楽聖少女〈3〉

stars この世はそういうものです。知りたければ触れなければいけない。たとえそのひと触れで、いとしいものを汚し、傷つけ、壊してしまうとしても。

楽聖少女〈3〉 書影大

初オペラの公演失敗で落ち込んでいたルゥのもとに届いたのは、プロイセン王国での再演依頼だった。喜び勇んで楽譜の書き直しを進める彼女の身に、やがておそるべき異変が襲いかかる。……耳が聞こえなくなり始めたのだ。
原因を探るうちに僕が見つけたのは、ベートーヴェンの隠された過去と、さらなる謎。
不安を抱えたまま僕らはプロイセンに向かうことになるが、折しもナポレオンもまたプロイセンに進軍を開始。歴史に翻弄される僕らの運命は、再び戦場で激しく交錯する――絢爛ゴシック・ファンタジー、第3弾!

この世界の謎が少しだけ見えてきた気がしますね。突然、過去に遡り、ゲーテと一体となったユキ。そして本来なら男性のはずのベートーヴェンが女性であるというおかしな世界。彼女……ルゥもまたユキと同じように偉人の意志によって選ばれ、そしてそうとは知らずに彼を演じているという悲劇的な役割を担わされている世界。その世界の構造に小さく、そして致命的な亀裂が入るのを予感させる第3巻です。

ルゥが、かつてのルートヴィヒであった頃のベートーヴェンの記憶に触れたことから生じる身の異変。耳が聞こえなくなるという、来るべくして訪れた変調に苦悩するのは彼女自身だけではなくて。歴史上の、憧れでもあったベートーヴェンという存在ではなく、身近でずっと一緒に過ごしてきたルゥという少女のを案じるユキ。けれど、ルゥの健康を取りもどすということはこれから生まれてくる数々の傑作の芽を摘むことになるのではないかと悪魔に囁かれ悩むユキ。彼もまた、ルゥと同じように人間でありながら、それ以前に芸術家という生き方を捨てきれないいきものなんでしょうかね。仮に、このままルゥの異変が続くとしても、それで数々の名曲が生まれ、目の前で味わうことができたなら……そんな甘美な誘惑に囚われそうになる、人でなしの発想への恐怖。この辺の苦悩への理解というのはなかなか凡人には及びも付かないものなんですけど、ふたりの苦しみは伝わってきますよね。こういう重苦しいお話もまた上手い。

ユキはユキで、彼自身の因果が狂いはじめているのが切ない。大切な家族、父親、母親、祖父たちの名が、懐かしい母国語と共に失われていくのは紛れもない恐怖でしょう。こういう展開は、ピアノソナタの世界が崩れてしまうようで読者としても切なくもあるのですが、この世界そのものの構造が、虚構であるのだとしたら、それは一体誰が見ている夢だというのでしょう。

終盤、ヘーゲルが語る言葉はまさにそのことを暗示しているのかも。ユキが物語のはじめに悪魔と出会い、ゲーテとなるそこから始まる夢物語。果たして、それは誰が夢見て、そしていまだ眠り続けているのやら。魔王たるナポレオンの目的も、悪魔たちの暗躍も、そしてその中心に据えられていそうなルゥの失われた過去とルートヴィヒの死の真相。物語の中心部がそろそろ見えてきそうな流れですけれど、そこに至るまでに失われていくものの大きさに心が痛みます。

登場人物たちの生と死は、すでに史実として確定していて、そのことを否が応でも思い知らされるようなエピソードでしたね。けれど、その生と死の重みというのも、現実世界とはかけ離れたものになりつつあるような気がします。そりゃあ、悪魔やその力を得たものが世を席巻し、見えるものには見える形で幽霊が闊歩するような世界。モーツァルトは地縛霊だし、ミヒャエルはその拳で悪魔を叩きのめすし、この世界の音楽家はみんながみんなおかしいぞ。それと、挿絵で筋骨隆々のオヤジの絵はいりませんから! なんか、絵師さんが妙にノリノリで描いてたのが伝わってくるような躍動感、いりませんから!

そんなおかしな人たちの織りなす、けれど、これは命を紡いでいく物語。芸術家たちは、その身を削り、命を捧げ、苦悩と絶望を糧に様々な芸術を世に送り出していくんでしょう。そんな魂が込められた楽曲の数々をBGMにしながら、感想を書くというのも、なかなかオツなモノですね。

hReview by ゆーいち , 2013/03/09

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楽聖少女3 (電撃文庫)
杉井光 岸田メル
アスキー・メディアワークス 2013-02-09