ下へと顔を動かしていく。

 頬を過ぎ、耳たぶを甘噛みされ、そして、そのまま首筋へと顔を埋める殿ちゃん。

 様々な形でもってわたくしを襲う快感の波に、わたくしは揺られ、飲み込まれて行く。

「あ、やぁっ、そこっ!」

「ここ、良いの?」

「ち、違いますっ、あっ、ダメ!」

 わたくしも知らなかった、弱いところを殿ちゃんに探り当てられてしまう。

 嬉しそうに、声を弾ませ、殿ちゃんはわたくしを責める。

「梓乃、気持ち良い?」

「やっ、訊かないでくださ……あぁっ」

「梓乃、答えて?」

「ん、あぅ、あっ」

 殿ちゃんの言葉が、わたくしの耳から身体の芯へと入り込む。

 わたくしは、殿ちゃんの舌に、指に、言葉に、何もかもに弄ばれるように、ただただ甘い声を上げ続ける。

「ほら、ここは?」

「やっ、い、ぃっ!」

「ふふ、ここも、良いんだね」

「殿ちゃん、や、ダメです、意地悪しないでっ」

「梓乃が、教えてくれないからだよ。ほら、気持ち良いんでしょう?」

「ああっ! だ、ダメっ」

「梓乃、ほら、答えて?」

「うぁ。い、ぃ。気持ち、良いです、でも、良すぎてっ……!」

 自分でも、何を言っているのか分からなくなってくる。

 殿ちゃんがわたくしに触れるたびに、電気のように全身を巡る快感は、もう、どうしようもないくらいに、わたくしの思考を千々に乱していく。

 そっと差し込まれた柔らかな舌が、わたくしの耳をねぶる。

 その、感触と、何よりも近くで聞こえた生々しい水音に、わたくしの背が跳ねる。

 思うままにわたくしの耳孔を味わい、柔らかな耳たぶに歯を立て、そしてまた、舌がわたくしの耳を犯す。

「や、殿ちゃん、それっ……」

 わたくしは、こんなこと知らない。

 こんな快感、知らない。

 あまりの快楽に、恐怖心を覚えそうになるけれど、すぐさま形を変えて襲ってくる新しい快感が、そんな思いすら吹き飛ばしてしまう。

「殿ちゃんっ、殿ちゃんっ!」

 乱れきってしまった寝衣の隙間から、殿ちゃんの手が差し込まれる。

 これまで触れられていなかった部分の肌に、殿ちゃんの手の感触。

 熱くなった肌に殿ちゃんの手は冷たくて、わたくしは、その冷たさに驚いてしまう。

「ひゃっ!」

「梓乃……熱くなってる」

「だ、だって、そんな、く、し、仕方、ああぅ、ないですっ」

「もっと、もっと熱くしてあげるね」

「ああっ、あっ、あっ! との、ちゃぁん!」

「かわいい、梓乃」

 そう言って、殿ちゃんがわたくしの口を塞ぐ。

 わたくしから漏れる声も、吐息も、飲み込むように。

「んっ!? んんっ! ぷぁっ!」

 また、殿ちゃんの舌が口腔を蹂躙する。

 縦横無尽にわたくしの口内を貪り、口端から零れる唾液を気にもせず。

 その間も、殿ちゃんの右手は、わたくしの寝衣の中で、わたくしの肌を休むことなく愛撫し、少しずつわたくしの胸へと近づいてくるのがぼんやりと分かった。

 舌と手が、まるで別々の意志の元に動かされているかのように、わたくしを苛む。

 そのあまりの快感に、半ば泣き声のような嬌声を上げつつ、けれど、わたくしの身体は、殿ちゃんを受け入れていく。

「梓乃、脱がすよ?」

 殿ちゃんの言葉の意味を理解する前に、ぷち、ぷち、とわたくしの寝衣の釦が外されて行く。

 抵抗する暇も気力も残されていないわたくしは、殿ちゃんのなすがまま。

 わたくしの羞恥を煽るように、焦らすように、ひとつ、またひとつと、ゆっくりとした速度で釦が外されて行く。服が剥ぎ取られて行く。

 ぷちん。

 最後の釦が外され、寝衣の前がはだけられる。

「あ……」

 殿ちゃんに、肌を晒してしまう。

 露わになる胸。わたくしの身を隠しているのは、頼りない下着が一枚。

 心細さを覚えると同時に、殿ちゃんに見られているという事実が、わたくしの肌の熱を上げて行く。

 こんなわたくしを見て、殿ちゃんはどう思っているのだろう。

「梓乃、きれい……」

「や、そんなこと……」

 そう言われて、嬉しいはずなのに、羞恥心が勝ってしまう。

