アカイロ/ロマンス〈6〉舞いて散れ、宵の枯葉

stars この身体に誓え。いずれこれは、お前のものになる。妾の心と一緒に、吉乃の心と一緒に……爪の先から髪のひと筋まで、すべてお前のものになる。だから……誓え。妾と吉乃を侍らすに相応しい男となると。罪を背負ってなお、それに負けないような男になると、誓え。

[tegaki]ながいゆめのおわりにて[/tegaki]

つまるところ、この物語はどこまでも恋と愛の物語だったんですよね。ひととひとの間に生まれる愛、ひととばけものの間に生まれる愛。それぞれ形は違うけれど、決してどれも軽んじることも嘲弄することもできない、尊い思いばかりだったのではないかと思います。

ひとを殺め、壊れかけの心を何とか現実に留めることしかできなかった景介。彼にしてみれば、前巻の終盤で明かされた真実と、自身が犯してしまった罪という事実は、鈴鹿との距離を取らせるには十分なもので。それでも、彼の中に消えないで残っていた思いを、再び蘇らせることができたのは、生を繋いでいる誰でもなく、彼にとってたった一人の、決して忘れることのできない少女――吉乃であったことが印象的ですね。第1巻に登場し、そのまま物語の舞台から退場したかに見えた悲劇のキャラクターで終わるかと思った灰原吉乃という少女は、この物語を通して、徹頭徹尾、彼女の身体を受け継いだ枯葉とともに、ずっとヒロインであり続けたのだなと確信させられます。

ただひたすらに、景介を密やかに思い続けた吉乃と、その思いを受け継ぎながらも、自分の言葉で景介に気持ちを告げることができた枯葉。きっと、このふたりにとっての景介への思いは、そのどちらかが欠けたとしても結実しなかった儚い思いだったのかもしれません。だからこそ、枯葉と吉乃。ふたりぶんの思いを受け止め、ふたりぶん愛するという決断を下した景介の強さもまた、ひたすらに尊く思えてきますね。
戦うということ、生き抜くということ。それはどこまでも難しいことで。滅び行く鈴鹿というひとにあらざる一族において、生に縋ろうとしたものも、死を受け入れたものも、その行動の根底には誰かしらへの思いが宿っていたのは間違いないでしょう。それが報われたのかどうかとは別の次元において、彼女たち、そして彼女たちに関わった人間である彼らは、愛に殉じて生き抜いたのだと思います。敵対し納得のいかない理不尽な死を受け入れたものも、あまりにあっけなく最期を迎えたものも、内に抱えた思いを遂げて逝ったのだと。

枯葉と小春、そして景介と雅。終盤における枯葉と小春の戦いと、景介を巡る思いの対立。それは一方的に求める愛と、互いに手を取り歩んでいく愛の戦い。けれども、小春にとって雅がそうだったように、彼女の中にそういう形の愛が失われていたわけではなかったんでしょうね。ただ、間違えてしまっただけ。そして、その一度きりの間違いが、取り返しようのない悲劇に結びついてしまったのが、どうしようもなくやるせなく思えてしまいますね。けれど、雅が小春によって救われた冒頭のシーンと対をなすように、小春の最期を看取ったのが、かつての雅であるかのような描写は、例えそれが幻であったとしても、小春の中にも確かにそんな優しさがあったのだというのを感じずにはいられません。そういう、素直な思いを言葉にするシーンはどれも気高く、美しくありましたね。

エピローグ。七年という時間の流れは、悲劇を少しだけ記憶の隅へと追いやってくれたよう。幸せになりつつあるもの、前向きに生きているもの、これからを探し続けているものと、誰もが後ろを向かず、ただ心に秘め、前へと進んでいることに嬉しくなります。景介と枯葉が結ばれ、子を成し、ゆっくりと滅びへと向かってゆく鈴鹿という一族。けれど、それは数々の悲劇を重ねた末に一族全体が夢見て、つうれんに託した夢と同じもの。滅びを受け入れ、それでもひととして生きていくという選択は、もはや古いしきたりや歴史という鎖に縛られることなく、戦い、つかみ取った夢の、少しだけ幸せな形だったのだと思います。

悲劇で終わらず、幸せな結末を用意してくれて、本当に良かったです。夢で微睡む彼岸の彼女たちも、この夢の続きが見られますように……。

hReview by ゆーいち , 2012/01/22

アカイロ/ロマンス〈6〉舞いて散れ、宵の枯葉

アカイロ/ロマンス〈6〉舞いて散れ、宵の枯葉 (電撃文庫)
藤原 祐 椋本 夏夜
アスキーメディアワークス 2009-12-10