ごく普通の日常がそこにあるはず……だった。
「祐一さ~ん」
教室に響く、澄んだ声。
オレに浴びせられる好奇と羨望、そして妙に殺気立った視線の雨あられ……。
「早いわね」
「早いね」
「早いぞ」
「……ぐぁ」
見事にハモった三つの声に俺は呻くしか出来なかった。
「し、栞……」
勝手知ったるなんとやら。
満面の笑顔を浮かべ、ぱたぱたと手を振った栞を見て、俺は苦笑を浮かべるしかなかった。
らんちたいむ狂想曲
~Lunchtime Capriccio~
「こんにちは、栞ちゃん」
「あ、こんにちはです、名雪さん」
「よぉ、相変わらず可愛いな、栞ちゃん」
「もぅ、そんなこと言ってもダメですよ」
「北・川・君……?」
「はっ……!?」
「お姉ちゃん?」
「ふぅ……。栞、相変わらず、そんなにお弁当抱えてどうするのよ……」
「あはは、でも祐一さんいっぱい食べてくれますよー」
「祐一、お腹、大丈夫~?」
「大丈夫よ、相沢君は栞のためならなんでもしてくれるもんねー」
「お、お姉ちゃん……」
「んー、さすがだな、相沢」
「祐一にはもったいないよね、やっぱり」
「そうそう。どう、栞ちゃん? 相沢なんてほっといて今日の放課後でも……」
「え、えっと……」
「北・川・君……?」
「はっ……!?」
お~い。
「それにしてもたくさんのお弁当だね」
「はいっ。毎朝大変だけど頑張ってます」
「手伝わされるあたしの身にもなってよね」
「わたし、朝は弱いからとてもお弁当なんて作れないよ」
「そうね」
「そうだな」
「そうですね」
「……みんな、ヒドイこと言ってる……?」
お~い。
「えっと……、ところで、みなさん今日のお昼はどうされますか?」
「香里、どうする?」
「あたしは、栞に付き合って自分のお弁当も作っちゃったし」
「俺は学食だな」
「わたしも、学食だよ」
「また、Aランチ?」
「うん。美味しいよ」
「……はぁ」
「香里、何となくそのため息はヒドイよ……」
お~い。
「あ、じゃあ」
「どうしたの?」
「えっと、お天気もいいし、皆さんご一緒しませんか?」
「え? いいの?」
「はいっ。皆さんさえよろしければ……」
「うおぉっ、嬉しいぜっ!」
「北川君、あとでちょっといいかしら?」
「ぐぁっ! す、すまん、美坂……。つい」
「あとでゆっくり聞いてあげるわ」
「はぅ……」
「あ、それじゃどうしましょうか?」
「しょうがないから、付き合ってあげるわよ」
「わ、お姉ちゃん、何だかイヤそうです」
「そ、そんなことないけど」
「北川君と、食べるつもりだったんだよねー」
「な、何言ってるのよっ」
「あれ、違うの?」
「も、もうっ!」
お~い。
「あ、それじゃ、お昼そろそろ行こうよ」
「そうだな」
「はいっ」
「それじゃ行きましょうか」
「うんっ、行こう」
「祐一さん、行きましょう」
「あ、ゴメン、祐一、忘れてたよ」
「俺も」
「あたしも」
……
「お前ら……」
「わぁっ、いい天気だよ」
「そうね」
「絶好の弁当日和だなっ」
「気持ちがいいですねー」
「はぁ……」
「いつまで落ち込んでるの?」
「祐一らしくないよ~」
「そうだな。明日は雪でも降るんじゃないか?」
「降るかっ!」
「――祐一さん、すみません。ご迷惑でしたか……?」
「いや、全然そんなことはないぞ」
「そうですか?」
「ああ」
「そうよね、いつまでも根に持つなんてらしくないわよ」
「明日になればきっと忘れてるよ」
「今日の放課後にはけろっとしてると思うぞ」
「お前らなぁ……」
「あ、祐一さんこの辺でいいですか?」
「ん? ああ、日当たりもいいし、ここでいいぞ」
「はい。それじゃ、ちょっと待ってくださいね」
「祐一~、少しは手伝ってあげた方がいいよ?」
「冷たいのね、相沢君」
「男の風上にも置けんな」
「……」
「はいっ、準備オーケーですっ」
「ごくろうさま、栞ちゃん」
「それじゃ、遠慮なく」
「あ、北川君、もうちょっと場所空けてよ」
「あ、悪い、美坂」
「はいっ、祐一さんはここですね」
「お、おう……」
「あたしは自分のお弁当を食べるけど」
「はいっ、私たちのお弁当、遠慮なく食べてくださいね。名雪さん、北川さん」
「わ。『私たちの』だって……」
「羨ましいこと言われやがって」
「じゃあ、北川、お前も香里に作って貰えばいいだろ?」
「美坂っ! 作ってくれるか?」
「――イヤ」
「ぐはぁ……」
「……ふっ」
「相沢……何だその笑いは?」
「何でもないぞ?」
「くそぅ」
「ほらほら、北川君、食べないの? とっても美味しいよ~」
「わっ、嬉しいですー」
「祐一、ラッキーだね。毎日お昼が楽しみでしょ?」
「お、俺も食うぞ!」
「わ、いっぱいありますからゆっくりで大丈夫ですよ」
