君にたくさんの花束を

2007年1月6日

君にたくさんの花束を

 どれだけ感謝しても、足りないから。
せめて、この花束を、君に送ろう。

「プレゼントで花束を贈りたいんですが……」
いらっしゃいませ、と入店するや否や女性店員に声をかけられた浩之は、思わず丁寧語で答えた。
意気込んでフラワーショップに足を踏み入れてみたものの、店内の雰囲気に圧倒され、いきなり及び腰になる。
「はい、どのような種類をご希望でしょうか?」
こういう場所は自分には不似合いではないかという思いを抱きつつも、知識のない自分は誰かに相談するしかないのは事実。専門の販売員なら、相談 相手としては至上であるし、そもそも浩之の個人的な事情まで詮索するわけではないのだから、気後れする必要はないと分かってはいるのだが。
明るい店内にところ狭しと配置される種々雑多の花々。今日この時まで、誰かに花を贈ろうなど思いもしなかった浩之にとっては、さながら花咲き乱れるジャングルといった様子である。
「う~ん」
思案顔のまま、店内を見渡す浩之を見て、店員は少し微笑ましく思う。
高校生くらいだろうか? 照れくさそうな仕草と、口ごもりながらプレゼントと言った様子から、多分、恋人に贈るんだろうと、自然に正答に辿り着く。自分から見れば弟のような年代の少年を、懐かしく思いながら次の言葉を待つ。
「あ~、こんなんなら、何が良いかあかりに訊いてくるんだった」
根を上げたのか、大きく嘆息し、申し訳なさそうに浩之は店員を見る。
「もしよろしければ、ご相談に乗らせていただきますよ?」
もう少し、この少年の様子を楽しんでみても良いかなと、意地悪な思いも浮かぶものの、自らの職務を放棄するほどこの仕事を軽んじてはいない。
興味があるなら、これから訊けばいいのだから。
渡りに船の申し出に、少年はようやく肩の荷が下りたとばかりに緊張の色を薄める。決して真面目そうではないけれど、まっすぐな瞳はどこか人を惹 き付けるようなものを感じる。ほんの少しの会話でも、斜に構えているようでいて、相手への思いやりが言外に含まれていることも理解できた。
あかり、というのが彼の恋人の名前だろうか。お客さまのプライベートをあまり詮索する必要はないのだが、学校帰りに学生服を着込んで、単身プレゼントを買いにやってくるような、この少年の一生懸命さを店員は好ましく思った。
「お送りになる相手は、女性の方でよろしかったでしょうか?」
「あ、はい」
独り言をつぶやきながら、店内を眺めていた様子を見られたことに、わずかに恥じ入りながらも浩之は答える。
「いつも、世話になってるヤツがいて、そいつの誕生日、今日なんです。こういうの初めてだから、どんなの選んで良いか分からなくって」
「そうですか。あの、不躾な質問かも知れませんが、その方はお客さまの」
「あ~、まぁ、そんな感じです」
店員が皆まで言うよりも早く、言葉を遮るように浩之が答える。
他人からそういうことを訊かれることに、慣れないし、ましてプレゼントに花束なんてらしくないことを考えている自分が、やたら恥ずかしいことをしているんじゃないかという錯覚する。
「そうですね、でしたら定番ですが、薔薇などがよろしいかと思いますが」
色や種類で薔薇も様々な品目があるが、恋人へのプレゼントならローテローゼが定番中の定番である。これまでも、この花を購入されるお客さまは多数いたし、これからも絶えることはないだろう。
「この赤い薔薇などいかがでしょうか? 一番人気ですし、女性に贈るならこちらが喜ばれるかと思いますよ」
「ふ~ん」
「あとは、かすみ草を一輪加えて、メッセージカードなど添えられてはいかがでしょうか? 本数は特に決まっているわけではありませんが、お誕生日のプレゼントでしたら、年齢と同じ本数を差し上げるのがよろしいかと思います」
「なるほど」
薔薇にかすみ草? その組み合わせに何の意味があるのかは浩之には分からない。相手は販売のプロなのだから、浩之が選ぶのよりは間違いはないだ ろう。それに、定番といわれているのには、それなりに理由があるのだと思うし。時流に合わせたように流行廃りがあるようでは、定番とはいえないのだから。
「分かりました。じゃ、それでお願いします。いくらくらいになりますか?」
「ありがとうございます。薔薇は何本になさいますか?」
「あ、えっと、十八本で」
「少々お待ちください」
店員はエプロンに忍ばせていた小型の電卓を取り出して、手早く金額を算出する。薔薇が十八本、かすみ草、ラッピングその他、締めて……。
「お待たせしました。こちらになります」
液晶に表示される黒色の数字を見て、浩之は思わずうなり声を上げる。
「げ」
予想より結構する。花って、こんな高かったのかよ。
「そうですね、こちら、単価の方はそれほどでもないのですが、本数がまとまっておりますので」
浩之の内心の焦りを察しつつも、とりあえずはマニュアル通りの対応を。
実際の金額は、浩之が驚くほど高いわけではない。単に、花束イコール安価でお手軽などと思っていた代償なだけである。今後は相場もよく調べてからプレゼントも選ぼうと、ほんの少しだけ反省しながらも、ここまで来て後に引ける浩之でもない。
「いえ、それで構いません。お願いできますか」
「ありがとうございます。それでは先にお会計よろしいでしょうか」
言って、レジカウンターへ浩之を案内する。
「花の方はただいまラッピングさせていただきますので、しばらくお待ちください」
そう言って軽やかにテンキーに指を走らせ、売上を立てていく。
「それでは、お会計、こちらになりますね」
「あれ?」
数字が先ほどの見積もりよりも、わずかながらも小さくなっている。
「あ、少しだけおまけさせていただきますね。またの機会がありましたら、ぜひ当店をご利用ください」
「あ、すいません」
「どういたしまして」
紙幣で支払い、硬貨で釣りを受け取る。とりあえず、予算内に収まったことは喜ばしいが、当分は節約生活が続きそうだ。
まぁ、受験生がそれほど娯楽にお金をつぎ込める時期じゃないのは重々承知。さらにいうならば、誕生日にプレゼントとか浮ついたことが言える余裕もないのだけれど。
「お待たせしました。痛まないようにセロファンで包んでおきましたが、お渡しする際には外してからにしてください。それとメッセージカードもございますが、一言、お客さまの気持ちを添えて、お渡ししてはいかがでしょうか?」
何から何まで出来合いでは格好が付かないかも知れない。
せめて、お祝いの一言と、それとなかなか口には出せないが、感謝と素直な気持ちを書こう。
店員からペンを受け取り、筆を走らせる。内容を見られるのはさすがに恥ずかしいので、気を利かせて店内を眺めるように視線を逸らしてくれたのは正直ありがたかった。
書き終えたカードを、二つ折りにして店員に渡す。
「はい、確かに。それではこちらが商品になります。お気をつけてお持ち帰りください」
「はい。いろいろありがとうございました」
軽く頭を下げてから、ラッピングされた花束を受け取る。
柔らかなピンク色の包装に、薔薇の深紅に近いリボン。一輪添えられた白い花がひっそりと寄り添っている。
とりあえず、店の名前は覚えておこう。
店を出てから、一度振り返り店名を確認してから歩き出す。
まぁ、これが喜んでもらえるか、まだ分からないんだけどな。気がかりなのは、その一点だった。

