ふと思いついたバレンタイン SS です。
桐葉が初めてのバレンタインにどうしようか、といったシーンをコメディ調で書いてみました。
バカップル度がやたらと上がってしまいましたが、こういう桐葉もなんだか可愛いなと思うのですがどうでしょう。
bitter choco,so sweet kiss
バレンタイン、というイベントがこの国にはある。
女性が好意を持つ男性に、チョコレートといっしょに愛を告白する日、らしい。
この日の持つ本来の意味合いとはまったく異なる形で、人々に受け入れられているイベントだ。全く、八百万の神が住まう国とはいえ、異国の慣習まで独自に取り込んで、何かにつけて祝おうという国民性は、私もその一員とはいえ多少の疑問を持ったりするのだ。
そもそも、周囲の浮ついた空気と距離を置いて生活してきた私にとって、バレンタインデーなどという日は、その前の日ともその次の日とも何ら代わり映えのしない一日に過ぎなかったのだ。
そう、今日、この日までは。
監督生室には、私と千堂さんのふたり。彼は学年末の各部や委員会の調整に東奔西走しているし、東儀さんはローレル・リングのお勤めだとかで、今日は学生会の仕事を休みにしている。珍しく、千堂さんとふたりだけになった今を好機と見て、私は思いきって彼女に質問をぶつけてみた。
「へ、チョコレート? 紅瀬さんが?」
何やら奇妙な生き物を見る目つきは止めて欲しい。
私が告げた言葉がよほど意外だったのか、千堂さんはそう訊き返し、困惑混じりの表情を隠そうともせず私を見ている。
そんなに変なことを訊いたのだろうか? 私は頷き返し、真剣な表情を緩めることなく彼女に言う。
「ええ、バレンタインのことは私だって知ってるわ。今まで全く興味はなかったし、そもそも口にすることも少ない食べ物だったけれど」
「ああ、まあ、そうよね」
似たような境遇にある彼女は、私の意を汲んでくれたのか、納得がいったとばかりに大きく頷く。
「で、そんなバレンタインに縁もゆかりもなかった紅瀬さんが、唐突のそんなことを言い出したってことは。なるほど、ね」
半眼でいやらしい笑みを浮かべる千堂さん。
彼女の百面相は見ていて飽きはしないのだけれど、その理由を察せられ、からかわれてると分かるだけに、なんとも居心地の悪い気分になる。
けれど、彼女の視線から逃げるのはなんだか気に入らないので逸らしたりはしない。
一年前のように会う度に繰り返していた押し問答とは全く意味が違うけれど、私はなぜか彼女に弱みを見せるのは悔しいと思っている。
「孝平は私にそんなことは期待していないと思うのだけれど」
今は照れもなく言えるようになった彼の名を出してみる。それだけで、私の心は暖かくなる。
「う~ん、どうかしらね? 年に一度のバレンタインデーですもの。支倉君だって気にしてないなんてことはないと思うわよ」
クラスメイトの男子達は、この日が近づくにつれて妙に殺気立ってきているような雰囲気だけれど。孝平と、彼といつも連んでいるような八幡平君は、興味なさそうな顔をしているのだ。
だから、バレンタインのバの字もおくびにも出さない孝平は、私がそういうことを考えているとは想像もできていないのかもしれないなんて思ってしまうのだ。
それは、少し悔しい。
その、私だって、彼の恋人なのだ。
周りの子たちの真似をするのが正しいというわけではないけれど、せめて人並みに彼と付き合っていきたいと思う気持ちは間違っていないと思う。
孝平と過ごす毎日は、今まで感じたことのない驚きと楽しみと幸せに満ちていて、けれどこの安らぎは私ばかりが与えられているように思えてしまって。だからせめて私の方からも何かしてあげたいと思うのだ。
それがバレンタインというイベントに乗じた人並みな贈り物だとしても、今までの私には考えも付かなかった行為なのだから。
この気持ちを、孝平に伝える方法はきっとこれからいくらでも思いついていくのだろう。だから、これは、その第一歩。
「私がこんなことをするのは、迷惑かしら?」
「まさか。それこそ、彼氏冥利に尽きるってものじゃないかしら? 紅瀬さんみたいな彼女からチョコレートを贈られるなんて、今までなかったでしょうから」
くすりと笑みをこぼしながら千堂さんがそんなことを言う。
それは、事実なのだけれど、私には似合わないことをしていると言われているようで、ちょっとやり返したくなってしまう
「そういう千堂さんは贈る相手はいるのかしら?」
あなたの方は逆に人気がありすぎて贔屓ができないから苦労しそうよね。
「私は特定の誰かにチョコレートをあげるなんてしないわね。あ、でも、生徒会役員のみんなには日頃の感謝の気持ちくらいは贈るわよ」
役員の中には孝平も含まれているのに。
「あ、大丈夫大丈夫。支倉君に誤解されるようなものはあげないわよ。そんな怖い顔しないで、紅瀬さん」
え?
