秋空の下、きみは桜のようにほほえんで

2010年10月17日開催のPULLTOPオンリーイベント、ぷるとっぷベルスターズにて頒布しました同人誌収録のSSです。頒布終了にともない、こちらでも公開させていただきます。同人誌のデータは軌道回路のサイトでPDF形式で公開されておりますのであわせてご覧下さい。

秋空の下、きみは桜のようにほほえんで

「あ、あの、お姉様?」
「ん? どうかしたかい、妹よ?」
 どこか落ち着かなさそうにしながら、すみすみが言ってくる。
 確かに、こういう場所はセンセとすみすみの組み合わせだと、あんまり来ないだろうなあ。
 周囲を見回しながら、そんなことをアタシは思う。
 どこにでもある普通のファストフード店でアタシたちは一休み。
 ジャンクな味を思い出して無性に食べたくなることってあるけれど、そんな衝動に巻き込んじゃって、すみすみ、ゴメンね?
「あー、ちょっとうるさいかもね? あんまりこういうとこで食べたりしないでしょ、すみすみ」
「あ、いえ、そういうわけではなくて」
「ん? 違ったかにゃ?」
「いえ。それは、そうなんですが……」
 ふむ? それじゃあ何でしょうかね。
「あ、あのっ、そのっ」
「まぁまぁ、落ち着きたまえ、すみすみ」
 軽く頬杖をついて、自分のお気楽さをアピールしながら、アタシは彼女を落ち着かせようとする。
「す、すみません……」
 ほう、と一息ついてから、胸に手を当て呼吸を整える仕草。
 自己コントロールはお手の物。そうやってすぐに落ち着きを取り戻すあたりはさすが我が妹だねっ。
 ……別に、アタシがそういうの苦手だからって、うらやましいとかそんなこと、思ってないですよ? ホント、ホント。
「で、あらためて訊こうかにゃ、どうしたの、すみすみ?」
「いえ、その。せっかくお姉様とこうして外出しているのに」
「デート」
「は?」
「外出じゃなくてデートだよー」
「ぅ……。そ、その、デ、デート……しているのに」
 うんうん。その照れた仕草もアタシの姉心をくすぐるねえ!
「私の買い物にばかり付き合わせてしまって……申し訳ありません」
 あら、そんなこと気にしてたの?
 やれやれ、どこまでも律儀な子なんだから。
 アタシは苦笑混じりに頬杖を崩す。
 姿勢を戻して気にしていないポーズ。
 両のてのひらを彼女に向けてひらひら、ひらひら。
「良いって良いって、アタシも別に退屈なんてしてないから、気にしない、のーぷろぶれむ。むしろ楽しんでる?」
「どうして、疑問形で仰るのですか?」
「おっと、むしろ、楽しんでる!」
「はぁ……。分かりづらい表現ですね……」
 小首をかしげて、困ったように微笑むすみすみ。
「本当、お姉様と居ると、こちらが振り回されて困ってしまいますね」
「あ、あらら?」
 けれど、そう言う彼女の言葉は、どこか弾んで耳に届く。
「でも、そんなことも、楽しいと、今はそう思ってますよ?」
「……ほ」
「もう、いくら私でも、楽しくないのなら、自分から進んでお付き合いはしませんよ?」
 ――デートと仰ったのはお姉様でしょう?