 夜気に晒されたわたくしの肌が、ほんの少しの冷たさをもって、わたくしに理性を取り戻させた。

 袖から腕を抜くこともできず、自由にならない両腕では、何も隠すことができない。

「あ、あの、殿ちゃん……そんなに見ないで」

「ダメ。もっと見せて」

 殿ちゃんはそう言って、わたくしの全身に視線を這わせる。

「んっ……」

 熱っぽい視線。言葉少なに、わたくしの身体を見つめている殿ちゃん。

 わたくしだけが裸を見られていることが恥ずかしくて、わたくしは目を伏せる。

 けれど、殿ちゃんの視線はどうしようもなく感じてしまって、そしてわたくしは、恥ずかしさと同時に、小さな疼きが身体の中にあることに気付く。

 触れて、ほしい。

 あのめくるめく快感をまた味わわせてほしいと、貪欲なわたくしが心の中で囁きかける。もっとしてほしい、そう、殿ちゃんに告げるようにと。

 そして、羞恥心に負けてしまう弱いわたくしは、殿ちゃんの意地悪にお願いをするのだ。

「あ、あの……」

 だって、これではわたくしばかりが恥ずかしいではないか。

「と、殿ちゃん、も」

 わたくしばかりでなく、殿ちゃんも見せてほしい。わたくしも、殿ちゃんを、見たい。

「殿ちゃんも、脱いで……ください」

 だから、これは、わたくしからの精一杯のお願い。

「ふふ」

 そんなわたくしの心中を見通したかのように、殿ちゃんが笑う。

 逸らしたままの視線。

 夜闇に包まれた部屋の中、わたくしの視界の外で、殿ちゃんが服を脱ぐ衣擦れの音だけが、耳朶をくすぐる。

 鼓動が聞こえてしまいそうなくらいに胸は高鳴っている。

 わたくしは殿ちゃんの言葉を待つ。

「……もう良いよ、梓乃」

 そう良いながら、殿ちゃんはわたくしの手を握り、引っ張る。

 身を起こし、殿ちゃんと向かい合うように座る。

 寝衣の袖から腕を抜き、何も隠すもののなくなったわたくしは殿ちゃんを見る。

 わたくしと同じように、何も身に着けず、

「ど、どうして、下まで脱いでいるんですか!?」

 違う、本当に一糸纏わぬ姿で、生まれたままの姿で、わたくしと向かい合っているのだ。

「だって、もともと着けていなかったから」

「……え?」

「私は、服を脱いだだけ。下にはもともと何も着ていなかったから」

「と、殿ちゃん?」

「それにね、梓乃」

 ちゅ、と殿ちゃんが口づけ。

「え、あ? きゃん!」

 そして、首筋へと舌を這わせ、殿ちゃんの手が、わたくしの胸を優しく包んだ。

 わたくしに身体を預けるように、けれど、実際は、わたくしの方こそが殿ちゃんに身を委ねている。

 両の手の下で、ゆっくりと揉みしだかれているふたつのふくらみは、殿ちゃんの意のままに形を変えている。

 先ほどまでの、激しいものとは違った、穏やかな感覚に、わたくしは陶然となる。

「ん……、はぁ……」

「梓乃、気持ち良い?」

「……はい、殿ちゃん」

 嬉しそうに鼻を鳴らした殿ちゃんは、首筋に這わせていた唇で、肌を強く吸って、跡を残そうとする。

「あ、ダメ!」

 口づけの跡を残されることに瞬間的に抵抗してしまうけれど、殿ちゃんはあっさりとそんな抵抗を封じてしまう。

「や、強すぎ……ですっ」

 きゅ、と殿ちゃんの手のひらの中で、大きく形を変えるわたくしの胸。突然の大きな刺激に、わたくしはのけぞるようにして声を上げてしまう。

「あっ! んっ! 殿ちゃんっ」

「いいよ、もっと声を聴かせて? かわいい梓乃の声を」

「ダメですっ! そんなこと、言わない……で、ください」

「ううん、それは、ダメ」

「はあっ! んっ、ああっ」

「ほら、梓乃のここ、分かる?」

 つ、と。胸の上を指が走る。

 そして、身体の中を電気が走ったかのような快感。

「えっ、ああっ!?」

 殿ちゃんの指が、わたくしの胸の先端を転がしている。

 左手はそのままわたくしの右の乳房を優しく愛撫しつつ、右手の人差し指で、敏感になってしまった乳首を責めている。

「くす。梓乃、こんなになって」

「あ、だって、殿ちゃんがっ!」

「ほら、こっちも欲しがってる……」

「ああっ!?」

