ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート

2013年4月18日

stars 十月二十七日土曜日、その日僕は烏子をギターケースに詰めた。

「僕、女の子を殺したんだ」顔も思い出せないような、そんな薄い繋がりしかなかったかつてのクラスメイト・神野真国からの電話を受けた左女牛明海は、その言葉を素直に信じることができた。だって、自分のかつて女の子を殺していたから。ひとの記憶を食べるタマシイビトと、その餌になるために殺され続けるイケニエビト。ふたりの前に現れたイケニエビトの少女、彼女との思い出を守るために、彼女を忘れないために、彼らが講じたタマシイビトと戦う方法は……。

表紙絵見て、音楽ものかあ、と思っていたら、その実結構ホラー風味な物語だったわけで。や、確かに音楽を通じて真国や明海、そして烏子=実祈は世界と繋がっていたんですが。

ふたりが過去に殺めたという少女は、怪談の中にひっそりと語られるイケニエビトで、タマシイビに殺されるたびに記憶を食われ、別の人間として生きてく。タマシイビトに殺されると、その存在はあらゆる記録から失われ、ただ一つ、誰か人間の手によって殺されることでのみ、記憶の中に残ることができる。殺され続けてきた彼女が、ただ親しくなった人との記憶を奪われないために採る方法は、彼らの手によって死ぬこと。そんな悲劇的な選択を良しとせず、最期の最期まで抗い続けて、報われなくてもまた繰り返して。

少しずつ明かされていく、失われたはずの過去の出来事。その中で真国や明海と繋がることができた実祈が、タマシイビトと戦うために選んだのは歌うというおよそ「戦い」とは縁遠い手段。彼女が歌に込めた思いや、歌詞を思うと、絶望の中でも希望を捨てたくない、そんな切実な願いを感じられたような……。

ラストはこれまたちょっと切ない系で、ハッピーエンドではないのですが、決して未来に対して諦めを抱かせない、そんな終わり方。また数年という時間が流れ、彼らが再会したときにこそ、ベネズエラ・ビターの歌が、どこかの街で流れる、そんな未来図を思い描いたりするのです。

hReview by ゆーいち , 2008/10/11

ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート

ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート (MF文庫 J も 2-1)
森田 季節
メディアファクトリー 2008-09