思わず自分の頬に手を当ててみる。
「なんだか、こんな紅瀬さんは珍しいわよね。……本当に支倉君が好きなんだ」
「そうよ、悪い?」
「いえいえ、ごちそうさま。馬に蹴られるのは嫌だから、支倉君にあげるのは止めておこうかしら」
馬に蹴られたくらいで死にはしないくせに。
千堂さんとこんな話を普通にするようになるなんて、思ってもいなかったのだけれど、嫌ではない。ことあるごとに、彼女が私を冷やかすのは、今までの仕返しのつもりなんだと無理矢理自分を納得させれば、平静を装って受け流すことはできるし。
「そうしてもらえると、私が孝平から取り上げる手間が省けるから助かるわね」
だから、私もこうやってちょっとした冗句を返してみる。
「あら、怖い」
「ええ、それはもう。馬に蹴られるよりもっと痛い蹴りがお好み?」
「謹んで遠慮させていただきます」
こんな軽口の応酬、必要がなければ他人と言葉を交わすこと自体をすることもなかった自分とは思えない。
そして、無駄と思っていた行為を繰り返す毎日を、私はどんどん気に入ってきているのだ。
「……でも、紅瀬さん。あなた、お菓子とか作らないでしょう?」
ひとしきり、笑いをこぼしていた彼女が、本題とばかりに訊いてくる。
「ええ。こんな時、手作りが喜ばれるというのは私でも分かるけれど」
そもそも、経験がない。ひと並の食事はともかくとして、自分で楽しむためのお菓子の類を自分で作った記憶など思い出そうとしてもすぐには浮かんでは来ない。
「そうよね。けれど、手作りチョコレートって思ったより手間もかかるし、今からだとちょっと難しいんじゃないかしら?」
柳眉を下げ、千堂さんが言う。自分のことでもないのに、なんだか真剣に悩んでくれているようで、有り難いのだけれど少し申し訳なくも思ってしまう。
「……そう。そうよね」
駄目で元々の相談だったけれど、色好い答えでないことに少なからぬ落胆を感じてしまう。やっぱり、思いつきで何かをするというのは私には向いていないのだろうか。
「簡単に何とかできると思っていた私の方がどうかしていたってことでしょうね」
「そんなこと……」
「いえ、有り難う千堂さん。残念だけれど、今回は市販品で我慢するしかないみたいね」
せめて、彼の好みに合うような美味しいものを厳選し、精一杯の気持ちで贈ろう。
私は彼に秘密で外出するための理由を考えつつ、そんなことを決意する。
「それじゃあ、私も一緒に付き合っても良いわよね。どうせ週末に街へ行こうって腹づもりでしょ? 女同士の買い物ってことにすれば、少しは誤魔化しが利くんじゃないかしら?」
もっとも時期が時期だけバレバレな気もするけれど、と千堂さんが言う。しかし、彼女の提案自体は私にとっては渡りに船だ。
「ふふふ、そうと決まったら溜まってるお仕事なんてぱぱっとやっつけちゃいましょう! あ、支倉君の分もちゃんと残しておいてね。支倉君にばかり良い思いさせるのは、ちょっと癪だしね」