 言って、殿ちゃんが今度は反対側をいじめてくる。

「ダメ、ダメです、ああっ! や、こんなのっ……!」

「もっと、もっと気持ち良くなって」

 ちゅ、ちゅ、と殿ちゃんがわたくしの肌へと口づけを落とす。

 濡れている唇が、わたくしの肌にその軌跡を描き、敏感になった全身が、殿ちゃんの唇の向かう先をわたくしに教える。

「梓乃、んっ。ちゅ」

 焦らすように、胸のふくらみを舌でなぞっていたかと思えば、突然先端を口に含まれる。

 柔らかで、熱くて、ぬめるような感触に、敏感になった部分から全身に快感が巡る。

「ああああっ!」

 舌で転がされ、歯で甘噛みされ、口を使っていやらしい音を立てられ吸われて。

 そんな、これまで経験したことのない衝撃的な快感に、わたくしは頭を左右に振っていやいやをするように声を上げ続ける。

「殿、ちゃ……それ、ダメです。くるしっ!」

 わたくしの懇願なんて、多分、今の殿ちゃんにとっては嗜虐的な欲望を満たすための味付けの一つに過ぎないのかもしれない。

 指先で摘まれた先端と、舌先で転がされた先端と、ふたつ同時の強すぎる快感に、頭の中が真っ白になっていく。

「梓乃、梓乃……」

「ああっ、ダメ、気持ち、いっ!」

 そして、わたくしの身体は、殿ちゃんから与えられる快楽を享受し始める。

 強すぎて、苦しいくらいなのに、気持ち良すぎる。

 頭の中が、この快感に、塗りつぶされていく。殿ちゃんの声が遠くなっていく。

「い、良いですっ! 殿ちゃん! 殿ちゃあん!」

 もう、恥ずかしいなんていう気持ちはどこかへ消えてしまっている。

 殿ちゃんから与えられる快感が、他の何よりも今は欲しいから。

 もっと、もっと。

「ああっ、殿ちゃん、もっと、もっと、わたくしをっ!」

「良いよ、もっと、気持ち良くなって」

「あああっ!?」

 わたくしの求めに殿ちゃんが応じてくる。

 もう、これ以上はないと思っていた快感が、さらなる愛撫で塗り替えられていく。

 固くしこった乳首は、殿ちゃんの指の中で痛いくらいに摘まれ、胸を流れる汗は、殿ちゃんの舌ですくわれている。

 わたくしの瞳にはもう殿ちゃんも見えていない。

 ただ、ただ、わたくしは、殿ちゃんの全身で愛されているという事実に溺れて行く。

 耳には殿ちゃんの艶やかな吐息。

「ん、梓乃、ほら、もっと」

 官能の声。

「梓乃、ああ、梓乃……」

 殿ちゃんも感じている。

 押しつけられている、殿ちゃんの身体が、熱い。

 柔らかなふくらみを感じる。その先で固くなっている部分も。

 わたくしを責めつつ、殿ちゃんはわたくしの身体を使って自らを高めている。

 ダメです。

 わたくしも……貴女を。

「殿ちゃん……わたくしも」

「え? んっ!?」

 抱き合うように、わたくしたちは、お互いの胸を愛撫する。

 甘い吐息を漏らす殿ちゃんの唇に、わたくしは強引に自分のそれを重ね、舌を絡める。

 両手の中の柔らかな感触を、殿ちゃんがしたように思うがままに揉みしだく。

 こりっ、とした先端を人差し指と親指で摘んで引っ張って、そして、押しつぶしていく。

「し、梓乃っ! あっ!?」

「ん、ぷぁ! 殿ちゃん、もっと。もっと、ください!」

「んっ、くぁ、や、ふあ! 梓乃……梓乃!」

 唇の周りは、互いの唾液でべとべとになっている。

 飲みきれず溢れたそれを、わたくしは、無意識に舌ですくい取って口内に収め、そのまま殿ちゃんへと送り込む。

 殿ちゃんが、のどを鳴らしてそれを飲み下し、お返しに流し込まれる殿ちゃんの唾液を、わたくしも味わって、嚥下していく。

 両手を殿ちゃんの背に回し、わたくしは殿ちゃんにきつく抱きつく。

 合わさったわたくしたちの胸は潰れ、互いの乳首が擦れて、それがまた新しい快感を身体に刻んで行く。

 止まるわけがない、止まれるわけがない。

 こんな圧倒的な快感、知ってしまったら戻ることなどできない。

 だから、わたくしも殿ちゃんを求める。

 殿ちゃんが欲しい、欲しい、欲しい!

 殿ちゃん、もっと、わたくしを愛してください!

 わたくしに、貴女をください!

