だけど、それじゃ駄目なんだ。僕一人の力じゃ今までだってなにもできなかった。操緒や嵩月、朱浬さんやアニア、樋口や杏、それに佐伯会長たち――部長もだ。みんながいたから、なんとかやってこれたんだ。だから、“神”だってきっと倒せる。僕にはなんの力もないけど、それでも誰も犠牲にしないで世界を救う方法を絶対にあるはずだから――。
新たな
[tegaki font=”dfgot_p.ttc” color=”DimGray” strokecolor1=”Gainsboro” strokesize1=”4″]螺旋を描き、ときは巡る、せかいは巡る[/tegaki]
科學部の部長でもあり、“神”打倒という目的は同じながらも、まったく異なる手段でもってそれを成そうとする炫塔貴也は、智春が抱いたような世界に生きるひとびとへの想いよりも、自らの願いへと天秤を傾け、そのために孤独で、他者からはただただ憎しみを向けられるような戦いを選択しました。結果として、彼は戦いに敗れ、その目的は智春へと譲らざるを得なくなるのですが、単体の戦力においては智春たちを優にしのぐはずの彼が、そんな敗北を喫しなければならなかった理由は、作中にも描かれ、智春自身が語っているように、自分だけで戦おうとしたからだったんでしょうね。悪魔の力と機巧魔神の力の両方を備えた魔神相剋者といえども、たった一人で世界を救おうなんていうのは傲慢。大事の前の小事としてあらゆるものを犠牲にし世界をやりなおすことで目的を達しようとした彼と、今ある世界を救い皆を救ってなお目的を達することを選んだ智春。覚悟の違いというか、ふたりの想いの向け方が、そのまま両者に力を貸すひとびとの戦いに直結していたような流れでしたね。
物語のクライマックスらしく、これまでの登場人物各個に見せ場を持たせつつ、定められた結末へとまっすぐに進んでいったような印象。ただ、見せ場を派手に描くことなく、それぞれが自らに定めた役割を淡々とこなすような各シーンは、やや駆け足気味な印象を覚えたりしました。対立していた塔貴也との戦いもあっさりした決着を見たし、ラスボスの“神”に至っては思った以上にあっけなく退場したような。あの巨大な存在を、あれだけで退けられたというのは少々疑問が残るのですが、それはまた別の語られ方をしたりするのかな。
エピローグもそれを汲んでか説明不足なのか意図的なのか、謎を抱えたまま完結したような感じが。智春の妹の和葉が、鳴桜邸へとやってくるという、役者を変えてまた1巻に戻るような流れ。彼女の前に現れた奏が手渡すトランクの中身が何なのかも気になりますが、そもそも智春たちのあの後が不明なのでもやもやする思いです。
奏が残され、智春と操緒がともに行方知れずというのは、奏にとっては皮肉な結末にも思えますね。せっかく結ばれたのに、その想いは未だ宙ぶらりん、逆に操緒の方は、かつてその身を捧げ智春の命を救い、そして今度はともに世界を救った。そして、最後の戦いの直前に彼の心に浮かんだ世界を救う以上に大切な操緒を救うという目的。それが結局叶ったのか叶わなかったのか、この奇妙な形になってしまった3人の関係の行方とともに気になることこの上ないですね。
救われ続いていくこの世界では、きっとまた様々な物語が紡がれていくのでしょう。そんな中に、彼らが幸せを得られたという、そんな片鱗でも感じられるような暖かなエピソードを、また読むことができるなら、うれしいですよね。
hReview by ゆーいち , 2009/11/22
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コメント
コメント一覧 (3件)
主人公の名前がC3と混じってますよ~。
あやや、お恥ずかしい。
修正しました。
はじめまして。こちらに書き込むのは初めてです。
シリーズを通して読むと、佐伯兄はキリスト教の負の一面を表す人物としての印象がありました。あと、第一生徒会が本来あるべき姿に戻った巻でもありました。