 そんな言葉を視線に乗せて、すみすみは苦笑を微笑みに変える。
「そ、そうだよねっ! アタシも楽しい楽しい、ちょー楽しいから!」
「くす。そればっかりですね」
 こんなたわいもない会話を、アタシたちはことあるごとに楽しむ。
 こうして向かい合ってもそうだし、電話でもそう。
 どちらかというと、アタシの方から彼女にアプローチすることが今も多いけれど、それでも、すみすみは嫌なそぶりも見せないで、アタシに付き合ってくれるんだよね。
 振り回してるって自覚はあるけどさ、こんな風にふたりで遊ぶのを、ずっと夢見てたんだから。今まで無駄にしてしまった分を、取り戻さなくっちゃね。
「ふふ。ですが、ありがとうございます」
「ん? 何が?」
「いろいろ、です」
「ふーん。ま、すみすみが喜んでくれるなら姉冥利に尽きるってね。その服も気に入ってもらえると、お姉ちゃんはもっと嬉しくなっちゃいますよ?」
「はい。……ですが、大丈夫でしょうか?」
「む、聞き捨てならぬ言葉。アタシの見立てに意義あり! ですか?」
「あっ、いえ、お姉様に選んでいただけて、嬉しいのは本当です!」
「ふむ、だけど?」
「あの。私が普段着ているものとは、ずいぶん違うものを選ばれたので、どういったお考えがあるのかと……」
 ああ、そういうことですか。
 ここは計算通りっ! とか言うシーンに違いないね。
「あの、お姉様?」
「ちっちっち、イメチェンという言葉を知っているかな、妹よ? おろしたての新しい服装で、センセの前に立ってごらん? 普段と雰囲気の違うすみすみの姿に、センセも惚れ直すこと間違いなしだね!」
「え、そ、そうですか?」
「そそ。だから気にしないで自信を持ってその服で、センセをぜひとも悩殺しちゃってほしいのです。結果も教えてね?」
「ええっ!? ……の、悩殺とかしませんからっ。それに、いくらお姉様でも、そんなことまで報告する義務はありません」
「えー、つまんないー」
 ジュースを手にとって一口、のどを潤す。
 中にたっぷりと詰まった氷が音を立てる。
「し、しませんよ……」
 ちゅーちゅー。ストローを口にくわえたままのアタシは、そのまま中身を吸い上げつつ、すみすみを見る。
 ……あれ、何か様子が?
「すみすみ?」
「でも、もしかして、司さんが……」
「おーい?」
「そんな、私……。あ、駄目です……。でも、でも司さんなら……」
「あのー?」
 両手を頬に当てて、嬉しそうに頬を染めながら、いやいやをしたって、全然いやがってるように見えないですけどねえ。
 ちゅーちゅー。ずずー……。ありゃ、全部飲んじゃったか。
 写真でも撮っておこうか……?
 脇の椅子にちらりと視線をやるアタシ。
 ……あ。
 そこにあるのは、アタシの鞄と、その中にある……。
 そうそう、今日のアタシの目的は、買い物だけじゃなかったんだよ。
 今さらながらに思い出して、むしろこれからが本番だということを意識し直す。
 なんだか別の場所へ行ってるっぽい妹の様子を眺めているのもそれはそれで楽しいんだけど、そろそろ話を進めないといけないかな?
「はいはい、楽しい妄想をお邪魔して悪いけど。少しは周りを気にしようね、すみすみ?」
「……えっ?」
「愛し合うふたりの邪魔はしないけどさ、それはふたりっきりのときにするべきじゃないかにゃあ?」
「えっ? あっ!?」
 へっへっへ、と意地悪くアタシは笑ってみせる。
 ぱしゃりと、シャッターを切るジェスチャー。
「熱々なのは結構なことだけどね!」
 もう秋だというのに。
 ぱたぱたとアタシは頬を扇いでみる。
 この夏の猛暑にも負けないくらいに、相も変わらず熱々でらぶらぶなんだからなあ。
「も、もう……。お姉様、そんな風にからかうのは止めてくださいと言っているではないですか」
 恥ずかしさで、さっき以上に真っ赤になりながらうつむいて、消え入るような声音で抗議の言葉を漏らす彼女。
「だってさあ、本当に幸せそうで、うらやましいったらないよ、アタシは!」
 そう。センセとふたり。公認の仲とはいえ、今はまだ単なる同棲生活。
 けど、形式的な結びつきなんて、あってもなくても関係ないってことは、すみすみの様子を見れば一目で分かる。
 裕福ではないけれど、きっと、今の彼女は、以前の彼女より満たされている。
 ささやかだけれど、すみすみとセンセがふたりで手に入れた幸せっていうのは、そういう種類のものなんだろうな。
 だから、本当に。近頃のすみすみは幸せそうで、アタシまで嬉しくなる。
 ぴりぴりと張り詰めていた、けれど、些細なことで壊れてしまいそうだった学院生時代の「仁礼栖香すみすみ」と比べたら、今の「すみすみにれ すみか」の方が断然好き。それは、間違いないから。
 アタシが当たり前に与えられていた愛情に、飢えていたのは彼女だった。
 アタシが疑問を欠片も抱かなかった自身の境遇に、疑問を抱いていたのは彼女だった。
 アタシと同じで、でも、何もかも正反対だった彼女が、ようやくアタシと同じ幸せを手に入れようとしているんだ。そんな幸せになろうとしているすみすみを、応援したくないわけがないじゃない。
 だから、アタシの言葉はぜんぶ本当。
 ちょっとだけ、うらやましいことがあるとすれば。
 女としての幸せを先に掴まれてしまったこと。
 ……なんだか、姉の威厳が少しぴんちな気がするにゃあ……。
「あー、アタシもすみすみみたいに恋人作れば幸せがやってくるのかにゃあ?」
 それは、想像しようとしても、今はまだうまくできないでいるのだけれど。
「あら、お姉様、そういうのに興味ないと思っていましたけど?」
 そんなアタシの言葉を聞いて、お返しとばかりにすみすみが言う。
 む? 何ですか、その優越感に浸ったかのような表情は。
 軽くウインクをして、勝者の余裕めいたものさえ感じさせる笑顔。
「いやいや、すみすみ? アタシだって女ですよ? すみすみとかかなっぺとか、らぶらぶな姿を見ているとね、独り身が寂しくて涙で枕を濡らす夜が続いてしまうのですよ」
「また、ご冗談を」
 あ、今度はやれやれって感じで首を振るし!?