「殿ちゃん、気持ち良いっ、気持ち、良いですっ! ああっ!!」

「梓乃、私も……ん、そこっ!」

「うれし……、殿ちゃんも、もっと……」

「ん、うんっ、あ、くぁっ! あ、梓乃っ、お願い……」

 殿ちゃんがわたくしの腕を掴む。

 指を絡め、きゅっ、と握りしめ、それから、わたくしの手を取って、誘っていく。

「梓乃、触って……」

 ――熱い。

 淡い茂みの感触をかき分けると、指先に感じる熱とぬめり。

 汗とは違う粘液で濡れそぼっているのは、殿ちゃん自身。

 殿ちゃんが、わたくしを求めている。

 わたくしの指を欲しがっている。

 自分のものしか、触れたことのないわたくしは、その熱さに溶けそうになりながら、けれど、殿ちゃんが壊れないようにゆっくりと指を動かす。

「あっ、梓乃っ!」

 ちゅる、と音さえ聞こえそうなくらいに溢れている殿ちゃんの秘所を、わたくしは人差し指を使って入り口をかき混ぜる。

「ん、それっ、気持ち、良いよ、梓乃っ」

「殿ちゃん、わたくしで、気持ち良くなってください」

「ん、梓乃、もっ!」

「は、はいっ……」

 殿ちゃんの言葉に、わたくしは、両足を少しだけ開いて力を抜く。

 見えないけれど、殿ちゃんの指が確実にわたくしの中心を目指して降りてくるのが分かる。

 その動きのゆっくりさに、わたくしは焦れて殿ちゃんにお願いをする。

「と、殿ちゃん、わたくし、もうっ! は、やく、お願いします、ああっ!!」

 言い終わるや否や、殿ちゃんの指が、わたくしの下着の内へと潜り込む。

「梓乃、すごい、熱い」

「や、だって、殿ちゃんっ」

 殿ちゃんの指がわたくしの一番敏感な部分に触れる。

 自分でしたときとは比べものにならない快感が脳髄を焼き溶かす。

「ああっ、ダメ、殿ちゃんっ」

「ん、梓乃、ここっ」

「んんっ!? あああああっ!」

 そこから漏れる、ぴちゃぴちゃという音が、いやらしく響き続ける。

 わたくしたちの嬌声と交わり、淫靡な空気が、においが充満して行く。

「んちゅ、ちゅく、じゅるっ! ちゅぷっ」

「あ、ふぁ、ちゅ、ちゅぱ、ぴちゅ」

 指でお互いの大切な場所を触りながら、わたくしたちは互いの声を飲み込むように口づけを続ける。

 舌が絡み、ときおり歯がぶつかり、唾液がだらしなく零れ、お互いの口腔を犯し合う。

 殿ちゃんの指が、わたくしの入り口のすぐ上にある、小さな芽を転がす。

 真っ白な視界の中、火花が散るような強烈な快感に、わたくしは殿ちゃんの唇に歯を立ててしまう。

「っ!」

「あ、ああっ、ごめ、なさっ、あっああっ」

「梓乃も、触って、私を、もっと」

 噛まれた痛みなど何処にもないかのように、殿ちゃんはわたくしに愛撫を求める。

 人差し指と中指は、殿ちゃん自身をこするように愛撫したまま、殿ちゃんの秘芯を親指の腹で転がす。

「あっ! んんっ! 梓乃っ!」

 殿ちゃんの舌が、わたくしの唇を舐める。

 わたくしは、殿ちゃんの舌を捉え、上下の唇でもってしごく。

 片方の指は、お互いの大切な部分を激しく愛し、もう一方の手で、胸を乳首を、脇腹を腋を、ありとあらゆる場所を愛撫する。

「ダメ、ダメ、ダメっ!」

「梓乃、もっと、んっ、もう少し……!」

 昇っていくのか、落ちていくのか、すでにわたくしたちは思考を放棄して、ただ、快感を貪るだけのふたりとなっている。

 あとは、まだ、見たことのない頂へ達するために、ただひたすらに愛し、愛されるだけ。

「ああああ、や、こ、これ……」

「ん、梓乃っ、梓乃!」

 快感のあまり、涙が零れる。

 殿ちゃんの顔から落ちる汗を、わたくしは味わい、そんな味でさえ自分が高まるための道具とする。

「梓乃、わ、私、んっ、あっ、もうっ……」

 切なく泣くような殿ちゃんの声。

 懇願するかのような声にわたくしは指の動きをさらに激しくさせる。

「殿ちゃん、わたくしも、わたくしもっ……」

 指で、唇で、舌で、肌で、耳で、音で、声で、表情で。

 わたくしたちはお互いのすべてで自分を高めていく。

 ひとりでは決して味わえない、快感の頂を上り詰めるために。

「ん、い、く。梓乃、私、もうっ!」

「はいっ、わたくしも、わたくしもっ!」

「好き、梓乃、好きっ!」

「はいっ、わたくしも、んっ、大好きですっ!」