「おおっ、ホントに美味い。相沢ばっかりいい思いしやがって、許せんな」
「あのなぁ……、香里がスゴい目で睨んでるぞ……」
「……ぐっ!」
「ホラ、お茶……。――ったく、少しはアイツのことも考えてやった方がいいんじゃないのか?」
「お前にだけは言われたくないな」
「なんでだよ?」
「イヤ、何となく。色々といい思いしてそうだからな、お前は」
「ふたりでこそこそ何してるのかしら?」
「あっ、イヤ、香里の手料理、食ってみたいなって。なっ、北川」
「おうっ。栞ちゃんがこんなに上手いんだから、美坂も美味い料理作るんだろうなって」
「当然でしょ」
「お姉ちゃんに、色々と教えて貰いましたー」
「香里も結構家庭的だからね」
「さすがだな、香里」
「と言うわけで、今度食わせてくれな」
「なんでそうなるのよ……」
「ダメか? 美坂……」
「うっ……。か、考えておくわよ」
「よしっ! 今の言葉、俺の心の奥底に深く刻んでおいたぞっ!」
「何よそれ……」
「何となくだ」
「まぁ、いいわ。でも、あんまり期待はしないでね」
「おうっ!」
「良かったな、北川」
「おうっ、やっぱお前は俺の一番の友だな、相沢」
「まぁな」
「ねー、何こそこそ話してるの?」
「祐一さん、私のお弁当、美味しくないですか……?」
「全然そんなことないぞ。相変わらず美味いぞ」
「ありがとうございますー。じゃあ、私の分もどうぞ」
「ぐぁ……、栞、ちょっとこれは多すぎだと思うぞ……」
「そんなことないです」
「相沢君、栞の手料理が食べれないの?」
「一生懸命作ったんだから、食べないとダメだよ、祐一」
「幸せ者だな、相沢」
「祐一さんなら食べれますよ。はいっ」
「わ、分かった」
「わー、祐一、頑張ってね」
「相沢、骨は拾ってやる」
「北川さん、そんなこと言う人、嫌いですー」
「北川君~?」
「ああっ、しまったっ!」
「哀れだな、北川……」
「祐一さん、どうぞ」
「はっ!?」
「お互い様だな、相沢」
「ぐぅ……。そのようだ」
「ふぅ、ごちそうさま、だよ」
「あっ、名雪。もっと食べていいのに!」
「ダメだよ。お腹一杯だし、このお弁当は祐一のために作ったものだからね」
「そうですよっ。ちゃんと食べてくださいね」
「相沢君、頑張ってね」
「ちょっと待てぇ、お前ら! 昼飯食ったらとっととお暇かっ?」
「うん、お腹一杯だから」
「あたしたち、お邪魔みたいだから」
「じゃあな、相沢」
「北川君と、ちょっと話もあるから、ね」
「み、美坂……、ちょっと待て……」
「あとでゆっくりと聞いてあげる、って言ったでしょ?」
「うぐぅ」
「誰かみたいなセリフはいいから。行くわよ」
「さらば、北川」
「じゃあね、祐一、栞ちゃん」
「あ、はい。またです」
「ごちそうさま。美味しかったよ、お弁当」
「ありがとうございますっ、名雪さん」
「うん。またね」
「じゃあな、名雪」
「ちゃんと、食べなきゃダメだよ」
「……薄情者」
「祐一さん、何か言いました?」
「な、なんでもないぞ。さて、残り早く食べないとなっ」
「はいっ。どんどん食べてくださいっ」
「うぅ……」
「それじゃ、ね」
「はいっ」
「じゃあな」
「なぁ、栞……」
「はい?」
「やっぱり、今日は狙ってただろ……?」
「何をですか?」
「いつもより、弁当の量が多い気がするんだが……」
「そんなことないですよー」
「そうか?」
「祐一さんにいっぱい食べて欲しいんです」
「それにしても多すぎ」
「ダメですか……?」
「それ以前に俺だけじゃ食べれないって」
「でも、食べるって言いましたよね」
「イヤ、だから量が……」
「食べるって言いましたよね」
「量が……」
「言いましたよね」
「……」
「さ、どうぞ遠慮しないで食べてください」
「……はい」
「今日はちゃんと全部食べてくださいね」
「マジか……?」
「食べるまで帰しませんよ」
「――もっと別のシチュエーションで言って欲しかった」
「なんですか、それって?」
「そうそうっ! もう昼休み終わりだって、教室戻らないと」
「大丈夫ですよ」
「なんで……?」
「私、今の授業の範囲、去年終わらせてますから」
「ぐぁ……」
「だから、大丈夫です」
「イヤ、俺は大丈夫じゃない」
「ちゃんと食べてくださいねー」
「授業が……」
「大丈夫ですよー」
「俺は大丈夫じゃないっ!」
「そんなこと言う人、嫌いですー」
「授業ぉぉぉぉ~~~!」
「食べてくださいねー」
「勘弁してくれぇぇぇぇ~~~!」
空は嫌味なほど青かった。
「食べてくださいねー」
ごく普通の日常がそこにあるはず……だった。
「食えるかぁぁぁぁ~~~!」
俺の日常って……。
一体……。
☆お・わ・り☆
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