きっと明日も

きっと明日も

 明日もいい天気だな。沈む夕陽の光に染められた茜色の雲を眺めながら俺はグラスを傾けた。
「よっ、耕一、なに黄昏てんのさ」
「ばーか、たまには物思いにふけるってのもカッコいいだろ?」
「あんたにゃ似合わないよ」
隣いい、そう訊いて俺の答えも待たずに縁に腰を下ろす。
「こら、あんまり引っつくと暑いだろ」
「ボヤかないボヤかない」
言ってぱたぱたと手扇で俺を仰ぎながら小さく苦笑する梓。
「ね、いつまでこっちにいるんだっけ」
しばらく俺の視線の先を眺めていた梓が不意に訊いてきた。
「ん、今月いっぱいは世話になろうと思ってるけど。鶴来屋の手伝いは結構楽しいし、小遣い稼ぎにもなるしな」
夏の間のバイトを提供してくれた千鶴さんに俺は感謝した。
「千鶴姉も浮かれてるみたいだね。ヘマしなきゃいいけど……」
「足立さんがしっかりフォローしてくれてるよ」
「千鶴姉の手伝いしてないあたしに言えた義理じゃないけどさ」
少しだけ申し訳なさそうに微笑んで梓が言った。
「千鶴さんが手伝ってくれって言ったわけじゃないだろ。大体進学するって決めたのはお前だし、みんなが反対したわけじゃないんだから、今さら気にする必要なんてないだろうが」
「ありがと、珍しいね、耕一がそんなこと言うなんてさ」
鼻を鳴らして俺はグラスの中の麦酒を飲み干す。
「ああっ! 耕一、お前ひとりで何飲んでるんだよっ!」
「って気付けよ、お前も。まだあるけど飲むか?」
傍らにあったビール瓶から残りを注ぎ梓に差し出す。
「あたしはまだ未成年だっ」
「堅いこと言うなって。ほれほれ」
「ったく、少しはいい雰囲気だったのにさ、この酔っぱらい……」
「ん?」
呟いた梓の言葉にとぼけた俺に、
「なんでもないよっ!」
「ぐあっ!」
久々の梓の鉄拳が炸裂した。
§
「てて……」
「大丈夫ですか、耕一さん?」
「大丈夫、お兄ちゃん?」
「耕一さん……」
俺を気遣う千鶴さんたちの言葉が優しくキズに染みていく。
「大丈夫大丈夫……。結構効いたけどね」
「あの子もあれで耕一さんに会えはしゃいでるんですよ」
「千鶴姉うるさいっ!」
「はいはい」
柔らかな姉の表情を崩さずに、千鶴さんが梓の言葉をかわす。
「おー、美味そうだ。梓の料理も去年以来だからなー」
「へへっ、気合い入れて作ったからな。楓も初音もたまには楽できるといいだろ?」
「えへへ。ありがとう、梓お姉ちゃん」
食卓に並べられた料理の数々に腹の虫が騒ぎ出す。
「それじゃ、いただきましょうか」
その言葉の後、俺たちのいただきますの声が綺麗に重なった。
「あっ、それあたしのだぞっ」
「んー、美味い美味い」
「こ、耕一お兄ちゃん、わたしのあげようか?」
「ダメですよ、耕一さん。お肉ばかり食べてちゃ」
「梓姉さん、おかわり」
「もうっ、みんな落ち着いて食べろってっ!」
言う梓の表情は、やっぱりどこか嬉しそうだった。
§
虫の音を聞きながら脹れた腹を休める。懐かしい畳の匂いは多忙な毎日に置き忘れて来た安らぎを思い出させてくれた。
「お兄ちゃん」
障子戸の向こうに小柄な少女の影。
「初音ちゃん? 入って来なよ」
身体を起こし初音ちゃんの座布団を敷く。
初音ちゃんは嬉しそうに俺の向かいに腰を降ろした。
「なんだか久し振りだね。みんな嬉しそう」
「初音ちゃんも元気そうだね。少し、背、伸びたかな?」
「うん、少しだけどね。わたしも成長してるんだよ」
「俺から見たらまだまだ……」
「もうっ、お兄ちゃんのえっち。お兄ちゃんは相変わらずだね」
恥ずかしそうに微笑みながら初音ちゃんが言った。
梓がいなくなって家事が少し大変になったこと。千鶴さんが作った殺人的な料理から楓ちゃんとふたりで逃げ回ったこと。学校のこと。友達のこと。初音ちゃんは俺にいろいろな話をしてくれた。
時間を忘れて話し込む俺たちへ、再び障子越しに声が掛かった。
「あの、耕一さん……。初音もいるの?」
その声に初音ちゃんが驚いたような表情を浮かべた。
「あっ」
「どうかしたの、楓ちゃん?」
「初音に耕一さんを呼んで来るように頼んだのに遅かったから」
「あれ? 俺呼ばれてたの?」
「初音だけ、ずるい」
戸越しに聞こえた楓ちゃんの拗ねた声が可愛くて、少しだけ可笑しくて、俺と初音ちゃんは小さく微笑みあった。
§
「遅かったですね、ふたりとも」
穏やかな口調で千鶴さんが俺たちを迎えた。
「ゴメン、千鶴さん。初音ちゃんとつい話し込んじゃって」
「ごめんなさい、お姉ちゃん」
「なるほどね、それで楓が拗ねてるんだ」
「そんなことない……」
梓の揶揄に楓ちゃんが小さく声を上げた。
ふと梓の足元を見ると大きな木盥。張られた水と大きな西瓜。
「へー、大きな西瓜だね。向こうじゃなかなか見れないよ」
「先日いただいたものなんですけど。耕一さんもいらっしゃることだし今日食べようってみんなで決めてたんです」
「じゃ、さっそくいただこうかな」
そう言うや否や楓ちゃんが素早く西瓜を綺麗に切り別ける。
「いつの間に……」
呆然と呟く俺に楓ちゃんがおずおずと西瓜を差し出す。
「耕一さん、どうぞ」
「ありがと、楓ちゃんも随分家事が上達したんじゃない?」
「初音と頑張ってますから」
薄く頬を染めながら、楓ちゃんがはにかんだ。
「どうです、耕一さん、久々のこの家は?」
「やっぱりいいですね。自分の部屋よりも落ち着きますよ」
嬉しそうに笑うみんなの顔を見て、ふと思い付きを口にする。
「あ、いきなりですが明日バイト休ませて貰っていいですか?」
「え、ええ? 一日くらいなら構いませんよ」
「じゃ、梓、釣りにでも行くか? 道具一式残ってるだろ?」
いいね、と言う梓の言葉に、いろんな言葉が重なる。
「楓ちゃんと初音ちゃんも一緒に行こうか。って、拗ねないでくださいよ千鶴さん。千鶴さんの休みにはちゃんと付き合いますから」
ひとり頬を膨らませる千鶴さんに俺は慌ててフォローを入れた。
約束ですよ、千鶴さんの少し恐い微笑みに俺は引きつった笑顔で答え、それを見た梓たちが一斉に笑い声を上げた。
きっと明日もいい天気だな。
満天の星の瞬きの下で、俺は手に持った西瓜を口にした。

-了-
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