「く、あ、んっ、ああっ、ダメ、梓乃、もう、私っ!」

「あ、ああああっ、あああああああっ! 殿ちゃん!!」

 そして、わたくしたちは同時に達する。

「ああああああああっ!!!」

 重なり響く、わたくしたちの声。

 他の誰でもない、わたくしたち自身が、想いを重ね、初めて見た世界は、ただただ真っ白で、けれどこの上ない幸福感に満たされていた。

 そうして、わたくしに倒れ込むように身体を預けてきた殿ちゃんの温もりと重みを感じ、わたくしの意識も、闇へと沈んで行った。


3.

「……あ?」

 目を開くと殿ちゃんの顔がすぐそこにあった。

「と、殿ちゃん?」

「おはよう、梓乃」

「お、おはよう、ございます」

「どうしたの、梓乃? なんだか、顔が赤いけれど」

「な、なんでもありませんっ」

 反射的に否定の言葉を口にするけれど、わたくしの頭は混乱で満たされている。

 ……夢? さっきまでの殿ちゃんとの、が?

 わたくしには信じられない。

 あの、鮮烈な感覚が、身を溶かされるような快楽が、味わったことのない幸福感が、夢であっただなんて。

 けれど、わたくしの目に映る世界は、見間違えようのない現実で、見慣れた愛用の時計も変わらず時間を刻んでいて、そして今は確かに朝なのだ。

 わたくしは、心の奥底で安堵と落胆を同時に覚える。

 殿ちゃんに愛されたという、目もくらむような体験がまぼろしであったことに。

 そして、そんなことを思った自分が、途端に恥ずかしくなる。

 なんてことを考えているんだろう。

 眠気が一気に吹き飛び、覚醒した思考の中、夢の中で殿ちゃんに囁かれた言葉が、殿ちゃんの唇の感触が、殿ちゃんの指の動きが、肌の暖かさが、汗の味がはっきりと蘇ってくる。

「あ、あうぅ」

 駄目だ。まるで現実のように今でも思えてしまう。

 あんな夢を見てしまったなんて、殿ちゃんに言えるはずがない。

 自分のはしたなさに消えてしまいたくなる。殿ちゃんの顔を直視することができない。逃げてしまいたい。

 無言で毛布を頭から被り、現実からの逃避を試みる。

 ごめんなさい、殿ちゃん、わたくし、ベッドから外へ出たくありません……。

「梓乃? 起きないの? 朝ごはん食べられなくなっちゃうよ?」

 それに、自分でもはっきりと分かってしまっている。

 夢の中でさえ、自分がどれだけ乱れてしまったのか、どれだけ身体が悦んでしまったのかを、少しだけ冷たくなってしまった湿った下着の感触が、否応なしに証明しているのだから。

 こんな格好、殿ちゃんに知られるわけにはいかない。

「あ、あの、わたくし、少ししてから行きますから……。どうか殿ちゃんは先に行っていてください」

「別に着替えるのくらい、待っていてもいいよ?」

「そ、その……。少し寝汗をかいてしまいまして、シャワーを浴びたいなあ……なんて」

 嘘は言っていない、これは本当。

 とにかく今は、少しでも頭を冷やすための時間が欲しい。

 たたみかけるように、わたくしは殿ちゃんへのお願いを続ける。

「あ、あんまりお待たせはしませんから。……お願いします!」

「う、うん?」

 ぜったいぜったい、殿ちゃんにおかしいと思われている。

 ……そういえば、殿ちゃんはいつからわたくしの部屋にいたんだろう?

 訊いてみるのは怖いけれど、それを知らないままでいるのは、もっと怖い。

 隠していた頭を毛布から出して、殿ちゃんの方を見てみる。

 わたくしを見ている彼女の表情は、なんだか良く分からないといった疑問の色。

「あ、あの、殿ちゃん……」

「何?」

「わたくしが寝ている間、何か変なこと言ってませんでした……か?」

「変なこと?」

「あ、い、良いんです! 気にしないでください。ちょっと変な夢を見てしまって……」

 余計な一言が思わず口をついて出てしまう。言ってしまった言葉は取り消しなんてできなくて。

「ごめんなさい、変なこと訊いてしまって。忘れてください……」

「んー、変なこと?」

 何かを思い出そうとするような殿ちゃんの仕草を見て、わたくしは慌ててそれを止めようとする。けれど。

「あ」

「……え?」

 ぽつりと呟きを漏らして、それから彼女は言ったのだ。

「大丈夫、私も梓乃のこと好きだよ?」

「~~~~~!?」

 な、何を、殿ちゃん!?