その発言は孝平には聞かせられないな。そんな風に思いながらも、私は机に積み上げられた書類の束を決意を持って見据える。不思議と無理だとは感じない。やるべきことが決まれば、あとは確実完璧をもって仕上げるだけだ。
「だけど、その前に」
こほん、とわざとらしい咳払い。
「いるんでしょ、兄さん」
入口に向かって千堂さんが声をかける。
「いやー、バレていないと思ったんだけど、なかなか鋭いじゃないか、瑛里華」
すると、悪びれもなく相変わらずの気障な笑みと口調で、前会長の千堂先輩が現れる。
「一体何の用? 見ての通り兄さんの相手をしているほど私たちも暇じゃないの」
「う~ん、特段用事があるって訳じゃないんだけどね。なにやら美味しそうな匂いがしたからついふらっと寄ってみただけだよ」
とぼけた様子で言う千堂先輩。
このひとの言葉を額面通りに受け取っていいはずがないというのは、私も嫌というほど思い知らされている。
もう、この学院の卒業も間近だというのに、まだ騒動を起こし足りないのかしら? ……多分、その通りね。
「こらこら、いおりん。そんな下手な言い訳で誰が納得するのかなあ?」
彼の背後から小柄な
「やあ、悠木姉。こんなところで奇遇だね」
「いおりんこそ」
彼らの掛け合い漫才に関わっている暇はないので、私は仕事に専念することにする。
私が下手に彼らに手を出すよりは、扱いの慣れている千堂さんに任せた方が得策だろうし。
書類を一枚一枚検分し、優先度の高いものから処理していく。私は主に事務系の仕事をやっていて、渉外は専門外なので、そういった必要性のあるものは、あとでまとめて孝平か千堂さんに任せればいいだろう。
ともかく、この山を崩さない限り週末に休みを取ることなど望めそうもない。
今は私ができることをして、少しでもこの山を崩しておくべきだろう。
外野がなにやら言い合っている気がするけれど、私に関係がないのならそれは雑音に等しい。集中の度合いが増すにつれ、声は意味をなさなくなり、雑音以下となる。
どれくらいの時間が経ったのか。
「良し、それじゃ鍋しかないね!」
という、悠木先輩の訳の分からない言葉が耳に届いて、顔を上げ室内を見渡すと、ため息混じりに肩を落とす千堂さん、面白い遊びを見つけた子どものような満面の笑みの千堂先輩、むやみやたらと張り切って腕を振り上げる悠木先輩という、奇妙な三人の姿があった。
「?」
疑問の視線を千堂さんに向かわせる。
ごめん、と彼女が申し訳なさそうに言葉なく詫びた気がした。
「?」
やはり、私には合点がいかず、けれどその答えを知ることになるのは、私たちが必死に仕事を片付けて、週末に一日かけてあれだこれだと喧々囂々の議論の末に品定めを済ませ、ようやく迎えたバレンタイン当日の夜になってのことだった。
異様。あるいは混沌。
私にはそうとしか見えない。
これは、ありなのだろうか? これは、ある意味、チョコレートへの冒涜ではないのだろうか?