「……いや、そこで速攻否定されるのも少し寂し……いや、確かに冗談なんだけどさっ!」
 ああ、何だかもぉちくしょー!!
 でもでもっ、アタシにだって、言い寄ってくる男のひとりやふたり……。
 ひとりやふたり……。
「今のところ、正臣しかいないや」
 はぁ……。がっかりだよ、アタシは。
「え?」
「んー。すみすみのところの、正臣さあ、何でアタシをあんなに気に入ってるの?」
「え? さぁ……?」
「あれからも、たまにデートのお誘いいただいてさあ。アタシとしてはその気はないんだけど、どうにかならない?」
 残念ながら、アタシからしたら恋愛対象外なんだけどなあ。
 まぁ、ほとんど面識もなかったのに、いったいどこを気に入ったのか、その点はちょっと訊いてみたくはあるけれど。
「ですが、お姉様? かわいい弟の頼みくらい聞いてもいいのではないですか?」
 弟ねえ? アタシにはあんまり実感ないんですよ、そこのところは。
「かわいい妹の頼みなら考えるんだけどにゃあ」
「では、私がそう、お願いしたら?」
「すみすみは、そんなことしないと愚姉はそう思うのですよ?」
「お見通しですね」
「お見通しなのですよ、お姉ちゃんは」
 お互い、好いところも悪いところも、ずいぶん見せ合っちゃったからね。
 でもさ、それが間違いじゃなかったってことは誇っても良いと思うんだ。
 その結果が、今のアタシたちなんだから。
 アタシも。
 すみすみも。
 こうして笑っていられるんだから。
 ホラ。間違いなんてどこにもありはしないじゃない?
 こんなに、今。
 アタシは幸せなんだもん!
 そして。
 妹のくせに、姉のようにアタシを見つめる、すみすみの柔らかな笑顔はとてもきれいだから。
 アタシはこの胸の内にあることばを口から紡ぐことをせず。
 ただ、彼女の笑みに込められたものと同じ気持ちを乗せて、笑みを返すことにした。

 たわいもない会話は、携帯の着信で唐突に遮られた。
 アタシの耳にも小さく届いた短いフレーズは、
「あ、すみません」
 メールの着信を報せるものだったみたい。
 視線を落とし、小さな手からすらりと伸びた、細い、白い指で操作するすみすみ。
 誰から? なんて訊くまでもなく分かっちゃうよね、あんな表情を見ちゃえばさ。
 携帯の画面に目をやった途端に、あんな顔をされちゃあね。
 初々しいなあ。
 ふだんは、四六時中、べたべたしていて、どこまでも暑苦しいバカップルのようなのに。
 こういうとき、一瞬浮かぶすみすみの表情ってば、恋人を想う表情というよりもっと深いものを感じてしまう。
 まるで、分かちがたい自分の半身を見つけたときのような、欠けていたものが埋められたような、安堵と、それよりずっとずっと大きな幸福の色に染まる表情かお
「センセから?」
 アタシは答えの分かりきった質問をしてみる。
 もちろん、返る答えは、アタシの予想通りの名前。
「はい。今日は外で待ち合わせなんです。司さん、予定より早く着きそうだって」
 なるほど、それで、か。
 予定より早く、センセと合流できそうだからって、あんなに嬉しそうにしちゃって。
 これじゃ、アタシはやっぱりお邪魔虫みたいじゃない?