 一気に頭に血が上り、顔が熱くなる。

 は、恥ずかしい、なんて一言で済むような恥ずかしさじゃないです、殿ちゃん。

 わたくしは、何を言ってしまったんだろう。何を言っても、墓穴を掘るしかなさそうなこの状況では、これ以上踏み込んで訊いてみる気にはなれない。

「それじゃ、私、先に行ってるから、梓乃もすぐに来てね?」

 これ以上ないくらいに、顔を真っ赤にして言葉を失っているわたくしを見て、殿ちゃんはどう思ったんだろうか。

 そのことについて、何も言わない態度が意味深で、わたくしは殿ちゃんが何もかもお見通しなのではないかという錯覚に囚われてしまう。

「あ、と、殿ちゃ……」

 ぱたん、と扉を閉める直前、わたくしの方を見て微笑んだ殿ちゃんの表情が、夢の中での彼女の妖艶な笑みとだぶって見えてしまう。

 そんなことは、全然ないはずなのに、どうしてそんな風に見えてしまったのだろう。

 わたくしひとりが、意識しすぎて空回りしているだけに思えてしまう。

 あの、みだらな夢に今も翻弄されているように思えてしまう。

「はぅ……」

 わたくしは、殿ちゃんからもらった枕に顔を埋めそっとため息を漏らす。

 そんなはずはないのに、そこに殿ちゃんのぬくもりを、においを錯覚しそうになる。

 いけない。そんなことばかり考えてはいけない。

 そうして、少しだけ何も考えないようにと心を静め、わたくしは身を起こす。

 殿ちゃんを待たせないようにしないと。

 汗とかいろいろなもので湿ってしまった寝衣を脱ぎ捨て、わたくしは浴室で少しぬるめにしたシャワーを浴びる。

 夢の中で覚えた火照りの残滓は、それだけであっさりと、わたくしの身から洗い流されていった。


4.

「……お待たせしました、殿ちゃん」

 浴室で思ったよりも時間を取ってしまったわたくしは、少しだけ急いで殿ちゃんの元へやって来た。

 朝食を済ませるにはぎりぎりの時間。

「うん、おはよう、梓乃」

「あ、はい。おはようございまず、殿ちゃん」

「おはよう、八乙女」

「滝沢先生も、おはようございます」

 殿ちゃんと滝沢先生は、すでに朝食を済ませているようで、食後に先生はコーヒーを、殿ちゃんは紅茶を口にしている。

 その香りがわくたしの方まで漂ってきている。毎朝感じている、朝のにおい。

 わたくしは、どうしよう?

 急いで食事を済ませる気にもなれず、わたくしは思案する。

 正直に言って、今朝は食事をする気分ではないのだけれど。

 その、いろいろあったせいで、それどころでもないというか。

「梓乃?」

「あ、わたくしも……」

 そう言って、わたくしは今日の朝食はいつもより軽めにすると決める。

 トーストを一枚、サラダにスープ。

「なんだ、八乙女、今日はそれだけか?」

 訊かないでください、滝沢先生。

 女の子にはいろいろ事情というものがあるのです。

「梓乃、お腹すかない?」

「い、いいんです、今日は、ちょっと……」

 言えません、殿ちゃん。

 理由が、殿ちゃんと、その、あんなことをしてしまった夢を見たからだなんて。

「大丈夫?」

「ええ、大丈夫ですから、心配なさらないでください」

「うん、分かった」

 ぱくり、とトーストをひとかじり。

 いつもは美味しいと思う食事を、味わう余裕も今日はないくらいで。

 なんとなくいたたまれない気持ちになりながら、わたくしは目の前の朝食に専念することにする。

 殿ちゃんと先生は、わたくしを不思議そうに見て、それからお互い顔を見合わせて苦笑を交わしあう。

 その笑みになんだか意地悪な色を見つけてしまう。

 なんだろう?