甘ったるい香りの充満する孝平の部屋。
鍋とチョコレート。その二つが作り上げた奇妙なお菓子? がそこにあった。
「じゃーん! ひなちゃん特製のチョコレートフォンデュー!」
孝平の部屋で不定期に催されている「お茶会」に、私も呼ばれていた。大人数での和気藹々とした語らいとは、私はまだ縁遠い気がするので普段は遠慮していたのだけれど、今日はどうしてもと言う悠木先輩と、なぜか千堂さんの誘いで私も参加していた。
「え? 何、これ?」
「鍋?」
呆然とテーブルの上に展開する、予想を超えた惨状を目にして「準備ができるまで男子は退室ー」と追い出されていた孝平と八幡平君がそれぞれの疑問を口にした。
「鍋じゃないよ。チョ・コ・フォ・ン・デュ!」
悠木先輩は、この光景に満足げに何度もうなずき、創造主であるはずの妹の悠木さんは本当に申し訳なさそうに目をつむって俯いている。生け贄として捧げられたチョコレートの提供者である千堂さんと東儀さんに至っては、言葉を失っているとしか思えない。最初に止めようとしたのは誰だったのか忘れてしまったけれど、聞く耳持たない悠木先輩はあれよあれよという間に、彼女たちの持ってきたチョコレートを魔女の釜──もといフォンデュ鍋(鉄人仕様)に投げ込んでしまったのだ。
「あ、あはは。ごめんね、孝平君。せっかくちゃんとしたものを用意しようとしたんだけれど、お姉ちゃんがどうしてもって聞かなくて」
さすがに、沈黙に絶えきれなくなったのか、悠木さんがそんなことを言った。
「いや、『バレンタインパーティーだ!』ってかなでさんが言うから、一体どんなことになるかと思っていたが」
「ああ、これは、さすがに予想の斜め上だ」
孝平も多少の期待はあったみたいだ。けれど、私だって、しっかり彼のための唯一のものを用意してきたのだ。それを渡して喜んでもらおうと思った矢先にこの仕打ちは一体何なのだろう?
私の持ってきたチョコレートは、不幸中の幸いで、彼のベッドの下に隠れているのだけれど。ただ、私がチョコレートを持ってきたかどうかを深く追求されなかったのは、ちょっと気になるところではある。
思い思いの場所に陣取り、お茶会の用意をしていた皆を手持ちぶさたに見ているだけだった私を、無理矢理に孝平のベッドに腰掛けさせてくれた千堂さんの先見の明に感謝した方がいいのだろうか? けれど、彼女もこの事態を予期していた節があるので共犯だったのかもしれない。さすがに、それぞれが選んで持ち寄ったチョコレートが、こんな仕打ちを受けるなんて予想もできなかったのだろうけれど。
……それにしても、孝平のベッドの上というのは、少し落ち着かない。
ふたりきりなら、特に気にすることもないのだけれど、今日みたいに友人たちが集まっている部屋で、毎日のようにとは言い過ぎだけれど、彼としている行為の後ろめたさを感じてしまって、ほんの少しだけ頬の火照りを覚えてしまう。
内心の羞恥を可能な限り押し殺して、表面上は平静を繕って。
けれど、この鍋を、私たちは一体どうしようというのだろう。
「さあさあ、日頃のわたしたちからの感謝の気持ちだよ!」
「まぁ、こうなってしまったのは仕方ないけれど、私と白の持ってきたチョコもちゃんと入っているんだから、しっかり味わってね」
「は、はい。先輩方のお口に合うか分かりませんが、一生懸命選んできました!」
「あ、ああ、ありがと、白ちゃん」
「闇鍋ならぬ闇チョコフォンデュ……か」
「あ、味見はしてあるからね、ちゃんと。食べられないってことはないから、安心してね」
「食べられる」ことは保証してくれるが、その味にまで言及していないのが悠木さんらしくない。
味覚の鈍い私や千堂さんはともかく、他のひとたちは大丈夫なのだろうか。チョコレートとはいえ、量が量だ。過剰摂取は身体に良くない。