§

このままあかりの家に向かうか、自宅へ戻るかの二択に、浩之は後者を選択した。
両親不在がかれこれ一年近く続くのに加えて、受験の追い込みもあって、神岸家の厄介になる回数が目に見えて増加していた。
あかりのありがたい申し出に、二つ返事で答えれば、彼女の母であるひかりも、家族同然に迎え入れてくれる。子どもの頃からの長い付き合いとはいえ、この年になっても変わらずに接してくれるのは、正直どれだけ言を尽くしても感謝しきれないとも思う。
ましてや、今の二人の関係は、単なる幼なじみのそれではないのだから。
今日の、この突然の思いつきだって、単なる勢いに任せた行動ではないと自分では思っている。
あかりの誕生日を祝うだけなら、毎年のように、志保や雅史といった、馴染みの面々で大騒ぎしていた。さすがに、入試を控えている今年だけは、自粛せざるを得なかったけれど、それを理由に何もしないという選択は、浩之は当然のこと、あの二人にも存在しないと信じていた。
柄にもないプレゼントの選択は、知らず知らずあかりを単なる幼なじみではなく、女性として意識した結果であることは言うまでもない。もちろん、 あかりの好きなくまグッズでも喜ぶだろうし、仮に「おめでとう」の一言だけだったとしても、彼女なら最高の笑顔で喜んでくれるだろう。それを良しととしな いのは、ひいては浩之個人のわがままでもある。
もしかしたら、浩之に余計な気を遣わせてしまったことを、申し訳なさそうに詫びるかもしれない。
もちろん、そんなこと言おうとすれば、浩之は実力行使でその口を塞ぐまでであるが。
そんなわけで、まったく似合ってない深紅の花束を抱えながら、浩之は少しだけ歩を早め自宅を目指す。
道行く人々の視線が、自身に向けられているのは気のせいだと、内に生まれる恥ずかしさを誤魔化すように。