「あらら。それじゃあ、すみすみをいつまでも独り占めしているわけにはいかないか」
 あーあ。
「すみすみとのデートの時間はもう少しで終わりかあ」
 ちょっと、残念、かな?
「す、すみません。でもっ、まだ、もう少し、時間はありますから……」
 慌てたように言いつくろう彼女の姿は、さっきまでとはうって変わって、迷子になった子供のよう。
 そうやって、うろたえて、困っている顔が、可愛いなんて言ったら、きっと怒られちゃうんだろうな。
 だから、アタシは、すみすみの不安を気安い言葉で振り払う。
「んーん、だいじょーぶだいじょーぶ。すみすみにとってのメイン・イベント、お姉ちゃんとしても盛り上げないわけにはいかないからねっ!」
 それに。
 ついつい話し込んで盛り上がっちゃったけれど、このプレゼント早く渡さないといけないしね。
 腕に巻いた時計の時間を確認すると、針は思ったより進んでいて、楽しい時間の短さを思い知らされる。
 後ろ髪を引かれる思いはあるけれど、アタシも重い腰を上げないといけないかな。
「それじゃ、出よっか、すみすみ」
 アタシは、ふたり分のトレイを重ねて席を立つ。
「あ、ま、待ってください、お姉様!」
 彼女は手にしたままのドリンクのカップとアタシを交互に見てから、慌てた様子で中身を飲み干す。
「ほらほら、すみすみ、行くよー?」
 そんな彼女の姿を見ながら、アタシはわざと、彼女を急かす言葉を投げる。
「も、もうっ! お姉様はいつもいつも急すぎます!」
 急かすアタシと、抗議の声を上げる彼女。
「だってさ、のんびりしてると少ない時間がもっと少なくなっちゃうんだもん!」
 まだまだ甘いね、すみすみ。
 お姉ちゃんはこういうときは素早いんですよ?

§

 すみすみと並んで歩く町並みは、すっかり秋色に染まっている。
 夏の緑は少なくなって、これからどんどん寒くなっていくんだなって、そんなことを吹き抜ける風の強さと一緒に実感させられてしまう。
 空気はすっと澄んでいて、高い高い空にうっすらとうろこ雲が流れていく。
 夕焼けに変わる前のほんの短い時間に見えるふしぎな色。
 空の青と茜の色が混じり合う、寂しさと暖かさを感じさせる色。
 反射的に撮りだしたデジカメのシャッターを押して空を撮って、それからアタシは横を歩くすみすみの姿を改めて視界に収める。
 歩調はゆっくり。言葉は少なく。
 残されたいくばくかの時間をふたりして惜しむように、のんびりと周囲を眺めながらアタシたちは歩く。
 少し騒がしすぎるくらいに感じていた店内とはまるで違う穏やかな空気。
 何か話さなきゃ、なんて焦りを感じる必要もないくらいに、アタシたちはこの雰囲気を楽しんでいるのだと思う。
 ――とはいえ、どうしたものかねえ。
 なんだかタイミングを逸してしまった気がしなくもない。
 ホントはもっと、こう、ぱぱっと、あっさりと、切り出すつもりだったのにな。
 今、いきなり、それをするのは。
 ……ちょっと難度が高いよねえ?
 ふだんなら、一方的にアタシが話しているようなものだけれど、こんな落ち着いた空気も悪くない。そんな風に思ってしまうと、いつものテンションで会話を始めるのは、ちょっとだけ勇気がいるかも……。
 うーん、うーん。
 胸の内で頭をひねってどうしたものかと自問自答。
「どうかしたんですか、お姉様?」
 と、アタシの密かな煩悶なんてお構いなしに、すみすみが訊いてくる。
「んー?」
「何か、悩んでおられるようでしたので」
 悩んでいるっていうか、何ていうか……。
 そう、照れくさいんだ。
 あらたまって、こういうことを切り出すのがさ。
 だって、アタシらしくないじゃない?
