お父さん、あなたはきっとじごく行きでしたよね。ヤマナさんは、どっちですか? ぼくとマユちゃんは、どっちなら行けますか? だれも答えないでほしい。だって、かみさまは、いないほうが納得できるから。
ぼくが僕になる前の物語。××がいかにしてみーくんになったのか、幼い記憶が季節の移り変わりとともに少しだけよみがえったりよみがえらなかったり。様々なひととの出会いと、そこから得た痛みという名の教訓がぼくにうそという言葉を教えてくれたのです。うそだけど。嘘だけど。
ということで雑誌掲載の短編集と書き下ろしの小編を収録した番外編。てか、みーまーの物語が現在の物語であるなら、『i』と表題されたこのエピソードは、文字通りみーくんでないところの主人公である××――あい ((ネタバレ? でも、さすがにここまでこのシリーズに付き合ってきて、みーくんの本名がこれってことに気付いていない純朴な読者はいないと思いたい……))――の物語というわけで。
もともと構成やら伏線の張り方やらが上手いと思ってましたが、この過去話は見事に本編と、別シリーズの『電波女~』とリンクしてたり。うむむ……。
春『うそが階段を上るとき』
ああ、くそ、恋日先生、良い医者だなあ。そんな彼女が人生ドロップアウトしてる現実を見ると涙がちょちょ切れるぜ……。
このころのぼくは、年相応に可愛げのある部分も見せていたのかなあ。恋日先生との付き合いが、その後何年も続くとは、このときの彼には想像だにできなかったのです、まる。
でも、やっぱり、彼が放り込まれている空間は歪んでいて、生と死が当たり前のように目の前に転がってるんだよなあ。
夏『ともだち計画』
小学生ならではの無邪気な悪意が牙を剥く! しかし、ぼくにはきかなかった!
小学校という子どもにとっては全世界と等しいようなコミュニティでの、異例ともいう孤立という立ち位置を獲得する方法とは……。
遠江嬢の下手っくそな気の引き方とか、取り巻きたちの下手っくそな気の引き方とか、傍観者的なぼくの目からすれば、まさに児戯に等しかったということですか。
ああ、でも、この余韻のある別れは悪くないですよ。二度と交わらないふたりの線が、ここで分岐したという記念碑的な物語。きっと、もう、僕の中で思い出されることもないんだろうなあ。
秋『蟻と妹の自転車籠』
兄がいかにしてあにーちゃんと成り上がったのか。
この歪んだお兄ちゃん大好き光線はきっと届かない。
というか、さらに子どもの頃から血なまぐさい修羅場を経験していたのね。どこで壊れ始めたかって、きっと生まれたときからゆっくりと壊されていったんだろうなあ。
冬『Happy Child』
がーる・はんつ・ぼーい。
みーくん、まーちゃんに狩られるのお話。
この状況で放置してたのは誰の責任なんだか誰の責任でもないのか、壊れて手遅れになった彼女がそこに投げ捨てられ見向きもされなかった事実が、何もかも手遅れであるということの象徴のようで痛い痛い。
そして、子どもなりに自分を見てほしいと願っても、まーちゃんの目の中に映るのはみーくんだけしかいないという事実。決して愛されることのない自分の名前を捨ててでも、彼女の幸福のために滅私奉公、それでもいっしょに壊れていけるのなら、あなたは幸せなんですか?
この後に続くのが、このエピソードだというのが切なすぎる。
とってももしもにもしかして『壊れていない正しさのある世界』
全てが嘘で塗り固められた if の世界。きっと、それはもう望んだって届かない、生まれた時点で、出会った時点で別たれてしまった遠い遠い夢の世界の物語。
嘘だと断じるくらいに、ぼくはうそをつくのが上手くなったけれど、それでもそこで願ってる誰かの幸福に、一片のほんとうも紛れていないなんて言ってないよね、言えないよね、きっと言いたくないよね。
最後の一行こそが、この世界に対する痛切な願いと、血を吐くような絶叫に聞こえてしまって困るのです。
……と、こんな僕以前の物語を土台にたたき上げられてきたみーまーの世界。救われないなあと思いつつも、ふたりが選ぶ幸せってのはきっとふたりだけにとっては『壊れていない正しさのある世界』であるんだろうなあ。
hReview by ゆーいち , 2009/06/21

- 嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん『i』―記憶の形成は作為 (電撃文庫)
- 入間 人間
- アスキーメディアワークス 2009-06-10
- Amazon | bk1
コメント