誰もいない自宅の静けさになど、とうに慣れていた。
すぐに出かけるのだからと、靴を脱ぎ捨て、リビングに荷物を置いてから、自室へと駆け上がる。
夜の近い時間であるから、あかりの家でも夕食の準備が進められていることだろう。自分のことは、あまり気にしないでほしいと思うのだが、あの家の住人はどうにも浩之が来ないことには食事に手を付けようとしない。
結局、浩之が可能な限り余裕を見て神岸の家を訪ねることにしているのだが、今日は少し時間が危ういことに、少しばかり気を揉み始めていた。
制服を脱ぎ捨て、とりあえず適当に服を見繕って着替える。あとは食事を取って、勉強して、寝るだけだから、それほど気を遣うこともないだろう。普段通りの格好で、部屋を飛び出し駆け下りる。
厚手のコートを念のため纏い、それから財布と家の鍵、今日は忘れてはならない大切な荷物もある。全てが揃っているのを確認し、家を出た。
日は沈み、空の色が闇に染まるまでそれほど時間もかからないだろう。
ゆるみ始めた冬の気配も、二月の終わりにさしかかったとはいえ、この時間はまだまだ自己主張の手を休めない。
はき出す吐息が白く流れるのを脇目に、通い慣れた道を神岸家に向かって進む。すごそこである。
とりあえず、台詞の確認をしよう。
チャイムを鳴らせば、おそらくはあかりが出迎えてくれるだろう。いきなり渡しても良いものか、それとも家に上がってからの方が良いものか。慣れないものはするものではないとしみじみ思う。
とりあえず、当たって砕けてもあかりなら許してくれるだろうと、他人が聞けば自分勝手な結論を下し、押し慣れた呼び鈴を鳴らした。
「はいはい、あら、浩之ちゃん」
「あ、おばさん、こんばんはっす」
予想に反し、浩之を出迎えたのは、家主である神岸ひかり。
両親不在の間も、何かにつけて浩之のことを気遣ってくれる、ある意味母親以上に母親らしい人物である。あかりとのこともあるので、当然のように頭が上がらない。
「いらっしゃい、今日は遅かったのね。二人とも待ちくたびれちゃったのよ」
上品な微笑みを湛えたまま、ひかりは浩之を家に招き入れる。
めざといわけではないが、浩之が背後に隠すそれに、ひかりが気付く。もっとも、隠し切れてないそれに、気付くなと言えば、それは無理と答えるしかないのであるが。
「あら、わざわざありがとうね、浩之ちゃん」
「あ、いや。これくらいは……」
嬉しそうに礼を言われても、浩之は困ってしまう。
「でも、こんなのしか用意できなかったんですけど」
「あら、あの子にとっては浩之ちゃんから贈られる、それが一番嬉しいことなの、まだ分かってくれてないのかしら?」
「あ~、その、すいません」
「別にいいんだけどね。浩之ちゃんが選んでくれたんだから、きっと喜ぶわ。それにしても、奮発したわね、結構高かったんじゃない?」
隠すまでもないと、表に持った花束を嬉しそうに眺めながらひかりが問う。
「ま、去年は大したのをあげられませんでしたからね、今年は奮発ですよ」
「そうね、ありがとう。あ、ここで立ち話してもしょうがないから、早く上がってちょうだい」
「おじゃまします」
いつも通りの気安さに、緊張していたのは自分だけだったという事実に、肩の荷が下りたような安堵を覚える。
「あかり、浩之ちゃん来たわよ」
「あ、うんっ」
ぱたぱたと足音を聞き慣れた足音。
「浩之ちゃん、いらっしゃい」
「ああ、今日もごちそうになりに来たぜ」
「うん、いっぱい食べてくれると嬉しいな」
「ん、ゴチになります」
ついつい、あかりのペースに乗せられ、たわいもない会話がスタートする。
ぬるま湯みたいにいつまでも浸かっていられる、心地良さに満たされた空気。
油断すると、そのまま変な時空に引きずり込まれそうになるので、とりあえず我に返って、本日の最大の目標を達成することにする。
「あかり」
「なぁに? 浩之ちゃん」
勢いを付けて、眼前に突きつけるように差し出してしまう浩之。