 わたくしには、思い当たる節がない。気のせいかと判じて、そのまま食事を済ませ、給仕の方から殿ちゃんと同じく紅茶をいただく。

 ほう、と一息。周囲を見回すと、学院生の皆も教室への移動を開始しているのか、少しずつ減りつつある。

 おかしな始まり方をした今日だけれど、これでようやくいつものリズムを取り戻せそうに思う。

 今日の講義のスケジュールを頭の中で思い起こし、問題のないことを確認。

 殿ちゃんと一緒に受ける講義ばかりなので、つつがなく過ごすことができる。

 そんなことを考えた矢先。

「あ、そうだ、梓乃」

「なんですか?」

「昨日あげた枕、使ってくれたみたいだね?」

「はい。ありがとうございました。せっかくの殿ちゃんからのプレゼントですもの、これからも大切に使わせていただきますね」

「そうしてくれると、私も嬉しい」

「はいっ」

「なぁ、殿子? 一応、僕も少しは手伝ったんだけど?」

 わたくしと殿ちゃんの会話を聞いていた滝沢先生が、申し訳なさそうに殿ちゃんに言った。

「そうだったんですか、先生もありがとうございました」

 わたくしは、先生に向けて頭を下げた。

「ああ、いいって、手伝ったって言っても、実際は殿子のリクエストに合うようなものを探しただけだから」

「そうなんですか?」

 デザインが可愛らしいとか、そういった特徴が特になかったから、プレゼント用として売られているものかと思ったのだけれど、他に何か特別なことがあるのだろうか?

 確かに、大きめに作られていて、寝心地は良かったけれど。

「私は、外での買い物の仕方とかは良く分からないから、司にお願いしたの」

「そういうこと。殿子だけじゃなくて僕の分も含めて、ってことで、あんまり嬉しくないかもしれないけど、この子の気持ちの分だけでも、しっかりともらってやってくれ」

 そういう言い方はずるいと思う。

 わたくしが信頼している殿ちゃんが、信を置いている滝沢先生。

 昔のわたくしならともかく、今はわたくしも信じることができているのだから。

「いえ、先生のお気持ちも、ありがたくいただきます」

 だから、わたくしが先生にお礼を言うのも、社交辞令などではなく、感謝の心から。

「どういたしまして」

 照れくさそうに、頭をかきながら苦笑を返す先生。

 年不相応の子どもみたいな表情を見て、わたくしは少しだけ彼のことを可愛いなんて思ってしまう。

 あるいは、いつかは、わたくしも殿ちゃんのように、先生のことを誰よりも信頼することができるのかもしれない。

 殿ちゃんが先生によって救われ、変わって行けたように。

 わたくしも、変わることができるのだろうか?

 与えてもらった愛情に、応えることは今は無理だとしても。少しずつ、少しずつ。

 いつかはと、そんな風に願ってしまう。

「さて、それじゃそろそろ行こうか?」

 腕の時計の時間を確認し、先生が言う。

「はい」

「ん、分かった」

 わたくしと殿ちゃんは揃って返事をして、席を立った。

 ……そうだ、その前に。

「殿ちゃん」

「ん?」

「プレゼント、どうしてあの枕に決めたんですか?」

 ふとした疑問を殿ちゃんに投げかけてみる。

 何をもらっても、わたくしは嬉しいけれど、どうしてという疑問は残っていたから。

 わたくしの問いに、殿ちゃんはなんでもないことのように、

「良い夢、見られたでしょ、梓乃?」

 そんな答えを返してきた。

 ……。

 良い夢、見られたでしょ、ってどういう……?

「え? えぇっ!?」

 思わず頓狂な声を上げてしまう。

 どうして、そんな答えなのか?

 それに、良い夢って、あれが? 誰にとって良い夢なのだろう?

「そういうのないのかな、って司に聞いてみたら、あれを探してきてくれたの」

「せ、先生……?」

「ん?」

「先生が、選ばれたんですよね? あれを」

「うん、確かに僕が選んだよ。殿子からの要望でね、気持ちよく眠れる枕をプレゼントしたいって言われたからね。僕なりに考えてみたんだけれど」

 気に入らなかったかい? とか訊かれても……。困ります。

 それに、わたくしとしては、別に、不満があるわけではなく、その、どうしてあんな夢を見てしまったのかをですね?

「それがこれだ。その名も『夢枕☆もるぺうす』」

 なんですか、その胡散臭い商品名と、星マークは。

 どう見てもまっとうな商品ではなさそうに思えてしまう。

「一体そんな胡散臭いものを、どこで手に入れてきたんですか……」

 力なく落ちそうな肩を、気力で支えて先生に訊いてみる。

「胡散臭いって……。八乙女も知ってるだろ、談話室の通販さん」

 いつもTVの通販番組を見ていらっしゃる方ですよね。どうしてその方が?

「まさか……」

「通販さんオススメの、結構値が張る逸品らしいよ? 何でも、使った人が望んでいる幸せな夢を見せてくれる、とか。どんな夢が見られるかは、そのひと次第らしいけど」

 そんな都合の良いものがどうして通信販売で手に入るんですかっ!?