「そうかにゃ?」
「はい。ですが、そうやって、難しい顔をなさっているのは、お姉様には似合いませんよ?」
「う、うるさいなあ。いっつもそんな顔をしていたすみすみには言われたくないよ!?」
「ふふふ。今は逆になってしまいましたね?」
 う……。
「ねえ、お姉様?」
「ん、何? すみすみ」
「まだ、時間もありますし、もう少し、お話ししていってもよろしいですか?」
 その言葉の裏には、アタシが何か言いあぐねているのをフォローしようという気持ちが見え見えで、アタシはむしろその気遣いに苦笑いしてしまう。
「? どうかしましたか?」
「んーん、何でもない。ありがと、すみすみ」
「もう少し先に公園もあります、そこでよろしいですか?」
 そう言って、アタシの手を取るすみすみ。
「わ」
 自然に、こともなげに、手を繋いじゃったよ。
 そんな小さな驚きも、手のひらから伝わる彼女の温もりで包み込まれていく。
 ホント、いつもと逆になっちゃってるなあ。
 アタシはすみすみに手を引かれながら、そんなことを思う。
 でも、こうやって、引っ張られていくのも悪くないかな?
 アタシは、繋いだ手がほどけないように、ゆっくりと、しっかりと、すみすみの手を握りしめて彼女に続く。
 今日のデートはもう少しで終わっちゃうけれど、それを残念だと思っているのがアタシだけじゃなくて、すみすみも同じなんだとワケもなく分かる。
 こうして、繋がっている、ただそれだけのことで言葉にしなくても伝わるものがあるんだと、今さらながらに知らされる。
 それは、なんて嬉しいことなんだろう。
 ついさっきまで、自分の中にわだかまっていた、体面を気にする照れなんて、とてもちっぽけに思えてしまう。
 さあ、問題です。『日本の正しいお姉ちゃん』は、こんなとき、大好きな妹にどうしてあげるのが良いのでしょうか?
 考えるまでもないじゃない?
 何が『アタシらしい』かなんて、答えは、もう出ているのだから。

 ベンチに並んで腰掛け、アタシたちは言葉を交わす。
 やっぱり、アタシが質問して、すみすみがそれに答えるという、そんな感じだけれど。
 勉強は順調に進んでいること、目標に向かってがんばることに手応えを感じていること、その先にある未来に希望を抱いていること。
 まっすぐに自分の夢を実現しつつある彼女に、アタシが手伝えることなんて、ほとんどないのかもしれない。
 けれど、これだけは手渡ししたかったんだよね。
「……これは?」
「お守り。学業成就の」
 それは、学業の神様で有名な神社のお守り。
 わざわざ手に入れるために現地まで行ってしまいましたよ、アタシ。
 思い立ったその日に、奏に声をかけて、無理矢理引っ張ってぶらり女二人旅。いやぁ、アレはアレでいい思い出になったよ。
 ……いや、取り寄せだってできることくらい、アタシだって知ってるけど、やっぱり、気持ちは大事だと思うから。アタシにできることって、こんな応援くらいだから。
「まぁ、すみすみには必要ないかもしれないけれどね。むしろアタシの自己満足?」
「そんなっ」
「へ?」
 思いもしなかった強い言葉がすみすみの口から漏れる。
 彼女は、お守りを、両手で優しく包み込んで胸に抱く。
 決して高額でもない、ありふれたお守りなのに、大事そうに、大事そうに。
「そんなこと、ありません」
 首を横に振りながら。優しい微笑みを浮かべながら。
「お姉様が、私のためにこのお守りを用意してくれたこと。私に渡してくれたこと。私はこんなに嬉しく思っているのですよ? それを自己満足だなんて言わないでください」
「すみすみ……」
「気休めなんかじゃありません。単なる神頼みなんかじゃありません。お姉様が私のためにしてくれることを、私が何とも思わないわけがないではないですか」
 すみすみの言葉はアタシを否定するものじゃない。
「こんなことされたら、失敗なんて絶対できませんよ?」
 困ったように、だけど、すみすみはどこまでも嬉しそうに笑う。
 彼女は、アタシがすみすみを想っている以上に、アタシを想ってくれているのかもしれない。
 こんな小さなプレゼント一つに、アタシのささやかな祈りのような想いに、それこそ全力で応えようとしているのだから。
 改めて思う。すみすみはアタシにとっては、できすぎなくらいにできた妹だよ。
 アタシはそんな彼女の姉なんだ。
 だから、アタシはそんな彼女にとって、誇れる姉でありたいと思う。
 アタシが持っていないすてきなものを、たくさん持っているすみすみだけれど、その逆もまた同じであると、そう思いたいから。
 だから、アタシは彼女の言葉に応えるのだ。
 いつも強気で、元気で、騒がしい、大好きな妹を振り回す姉として。
 アタシは立ち上がり三歩前へ。くるりと反転して、アタシの動きを目で追っていたすみすみに、人差し指を突きつける。
「アタシはそもそも、すみすみが失敗するなんて少しも思ってないんだけど?」
「……簡単に仰いますね、お姉様」
「ふっふっふ、たかが受験なんてハードル、すみすみなら余裕、余裕!」
 でも実際のところ、アタシの方がハードル高くされちゃってるよ? 君のせいで。
 勢いで半ば誤魔化しちゃったけれど、アタシはすみすみの期待と信頼に応えられる姉でなければいけないんだよ?
