あかりちゃんとお弁当

あかりちゃんとお弁当

 ピピピッピピピッピピピッ……
静けさに満ちた部屋中に響く電子音。
「――ん……」
寝ぼけ眼をこすりながら目覚まし時計に手を伸ばす。
――カチ
スイッチを目覚ましを切る。
まだまどろみの中にを漂う意識。ぬくぬくとした毛布にくるまれながら少しだけこの心地好さを楽しむ。
「――そろそろ起きなきゃ……」
まだ眠りたいという誘惑を断ち切るように私は身体に掛けられた毛布を跳ねのけ起き上がる。
「あかり、そろそろ起きないと間に合わないわよ~」
「は~い、今起きるから~」
私を呼ぶお母さんの声に元気よく返事を返す。
カーテンを開けた途端、薄暗かった室内に差し込む眩しいくらいの朝の光。
――うん! 今日も1日いい天気になりそう。
朝日に目を細めながらにっこりと笑顔。
今日も頑張って美味しいお弁当作るからね!
待っててね、浩之ちゃん!

あかりちゃんとお弁当

「おはよう、お母さん」
パジャマ姿のまま1階に下りて来た私は、キッチンに立つお母さんに声を掛けた。
「おはよう」
朝ご飯の準備中のお母さんは、私に背を向けたまま軽く振り返って挨拶を返す。
「あかり……またパジャマのまま下りて来て。ちゃんと着替えてからにしなさいっていつも言ってるでしょ?」
「えへへ……」
毎日のように私に注意するお母さん。
「もう、しょうがない子なんだから……」
苦笑しながら溜め息を付いて向き直る。
「それじゃ私も準備しなくちゃ」
言いながらエプロンをパジャマの上に着て、お母さんの横に並ぶ。
「えーっと、今日のお弁当のおかずは……」
昨日の夜に準備しておいた材料を冷蔵庫から取り出しながら、今日の献立の確認をする。
今日も浩之ちゃん、喜んでくれるかなぁ?
「あかり、何嬉しそうな顔してるの?」
そんな私を横目で眺めていたお母さんが少し呆れたような口調で訊いてくる。
「え? 私、そんなに嬉しそうにしてた?」
「ええ、そりゃもう。『私は幸せです~』って顔に書いてあるわよ」
いたずらっぽい笑みを浮かべながらお母さんが答える。
「そんなにお弁当作るの楽しいんだったら、これからは家の献立も全部任せようかしら?」
「ちょ、ちょっとお母さん……。いくらなんでも毎日は無理だよぉ。私、まだお母さんほどお料理上手じゃないんだから~」
私は慌てて抗議の声を上げる。
もう、料理学校の先生までしたお母さんにかなう訳ないじゃない。
「ふ~ん? そのワリには最近ずいぶん熱心に頑張ってるわね?」
少し手を休め、
「そんなに浩之くん美味しそうに食べてくれるの? あなたのお弁当」
お母さんのいきなりな言葉に思わず絶句する私。
「お、お母さん……」
「あら、違うの?」
「ち、違わないけど、どうして……」
『知ってるの』と続けようとした私の言葉を遮って、
「分からない訳ないでしょう? 作るお弁当がふたりぶん。それも片方はたっぷり」
得意そうな顔で言うお母さん。