私はこの甘い匂いだけで、酔ってしまいそう。こんな強烈な甘さというのは初めてだ。まさに未知の領域。これを食して果たして大丈夫なのかどうか。
「はい、じゃあ、フルーツもたっぷりあるから。どうぞ、召し上がれ」
何か吹っ切れたような笑顔でいくつかのボウルに山と盛られた様々な果物を並べる悠木さんの姿に、私は言いようのない戦慄を覚える。
私が用意したチョコレートを一番最初に味わってもらえないのは残念だけれど。まずは、孝平たちにはこのデザートを片付けてもらわないとならないみたい。
頑張って、と。
私も皆が作ってくれたこの場の空気を楽しいと感じ始めたのか、少しだけ悪戯な気持ちで、孝平を応援した。
「うー、口の中の甘さが取れる気がしない」
阿鼻叫喚さながらのチョコレートフォンデュ戦が終わって小半時。
渋めに入れた和茶を何杯もおかわりしながら、孝平がうめくように言葉を漏らした。
他の皆は片付けが終わった後、一足先にそれぞれの自室に帰ったが、私はこうやって駄目になってしまった孝平の面倒を見ている。
普段はしっかりしていてるくせに、今日みたいに皆で盛り上がるようなときは自分から貧乏くじを引いてしまう孝平。他のひとが気持ちよく同じ時間を過ごせるために、彼が自然に身につけた処世術の一つなのかもしれないけれど、度が過ぎてしまわないか私の方が心配になってしまう。
他人に無関心だった私が、こんなに孝平のことを気にかけている。
少し前の自分だったら、想像もしていなかったような変化だ。
ひとりでいた長い時間は、私の中で楽しいと感じる気持ちも薄れさせていたけれど、孝平と想いを通わせるようになってからの毎日は、そんなことがまるで嘘だったかのような快哉に満ちている。
少しだけ他のひととの会話が苦にならなくなった。
少しだけ自然に笑うことができるようになった。
こんな毎日の積み重ねが、きっと私と孝平の未来に広がっているのだと思うと、それはとても素敵なことに思えてしまう。
「馬鹿ね。無理をしてお腹を壊しては元も子もないわ」
だからこんな風に軽口で彼を窘め。
「でもなー。みんなが楽しんでると自分も嬉しくなるだろ。無理はいけないなんて頭の良いことを言ってる場合じゃないさ」
彼もそれに答えてくれる。
ただそれだけで、こんなに心地好い。
……さて。
孝平から言質ももらったことだし、その言葉通りもう少し頑張ってもらおう。
私の気持ちを受け取ってもらおう。
「それじゃ、これも食べてもらえるわよね?」
「え? ……あ」
孝平、その顔は何かしら?
まさか、私がこうすることを少しも予想をしていなかったなんて言わないわよね?
「桐葉、これって」
どこからともなく取り出したかのように見えたのだろうか? そんな不思議そうな顔をしないで、早く受け取ってほしい。こうやって待っているのはなんだか恥ずかしい。
「ありがとう。桐葉、そんな素振り少しも見せなかったから、バレンタインになんて興味ないと思っていた」
「……馬鹿ね」
本当に、馬鹿なひとだ。
自分の気持ちはどこまでもまっすぐに私にぶつけてくるくせに、私からの気持ちを受け取るという心構えがなっていない。
彼の想いは心地好い。それこそ、何時までも、何処までも、溺れてしまっても構わないと思うくらいに。
だから、彼にもこの想いを感じてほしいと思う。
私だって、孝平のことを大切に想っている。誰よりも愛しく思っている。何時だって一緒にいたい、何処でだって触れ合っていたいのだと。
「食べて。口直しくらいにはなるから」
私からのプレゼントは、だから、少しだけ意地悪だ。
私ばかりを甘えさせては困ってしまうから。
こんなお返しがあっても良いでしょう?