 大変だよ。……大変だけれど、それはアタシだけができる、アタシにしかできないことだから。
 この大役は、誰にも譲ってなんかあげないよ?
「それと。あともう一つプレゼントがあるんだ」
 だから、今の勢いに乗って渡しちゃおう。
 今をおいて、他にチャンスはないだろうし。
「え?」
 アタシとしては、むしろこっちが本命な、もう一つのプレゼントを。
「はい!」
 両手でしっかりと持って、彼女へと差し出す。
 シンプルにリボンで装飾を施しただけの質素な包装。
 一目見て、それが何だか分かったすみすみが言う。
「アルバム、ですか?」
「そうだよ。いっぱい思い出作ろう。いっぱい思い出残そう。いっしょにさ!」
 アタシと、すみすみの、ふたりで。
「これを、私に……?」
「うん。本当の姉妹になるには、ずいぶんと遠回りしちゃったけど、その分をアタシは絶対取り戻してみせるよ? あらかじめ言っておくけど、すみすみがイヤがっても、お姉ちゃん権限で却下しちゃうからね?」
 ぎゅっと彼女は空白のアルバムを胸に抱く。
「……っ」
 ほんの少しの間、言葉を失くし、それから言う。
「……あ、りがとう……ございますっ」
 声を震わせ、目を閉じて、自分の内側からあふれてくるものに懸命に耐えるような様子で。
「そんな風に感激してもらえて、アタシも嬉しいよ。でもね、大事なのはこれからなんだから、忘れないでね?」
 アタシの命令に、返る言葉は途切れ途切れで。
「……ぃ、は……いっ」
 アタシは思う。その真っ白なアルバムに、思い出を綴じていくのはこれからなんだと。
 何処へ行こう。何をしよう。アタシが考えてるプランはいくつもある。すみすみにだって希望はあるだろう。それを片っ端から実現していくのは、きっととても楽しいこと。
 ――そうして、来年もこの日に、アタシは彼女にアルバムを贈ろうと思ってる。
 毎年、毎年。年を重ねるのと一緒に冊数を重ねていく。
 それが、アタシたちふたりの思い出の積み重ねになるのだから。
 大切なものは、きっと心の中にしまわれる。でも、こんな風に、形に残す思い出が少しもないなんて、寂しいじゃない?
