その前に僕は、自分が人の道を外れたことを、自分に刻もう。そうだな、右手がいい。“箱”を潰す力を持つ、この右手に、戒めを刻もう。そうしたら僕は――この物語のエンドロールを観に行こう。
大嶺醍哉の『人生』を上映するこの空間で、すべてのプログラムが終われば彼は敗北する。
星野一輝の狙いを阻止するために醍哉がとった奇策によって、ついに醍哉は一輝を映画館へと引きずり込むことに成功する。
音無彩矢、麻理亜、そして、“O”。
“零のマリア”を巡って、一輝と醍哉は衝突する。
二人のうち、『世界』を救う/変えるのは、果たして――。
[tegaki font=”mincho.ttf” size=”36″]戻れぬ日常にさよならを[/tegaki]
思えば遠くへ来たもんだ。
5巻あたりから、もしかしたら、その前の事件のあたりから、登場人物たちの感情とか思考回路とかがどんどん常識を外れていく気持ち悪さを感じていたんですが、ここに至り、完全に破綻しきったような悪夢のごとき展開を見せてくれますね。なんだこれ。
主人公であり、マリアをただただ求めるはずの主人公・一輝。だけれど、彼のマリアへ向かう感情が強すぎるのか、他の全てをどうしてもいい、どうなってもいい、邪魔をするなら消えてしまえばいいなんていう、これまでの日常を大切にしてきた彼は一体どこへ? という目が点になるような変貌ぶりを見せつけてくれますね。ああ、もしかしたら、彼は第1巻の時点で、気の遠くなるような年月を彼女と過ごした、その時点で、箱に関わる運命に囚われ、そして望む望まざるに関わらず、ゆっくりと狂わされていったのかもしれませんね。
この巻で見せる一輝の行動は、常軌を逸しているの一語に尽きますね。前巻で色葉さんを再起不能になるまで追い詰めた力と冷酷さが備わり、こと、“箱”所有者に対しては死神と等しいような存在にまで成り果ててしまった一輝。マリアを醍哉の側に囚われ、焦っていてもおかしくないのに、その感情を切り離し計算尽くで友人も、かつての親友の大切な人も道具のように扱う。もはや彼が主人公だなんて思いたくなくなるような容赦ない行動をためらいなく取れるくらいにまで変わり果ててしまいましたね。日常とつながりを失くしても失いたくないたった一人の少女のためにここまで尽くすとは、ヤンデレヒロインならぬヤンデレな主人公がここに誕生……! いや、どちらかというと醍哉の方が主人公的な活躍をしてるような……?
最大の強敵と思われた醍哉にしても、彼の過去が2巻にわたって語られると、どうしても彼を敵役として見ることはできなくなってしまいますね。いろいろな事情がからみ、もつれ、狂ってしまった彼らの青春。取りもどすことのできない時間と、癒えることのない傷を受けてしまった恋人への贖罪のためか、自らを罰するためとも思えるような破滅的な行動の結末は、醍哉自身が望んでいたのかどうかはともかく、彼はまだ人として踏み外す直前で道を引き返すことができたからだと言えるのではないでしょうか。それでも全てが許されるわけではなく、因果応報、彼が行ってきた非道には同様な報いが与えられることになるのですが……。
しかし、そんな醍哉の危機が、結果的に一輝に対して最大の打撃となってしまったのは彼が願っていたことなのか。自らの記憶を犠牲に、誰かの救うことを願うマリアの祈りは果たされたけれど、一生分にも等しい大切な記憶を手放してしまう、その選択は本当に正しかったことなのでしょうか。一輝の変貌ぶりを見ても、マリアの彼に対する思いは捨て去ることができなかった。それほど重い存在なのに、自らに課した役目は自分の半身とも言える記憶を捨ててまでも遂げなければならないものなのか?
そんな彼ら彼女らの落ちていく様を見て、微笑んでいる“O”の姿が浮かぶようです。真実に触れ理解しながらも、瞬く間に奪われてしまった記憶。記憶でなく魂に刻まれている何かがあるのかと期待するような描写もありましたが、この作品、そんなに甘くないんですよね。
一輝のことを忘れてしまったマリアが、彼と対峙したあとの展開は、修羅場となるのかどうなるのか。ここまでくると、バッドエンドで終わってもおかしくない気がするんですが一体どんな結末を用意しているんでしょうか。自覚的に人の道を外れてしまった一輝は、ただ一人、マリアだけを求め、世界から切り離されていく。そんな救いのない終わり方を迎えても驚かない気がします。が、その予想を見事に裏切ってくれることを信じて、続巻の早い刊行を祈りますよ。いや、ホントに。
hReview by ゆーいち , 2013/01/28
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