「どうした、八乙女? 実はやっぱり気に入らなかったとか?」

「き、気に入るとか気に入らないとかではなくてっ」

「変な梓乃? ね、それで、どんな夢を見たの?」

 何も知らない殿ちゃんは、無邪気にわたくしの恥ずかしい秘密を掘り起こそうとしてくる。

 ダメです。言えません。言ったらふたりから、わたくしがどんな風に見られるか、想像も付きません。だから怖い。

「あ、あうぅ……」

 頭の中がぐるぐると渦巻いて、意味を成さない言葉が廻る。

 顔が火照って、なんだか汗まで出てきそう。

 言えません、言えません。

『……夜這いに来たよ、梓乃』

 あんな、殿ちゃんが、わたくしを求めてくる夢なんて。

『私は梓乃が欲しい』

 わたくしが、殿ちゃんに求められたいと思っているなんて。

『ん、ぷぁ! 殿ちゃん、もっと。もっと、ください!』

 わたくしが、殿ちゃんをあんなにも欲しがっているなんて。

 言えるわけがないじゃないですか!

「ごめんなさいっ! でも、あんな恥ずかしい夢のことなんて、おふたりには話せませんっ!」

「え、恥ずかしいって、梓乃?」

「八乙女?」

「もう、訊かないでください、殿ちゃん。……わたくし、恥ずかしくて死んでしまいそうです」

 これ以上、殿ちゃんたちに追求されたら、きっとわたくしは隠しきることなんてできない。

 ……逃げよう。こんな気持ちで、今日一日、殿ちゃんと過ごすなんてまるで拷問。

「すみません、わたくし、頭を冷やしてきます」

 先生の前で、講義のサボタージュ宣言なんて、普段のわたくしなら絶対にできないことだけれど、今は何よりも、この場から逃げたくて。

「お、おい、八乙女!?」

 先生の驚いた声が聞こえるけれど、わたくしは小走りに食堂から廊下へ出、そのまま寮の外へとひたすらに進む。

 けれど、わたくしがこの学院内で行くことのできる場所なんてたかが知れている。

 たぶん、先生は殿ちゃんにわたくしを連れ戻すように言いつけるだろう。

 そして、わたくしは殿ちゃんに捕まる。

 ――それから、それからどうしよう?

 殿ちゃん。わたくしが、あんな風に殿ちゃんに愛される夢を見てしまった、そう言ったらわたくしのことをどう思いますか?

 あれが、本当に、わたくしが望んでいることだとしたら、殿ちゃんはどう思いますか?

 わたくしには分かりません。

 わたくしは、殿ちゃんが好きです。けれど、わたくしのこの気持ちは、殿ちゃんがわたくしに向けてくれている気持ちと同じものなのか。それとも、先生に対して向けている気持ちと同じものなのか、分からないんです。

 どうすれば、いいのだろう。

 この気持ちを持て余しそうになる自分の心が怖い。溢れそうになる気持ちが怖い。

 殿ちゃんが、好き。

 その気持ちは偽りではないのは、はっきりとしているのに、わたくしにはこの「好き」が、一体どういう種類の「好き」なのか理解できていないのだ。

 殿ちゃん、貴女ならわたくしに教えてくれますか?

 この気持ちの意味を。わたくしの「好き」の意味を。

 わたくしの気持ちを知ってもらうということ。それは素敵なことかもしれない。

 答えを得ることは、怖くて、けれど、そこに少しだけ希望を抱いてしまう。

 そして、わたくしに広がる胸のつかえが取れたような感覚。

 駆ける足に少しだけ力が戻る。

 逃げているはずなのに、わたくしは殿ちゃんに見つけてもらうこと、それを望んでいる。

 何処へ行こう。何処で待とう。

 そして、殿ちゃんに何と言おう。

 わたくしが見た、あの夢を、そのまま話すことなんて、やっぱり恥ずかしすぎてできないけれど。

 わたくしがもしかしたら望んでいるかもしれないこと、その欠片くらいは伝えることができるだろうか。

 そうだ。

 殿ちゃんにもらったあの枕。あれが本当に望んだ夢を見せてくれるのだとしたら、殿ちゃんにも使ってもらおう。

 殿ちゃんと一緒に眠る。

 なんだか、それを想像すると、胸の奥がどきどきするけれど、同時に暖かくもなる。

 そうして、朝を一緒に迎えて、どんな夢を見たのか教えてもらおう。

 わたくしは、殿ちゃんに訊かれたことを、そのまま訊いてみようと思う。

 そうすれば、わたくしがどうして逃げてしまったのか、分かってくれると思う。

 きっとそれでお相子。

 願わくば、殿ちゃんの夢の中に、少しでもわたくしの姿があれば。

 そんな、たわいない望みを抱えたまま、わたくしは駆けて行く。

 殿ちゃんを待つために。わたくしたちの良く知る場所へ。

 初夏の朝、今日も暑くなりそう、そんな予感を覚えながら。

 わたくしは駆けて行く。

《了》


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