 だから、このアルバムは、アタシからのすみすみへのプレゼントであると同時に、アタシ自身へのプレゼントでもあるのだ。
 目に見えるアタシたちふたりの繋がりの証として。姉妹の絆の形として。
 今さらこんなこと、どんな顔して言えばいいのか分からないから。
 すみすみの誕生日という、特別な日だからこそ、思い切って言えることなんだ。
 すみすみはアルバムを抱きしめたまま、きゅっと目を閉じ、涙をこぼし、小さく嗚咽を漏らす。そんな、彼女の姿を見て、アタシは小さく微笑む。
 あーあ。泣かせるつもりはなかったんだけどね。でも、彼女の涙が、悲しみから来ているわけじゃないのは分かっているから。そんな妹の泣き顔も、アタシは愛おしく思う。
「もう、泣かない泣かない、良い子だから」
 アタシはすみすみに近づいて、泣き止まない彼女の頭を右の手で撫でる。小さい子供をあやすように。その涙を止めるために。
「……な、泣いたのはっ……お、お姉様が……っ」
「うん。アタシも、すみすみのそんな反応は予想外だったよー」
「も、もうっ……本当。いつも、いつも……っ、貴女は、不意打ち、すぎます……」
 そう言いながら、頭を撫でるアタシの手に、彼女は自分の手を重ねる。今度はアタシから、その手を握り返す。
「へっへっへ。でも、アタシの気持ちに嘘偽りなんてないからね?」
 すみすみが顔を上げる。涙に濡れたままの瞳がアタシを見る。
「……はい」
 そして笑い返してくれる。涙がこぼれる。アタシは空いていた左手で、ハンカチを取り出して、その涙をぬぐう。
「ほら、そろそろ泣き止んで? そんな顔じゃ、センセに何かあったかと思われちゃうよ?」
「はい。すみません……」
 立ち上がり、アタシの差し出したハンカチを受け取って目元をぬぐう。
「ありがとうございます、お姉様」
 ほんの少しだけ、目を赤くしてしまったすみすみを見て、申し訳なく思う。
「ゴメンね? これからセンセと待ち合わせなのに、目、赤くなっちゃった」
「あ、いえ。大丈夫です」
「ホントー? 後でセンセから、すみすみに何をした!? とか電話かかってこない?」
「くす。……たぶん」
「まぁ、何というか、センセには内緒にしておきたいからさ」
「え? どうしてですか?」
「……恥ずかしいから」
「……え?」
 あのセンセ、『どれだけ妹が好きなんだ、みさきち!』とか言うに決まってるんだ。そりゃあ、すみすみのことは大好きだけど、それとこれとは話が別。
「べ、別に、いいのっ! すみすみの一番はセンセかもしれないけど。アタシだってすみすみともっと仲良くなりたいのっ。だから、これはアタシたちだけの秘密なの!」
「……ふ、ふふふ」
「ああ、呆れてる!? ひどいよ、すみすみ!」
 控えめに、だけどはっきりと分かるくらいに彼女が声を出して笑う。
 泣いたカラスがもう、じゃないけれど、そんなにおかしいこと、アタシ言った?
「くすくす」
 おそらくは、別の意味浮かんだ涙をまたぬぐい、彼女はアタシを見つめてくる。
「ええ、分かりました。では、今日のことは、私とお姉様との秘密ということで」
 何個目かの、姉妹の秘密。
 こうして、ふたりだけの秘密を作っていくっていうのも、悪くないんだよね。嬉しいんだよね。
「それでお願い。でも、すみすみは嘘が下手だからにゃあ。まぁ、ばれたらばれたで仕方ないけど」
「そ、そんなことありません!」
 そう思ってるのは自分だけなんだよ残念ながら。
「そのときは、私が愛しているのは司さんだけなんです、とでも言っておけば大丈夫だね、きっと」
 誤解されることなんて、ないだろうけど。こう言っておけば、ちょっとした笑い話で片付くことだからね。
 そんなことじゃ誤魔化される人なんていません、なんて拗ねたように言う彼女。そして、また、可笑しそうに笑い出す。
「……ふふふ、でも、お姉様?」
 ほんの一年前は、こんな風に笑顔を向けてもらえるなんて、思ってもいなかったから。こうして何度目か分からないくらいの笑顔を見る、それだけで、アタシは心があったかくなる。
「そうは仰いますけれど、これだけは忘れないでくださいね?」
「え、何?」
 彼女は言う。自分の言葉をかみしめるように、ゆっくりと。
「司さんは、私にとって、大切な大切な愛しい男性です」
 けれど、迷いなく、はっきりと。
「う、分かってるわよ、惚気なくたっていいじゃない」
「ですが」
「……え?」
 そう、言葉を続けたすみすみは、アタシの目をまっすぐに見つめ。
 アタシの心の中までのぞき込もうとするようなまっすぐな視線で。
「お姉様はお姉様です。私にとって、姉と呼べる方は、美綺お姉様。貴女だけなのですよ? どちらが大切かなんて、無意味な比較をなさらないでください。私が司さんを愛しているように。お姉様、私は貴女のことも、同じくらいに、大切に、愛おしく思っているのですよ?」
「すみすみ……」
「忘れないでください。間違えないでください。私にとって、貴女は他の誰にも代え難い、たった一人の大好きなお姉様なのですから」
 一気に言い切って、彼女ははにかむ。周囲を赤く染めようとする夕暮れの色の中でも分かるくらいに頬を染めて。
「……そっか。……うん、そっか……」
「はい」
 あー、もう、どうしよう。たぶん、アタシも同じような顔をしちゃってるんだろう。頬が熱くなってくる。そして、どうしようもなく可笑しくなってくる。
「あ、あはは。あはははは!」
 こんな、告白めいた言葉を何の迷いもなく言う妹なんて、日本中、いや、世界中探したってきっといないよ。
 もう、アタシは笑うしかないじゃない。
「止めてよね、すみすみ。そんなこと言われたら、アタシだって返事をしなきゃイケナイみたいじゃない?」
 冗談めかしてアタシは言うけれど、こんな内心、悟られたくはないのです。
 妹に弱いところは見せたくないのが姉心ですから。
 感動と照れと嬉しさと、その他、いろいろな気持ちがごっちゃになっちゃって、もう、訳が分からない。
 どうしてだろう?