「うわ、苦っ!」
顔をしかめて、責めるような顔で私を見る孝平。
いい気味。けれど、その表情が普段の彼からはずいぶんと幼く見えてしまって、不覚にも可愛いと思ってしまった。
「言ったでしょ、口直しだって」
「……にしてもこれは」
「私は美味しいと思ったわよ」
「まぁ、独特の味わいだな」
文字通りの苦笑いで、孝平が言った。
「こりゃ、来月のお返しは気合いを入れないといけないな」
「あら、別にいいわよ、お返しなんて」
「俺の気が済まない」
すぐに考えの読めてしまう、分かりやすい表情で言われても。
また、少し、困らせたくなってしまう。
「そう。それじゃ」
いいえ、きっと彼は私の言葉を聞いても、叶えようとしてくれるだろう。
「孝平の全部が欲しい、と言ったら?」
こんな、子供じみた我が儘だって、きっと。
「あ~、それは無理」
「え?」
予想外の孝平の言葉に、一瞬私は自分の耳を疑ってしまった。
孝平、今、何て?
「違う違う、誤解するな」
私の表情を見ると、彼が慌てて言葉を繋ぐ。
「駄目だって、全部なんて無理無理」
「孝平?」
「桐葉には、俺の一生分を受け取ってもらわなきゃならないんだ。そんな一日かそこらで俺の全部を受け取ったなんて、思ってもらっちゃ困る」
予想外だ。
これは、完全に不意打ちだ。
私が、彼を困らせようとして言った我が儘を、もっと大きな我が儘で返されるなんて。
そんなこと、私が断れるはずなんてない。
「だから、毎日受け取ってくれ。俺の想いは安くなんてないぞ? 甘いかもしれないし、苦いかもしれない。辛かったり、塩っぱいことだってきっとある。でも、俺が贈りたいと思うのは桐葉だけだから。受け取って欲しいと思うのは桐葉だけだから」
それでも、受け取ってくれるか?
そんな言葉、私は頷くことしかできないではないか。
彼は強い。
私と同じ時間を過ごすということの意味を、真に理解していないのかもしれない。けれど、彼の気持ちはどこまでも嘘がない。きっと、本当に一生をかけて私に想いを注いでくれる、その決意だけは疑いようがない。
馬鹿。
馬鹿で馬鹿で、本当に馬鹿。
ならば、覚悟を決めてもらおう。契約をしよう。約束をしよう。絆を結ぼう。
「孝平、もう一つ口直しは要るかしら?」
「ん? まだあるのか、もう苦いのは勘……んっ!?」
彼の唇を私は自分の唇で塞ぐ。
彼に贈ったチョコレートの苦みは、私の舌ではほとんど味わえないけれど。
柔らかな唇の感触に、私の理性が蕩けていく。
軽く開いている彼の唇に、私は自分から舌を差し入れ、彼の舌をねぶる。
驚いていた彼が私に応じるように舌を貪り、唾液の交換をし、互いに嚥下する。飲みきれなかった唾液が口端を伝い、だらしなく糸を引くけれど、そんなことはお構いなしに、私たちは互いの舌を夢中に求め合う。
「んっ……! んぁ……。ちゅ……くちゅっ」
互いの唇を貪る湿っぽい音が、私の耳朶を叩く。その音に私は高まり、もっともっとと彼を求めていく。
甘い口づけは何度しても飽きることなどない。
彼が言ってくれたように、今日の彼を全部もらおう。
今日の私を全部あげよう。
そうして、明日も、明後日も、ずっとずっと彼を愛し愛されていきたいと願う。
「孝平、約束は守って?」
長い口づけと、興奮に高まった身体の火照りとで、知らず呼吸が荒くなる。
「何とも甘い口直しだな」
「でしょう? だから、もっと味わって」
「……分かった」
私を安心させるかのような優しい笑顔を浮かべて、今度は孝平から唇を重ねてきた。
何度も何度でも私はこの唇を捧げよう。
身も心も蕩けさせる彼との交わりに、私ももっと溺れていこう。
明日も、明後日も、ずっとずっと、この愛おしい気持ちを与え合うために。
コメント
コメント一覧 (2件)
カワイイぞー!!、桐葉。
かわいいを通り越して愛おしい。もはや俺の桐葉への愛は他人のSSですら号泣してしまうレベル…何回も桐葉を捜してしまう、愛してるよ桐葉ぁぁぁぁぁ!!!!