もう少し、やりかたもあるだろうに、と内心毒づいても、時間は戻らない。
「え?」
「誕生日、おめでとう」
「あ」
だいたい、これくらいオレがすることを予想してたって良いじゃないか。
なんで、そんな惚けたような目でオレを見るんだ、あかり。
いつもいつも、オレにありがとうとか言ってるけれど、ホントはオレの方がその台詞を言わなきゃいけないんだから。
だから、今日、オレがお前にこの花を贈るのは、当然のことだし、お前に受け取ってもらわなきゃ困るんだ。
「あ、その、浩之ちゃん、これ、私に?」
「この家に、今日誕生日の人間が、お前以外にいるのか?」
これくらいは素直に受け取ってくれよと、浩之は深紅の花束を強引にあかりに手渡す。
「わ」
驚きの表情は喜色に染まり、そのまま崩れて……。
「あ~、泣くな泣くな。泣くんだったら、これはお前にはやらん。おばさんに渡すぞ?」
「イヤだよ。もう、私が貰っちゃったもん。お母さんにも渡さないからね」
「わーったよ。じゃあ、オレから取り上げられないように、しっかりしてろよ」
「えへへ、分かったよー」
あかりは浮かびそうになった涙をぬぐうためか、まなじりを袖でこすり、笑顔を作る。「でも、こんなの貰っちゃって良いの?」
「ああ、オレの気持ちと思ってくれ」
「えっ!?」
「ん?」
「あ、ううんっ、なんでもないよ。そうなんだー、えへへ……」
「何だよ、いきなり笑うと気持ち悪いぞ」
「もう、いいの。私は浩之ちゃんからプレゼントが貰えて、すごく嬉しいんだから。気持ち悪いなんて言わないでよー」
「まぁ、それは冗談だけど。いきなり笑い出すのは怖いから、外ではやめておけよ」
「浩之ちゃん次第だよ。こうやって、私を喜ばせる浩之ちゃんが悪いんだよ」
「そんなに喜ぶことか? ホントはもっと良いのにしたかったんだけど、ゴメンな」
「ううん、これがいいの。一番嬉しい。ありがとう」
あかりは、幸せそうにローテローゼの花束を抱きしめる。
「はい、あかりも浩之ちゃんも、そろそろいいかしら?」
「あ、すみません」
「あ、あはは……」
我に返りとたんに照れくさくなる浩之とあかり。
ひかりに一部始終を見られていたという事実は、二人を赤面させるには十分すぎるほどの威力を発揮した。
「じゃ、じゃあ、私、これお部屋に活けてくるね」
「ああ、さっさと行ってこいよ。遅くなってなんだが、オレもさすがに腹ぺこで限界かも」
「うん」
言って、階段を上り部屋へ向かうあかり。
「ほら、言ったでしょ」
「ええ。でも、あんなに喜んでくれるとは思わなかったですよ」
「そうね、浩之ちゃんには分からないかもしれないわね」
「何がです?」
「好きな女の子に、薔薇の花を贈るってこと。女の子にとっては特別なんだから」
そんなことを、あのフラワーショップの店員も言っていた。理由を聞いておけば良かっただろうか?
「どういう意味かは、教えてくれないんですよね?」
「あかりに訊いてみたら? そう簡単には教えてくれないと思うけど」
「でしょうね……」
志保あたりにでも訊いてみるか。アイツならあることないことまでペラペラ喋り倒してくれることだろう。
「はいはい、今日はせっかくなんだから、ゆっくりしていってね。別に今日くらい勉強おろそかにしても、私は許しちゃうから」
「さすがにそれは、マズイです」
でも、まぁ、年に一度だ。あかりが望むなら、いくらでも付き合ってやっても良いだろう。その分、明日は死にものぐるいで勉強? そんなの知ったことか。
階段を下りる足音が聞こえる。
さて、いい加減おじゃましよう。
浩之はいつになく豪華であろう食卓に期待を高める。
その前に、もう一度言ってやろう。
「あかり、誕生日おめでとう」
と。

花束を贈ろう。
君が隣にいる限り。
この、たくさんの花束を。
オレの想いと共に。いつまでも。

──了──

SS,ToHeartSS,ToHeart

Posted by ゆーいち