 アタシが、すみすみの誕生日をお祝いするために、今日のデートをセッティングしたはずなのに。
 フタを開けてみたら、アタシの方が喜んじゃってる。
「――返事を、いただけますか?」
 返事こくはくをねだるすみすみに、アタシが何と言ったかは。

 今日、ふたつ目の姉妹だけの秘密ということで。

§

「時間、大丈夫?」
「ええ、まだ大丈夫ですよ」
「そっか、良かった」
「でも、司さん、待ち合わせには余裕を持って来ますから、少し待たせてしまうかもしれません」
「いや、それじゃ良くないよ!?」
 そんなこと言われたら、アタシが気にしちゃう。
「ほら、じゃあ、今日はこれで解散。楽しかったよ、ありがと! すみすみ」
「こちらこそ。本当にありがとうございました」
 礼儀正しく。丁寧に頭を下げて、すみすみがお礼を言ってくる。
「秘密、守ってね?」
「だ、大丈夫です。ちゃんと荷物は預けて行きますから」
「ん、なら良し」
「はい。では、お姉様。これで失礼します」
「うん、ばいばい、すみすみ」
 もう一度、頭を下げてからすみすみは背を向けて歩いて行く。
 夕暮れ時。帰り路を急ぐ人たちの中でも、見失うことのない後ろ姿。
 ……あ。
 不意に思いついたアイデアを、アタシは後先考えずに実行に移す。
 デジカメを取り出し、電源オン。液晶に明かりが灯るのを確認するや、アタシは大声で妹を呼ぶ。
「すみすみー!」
 先を行く彼女を呼び止めるように、アタシは声を張り上げた。
 アタシの声に立ち止まり、振り返るすみすみ。
 周囲の目を気にするなんて考えは、もうどっかへ行っちゃってる。
「誕生日おめでとう、栖香・・!」
 その言葉が、届いたかどうかなんて、訊く必要なんてない。
 蕾がほころび、花が咲くように、彼女の顔に浮かんだ、満面の笑顔を見ればそれだけで分かる。
 だから、アタシはすみすみの言葉が返る前に、次の行動へと移るのだ。
「すみすみの笑顔、いただき!」
 シャッターを押す。小さな電子音が、彼女の笑顔をばっちり撮ったことを報せる。
「……!」
 今さら気づいても、もう遅いよ。
 だから、消してほしいとか、やり直してほしいとか、そんなお願いは、されても聞いてあげないから!
 おとなしく、お姉ちゃんからの最初の一枚が届くのを待っていなさいな。

 アタシは決めたんだ。
 アルバムの最初の一枚はこれにしようって。
 こうやって彼女の笑顔を撮っていこうって。
 そして、この気持ちを彼女にも贈ろうって。
 これは、アタシの宝物だから。
 たぶん、照れて真っ赤になるけれど、わがままを言うアタシを結局は苦笑しながら許してくれる。
 そんな姿を想像して、ますます嬉しくなる。
 アタシはデジカメの液晶に映った笑顔を指でなぞる。
 高い秋の空の下。優しく、幸せそうに咲く笑顔を。
 すみすみの好きな桜のように、淡く美しい笑顔を。
 ――秋にだって桜は咲くんだ。
 大好きな妹の、大好きな笑顔を見て、アタシはそう思った。


このSSはぷるとっぷベルスターズにて頒布しました同人誌収録のものを一部修正したものです。

使用した画像はmorgueFileからの引用です。