「それに、おかず見ればすぐに分かるわよ。それってみんな浩之くんの好きなのじゃなかったかしら? いっつもあかりが私に聞かせてくれたから、私まで浩之くんの好物に詳しくなっちゃったわね」
苦笑混じりでお母さんが言う。
「……う。そんなこと言ってたの?」
その言葉に赤面してしまう私。
そんなに浩之ちゃんのこと話してたのかなぁ?
自分ではよく覚えてないんだけど……。
「あかりと浩之くんがね~」
「ちょ、ちょっとお母さん……」
一人で勝手に何やら納得しているお母さんを見て、私は慌てて口を挟む。
「あ、あのね、お母さん。これは私が勝手に作ってるだけで、浩之ちゃんが頼んだとかそう言うんじゃないからね! ? ただ、浩之ちゃん、最近いっ つも学食でパンとかしか食べてないみたいだから、栄養のバランスが偏るかと思って……。それに浩之ちゃんのお母さんからもお願いされてるし。だからお母さ んが思ってるようなことじゃないんだからね?」
自分でも何を言っているのかよく分からないけど、とにかくお母さんの言葉が恥ずかしくてこれ以上聞けないよ。
真っ赤な顔で言う私を見てお母さんは笑顔のままで、
「大丈夫よ、お父さんには黙っておいてあげるから」
「――お母さん……」
「――でも、実際の所はどうなの?」
急に真剣な顔をして私の顔を見るお母さん。
「え?」
「あなたと浩之くんよ」
「え? え?」
突然の展開にうろたえるしかできない私を見ながら、お母さんは話を続ける。
「もう付き合ってるの?」
その一言に私の胸の奥がどきりとしたような気がした。
「………………」
無言のまま俯き、床に視線を落とす私。
そんな私を見てお母さんが、ふう、と溜め息をついた。
「いいわよ、無理しなくても……。あなたの顔見てれば何となく分かるから」
「……ごめんなさい」
「こちらこそごめんなさいね。いきなりこんなこと訊いちゃって」
私の両肩に手を乗せ、お母さんはにっこりと微笑む。
「そのうち、ちゃんと話してくれるわよね?」
「――うん」
私は短く頷いた。
「それじゃ……」
片目をぱちりとウィンクさせて、
「ほら、準備、急がないと学校に遅れちゃうんじゃない? 浩之くん寝坊してたら大変よ?」
いつもの調子でお母さんが言った。
「え?」
時計を見るともう7時を周っている。
「きゃあ! もうこんな時間なの?」
思わず声を上げる私。
「もう! お母さんがいけないんだからね? 朝から変な話しないでよぉ」
抗議の声を上げながらも、私はお弁当箱に今日のお昼ご飯のおかずを詰め込んでゆく。
「そうそう、その調子よ」
お母さんは、そんな私の様子を見ながらくすくすと笑っている。
――お母さん、ゴメンね。今はまだ話せないけど、きっと浩之ちゃんと一緒にちゃんと説明するから……。
朝食の美味しそうな香りが漂うキッチンに、慌ただしく響く私の声とお母さんの笑い声。
窓の外では、しだいに登り始めた太陽から降り注ぐ朝日に照らされながら、小鳥たちが楽しそうにさえずっている。
段々と深みを増してゆく木々の緑の鮮やかさが、目に染みるようだった。

何とかお弁当の準備を終えた私は、急いで制服に着替え玄関に向かう。
「それじゃ、行ってきます」
リビングでくつろいでいるはずのお母さんに声を掛ける。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
「は~い」
そう言ってドアを開けて一歩踏み出す。
眩しい陽射しに包まれ、一瞬視界が白一色に染まる。
「うわぁ……」
眩しさに目を細めながら見上げた空一面に広がる青。
爽やかに吹き抜ける初夏の風に揺れる髪を右手で押さえながら、
――もうすぐ夏なんだね。
ふとそんなことを思う。
少しだけ初夏の陽気を全身で受け止め深呼吸。
朝の空気を目いっぱい吸い込んでから、私は浩之ちゃんの家に向かって歩き出した。
――今日のお弁当はどこで食べようかなぁ?
歩きながらお昼のことをあれこれ考える。
――やっぱりこんなお天気だから外で食べると気持ちいいよね。屋上にしようかな? それとも中庭がいいかな? 浩之ちゃんに訊いてみなくちゃね。
歩いて数分の場所にある浩之ちゃんの家。
浩之ちゃん、起きてるかなぁ?
ピンポーン
チャイムを押して浩之ちゃんを待つ。
浩之ちゃん、早く起きないと遅刻しちゃうよ。
「浩之ちゃぁ~ん、起きてるぅ~?」
2階にある浩之ちゃんの部屋に向かって大きな声で呼んでみる。
「ねぇ~、浩之ちゃぁ~ん!」
私の声が聞こえたのか、浩之ちゃんの部屋の窓がガラリと開いて、浩之ちゃんが顔を出した。
「あかりぃ~! 頼むからそこで大声で名前を呼ぶの止めてくれよな~」
「だってぇ~、早くしないと遅刻しちゃうよ~?」
「わかったから! ちょっと待ってろ」
「うん!」
浩之ちゃんが顔を引っ込めると、階段を駆け下りてくる足音が家の中から聞こえた。
苦笑を浮かべながらドアを開けた浩之ちゃんに笑顔で挨拶する。
「おはよう、浩之ちゃん!」
「ああ、おはよう。――ったく、でかい声で『ちゃん』付けで呼ぶなよな~」
「えへへ……」
「今、準備してくるから少し待っててくれ」
言いながら浩之ちゃんは私を玄関へ招き入れる。
「うん」
とっとっとっ……
浩之ちゃんは急いで階段を駆け上がっていく。
少しだけ待つと、制服に着替えた浩之ちゃんが鞄を小脇に抱えて下りてくる。そしてそのままリビングに直行。
――さらに待つこと数分。
今度は口にトーストをくわえた格好で浩之ちゃんが姿を見せた。
「ふぉっひゃ、いふほ(よっしゃ、いくぞ)」
他の人が聞いたら何のことか分からない言葉に私は頷いて答える。
「うん、行こ!」
私は玄関のドアを開け外に出る。少し遅れて浩之ちゃん。
「何とか間に合いそうだな?」
くわえていたトーストを手に持ち変えて浩之ちゃんが言う。
「うん。良かったぁ。今日、ちょっとお弁当の準備に手間取っちゃたから、遅れちゃうかと思っちゃったんだ」
「へ? そんなに気合い入れて何作ったんだよ?」
「え? ううん、そうじゃないんだけど、ちょっとね……」
曖昧な私の返事に少しだけ不思議な顔をする浩之ちゃん。
――お母さんに訊かれたこと、浩之ちゃんには話せないよね。
「ふーん」
気のない返事の浩之ちゃん。
私のペースに合わせてゆっくりと歩いてくれる浩之ちゃんの横顔をちらりと盗み見る。
「ん? どうした?」
私の視線に気付いたのか、浩之ちゃんが訊いてくる。
「あ、え? な、なんでもないよ……」
慌てて目を逸らす私。
「しっかし、毎日悪いな、あかり」
「え?」
「昼飯、頼んでもいないのに作ってくれて、ホント感謝してるぜ」
言いながらにっこりと私に微笑み掛けてくれる。
「えへへ、そう言ってもらえると嬉しいなぁ」
「オレの分まで作るの大変だったら別にいいんだぜ?」
少しだけ申し訳なさそうな笑顔。
「ううん! 全然そんなことないよ。私、お料理するの好きだし……」
――それに、
「それに、浩之ちゃんとお弁当、一緒に食べたいから……」
「――そっか、いっつもありがとな、あかり」
そう言って私の頭に手を乗せて髪の毛をくしゃりとしながら撫でる浩之ちゃん。
浩之ちゃんのおっきな手から、浩之ちゃんの優しさが伝わってくる。
――私、とっても幸せだよ、浩之ちゃん。
「ううん、そんなことないよ」
ちょっとだけ頬が赤らむのを感じながらも、笑顔で答える私。
赤くなった私の顔、変じゃないかなぁ……?
「私なんかで良かったら、これからもずっと作ってあげるね」
「おう、それじゃこれからもよろしくな!」
「うん!」
浩之ちゃんにだけ見せる、私の最高の笑顔。

これからも頑張って作るからね!
――私のお弁当を美味しそうに食べてくれる浩之ちゃんの横顔を見るのが好きだから。
――食べ終わった後の浩之ちゃんの言葉を聞くのが嬉しいから。
『ふ~、ごっそさん。』
『美味かったぜ、さんきゅな。』
――だから私はいつもこう答えるの……。
『ありがとう、浩之ちゃん。おそまつさまでした。』
お弁当、これからもずっと一緒に食べられるといいね。

私たちの学校へと続くいつもの坂道。
どこまでも広がる限りなく澄んだクリアブルーの空。
並木通りを木漏れ日を浴びながら見上げたその青空は、いつもより高く、そして青く、私たちの頭上に広がって見えた。

――了――