振り向かずにいられるだろうか。俺はもう一度問い直すことができるだろうか。人生はいつだって取り返しがつかない。まちがえてしまった答えはきっとそのまま。それを覆すなら、新たな答えを導き出すほかない。だから、もう一度、問い直そう。正しい答えを知るために。
さすが八幡! 俺達に出来ないことを平然とやってのけるッ! そこにシビれる! あこがれるゥ!
や、なんか登場人物たちは八幡の行動に共感はできないけれど、一定の評価は絶対してると思うんですよね。彼と交流を持つ数少ない登場人物たち。雪乃さん、結衣、平塚先生、そして葉山に陽乃さん。まぁ、陽乃さんはまだ本心がはっきりとは明かされてないし、手のひらで転がされてる部分も多少はあるんだろうけれど、同級生たちや、先生は彼の間違ったことに我慢がならない性質、それ自体は決して嫌っていないんじゃないかと思えるんです。その方法は、一般の常識からすると多分に間違っていて、自分だけが貧乏くじを引く痛々しいものなんだけれど、八幡自身はそれを分かって受け入れてるようなフシがありますね。多数のための最小数の犠牲。周囲から孤立し、グループから乖離している自分が、悪者になることで結果としてばらばらだった集団を一致団結させ、表向きの成功に導く。ああ、もう、こいつは本当にぼっちを極めようとしているのですね。それが、彼を気にかけている人たちにとって、自分の心が傷付くのと同じくらいの痛みを受けているかもしれないことを、知っていながらも完全に理解できていない、彼もまた不完全な存在であるがゆえに。
学校行事でも最大のイベントの一つである文化祭の役員を押しつけられ、微妙にぎくしゃくしている雪乃さんと冷却期間をおくこともできなかった八幡。雪乃さんの方も、妙に今までとは様子が変わっていて、夏休みの間に何があったのかが激しく気になります。奉仕部の活動も休止すると言っておきながら、文化祭実行委員長に立候補しておきながら他人に頼る態度を改めない相模さんの尻ぬぐいを引き受けオーバーワーク。今までの彼女の理念とはかけ離れた行動に、八幡や結衣ならずとも疑問符が浮かびますね。以前から言われていた姉の手によって大成功を収めた文化祭があったという事実。それにコンプレックスを感じ、姉の後を追いかけている雪乃さんが必死になって同様に成功させたいというのは理屈では分かりますが、手段がよろしくない。そもそも、雪乃さんの手法と陽乃さんの手法が異なっているのは間違いなくて、陽乃さんの真似をするばかりの彼女が、対人関係においてはその真似が上手くできない。結局、自分が仕事を抱え込んでこなすことでしか、進展させられないのなら、葉山でなくても破綻するのはそのうち分かったことでしょうね。八幡が、それを分かっていながら、彼女の手助けのために一歩を踏み出せなかったのは、彼の中にわだかまっている疑念と失望、自己嫌悪が枷になっていたのかもしれません。もう、この辺の重苦しい雰囲気は、ほんと、勘弁して下さいよ。こういう重い雰囲気は、こっちまで気が重くなる。
まぁ、前巻から登場して、嫌な奴オーラ全開だった相模さんの自己中無責任ぶりを見ているともう、こいつは敵! としか思えなくなるんですが、学校行事の委員会ってこんな感じだったような気もしますね。トップがある程度いい加減でも、なあなあでなんとか進んでいって、最低限の結果は出して終わる。その裏で働き蟻の役割を押しつけられる人物の苦悩と不満が、このエピソードの中心であるのですが。でも、確かにこれはある意味でリアルな高校生の在り方かも知れませんね。雪乃さんのように事務的に物事を完璧にこなしていくのは、友人関係の延長であるようなイベント実行委員会ではなかなか受け入れられないのかも。彼女が発言する度に空気が凍る。よくやっているつもりで発言しても、そこにはダメ出しが入る。要求する水準の差が、そのまま両者の温度差になって破滅へとゆっくり進んでいく様は見てられませんね。
オーバーワークでダウンという、今までの雪乃さんの姿からは想像できなかった事態から急転していく物語。結衣の信頼、雪乃さんの示そうとするささやかな勇気、そして八幡の覚悟。間違いを正すために、さらなる間違いを犯そうという八幡の孤独な戦いは、あまりに寂しげで、だけどその孤高さが格好良く映ります。
多分、当事者たちには彼は明確な敵にしか見えないんでしょうね。物語全体を俯瞰して、彼が成したことを分かっている読者と、その行動がもたらした結果と彼の性格を理解していた一部の人たちだけが、彼が行った破滅的な行動を勝算はせずとも許そうとするのでしょう。
リア充代表格で対極の位置にいる葉山は言います「どうして、そんなやり方しかできないんだ」と。それは非難と、もしかしたら羨みの感情が隠れてはいないのでしょうか? 自分ではできなかった方法、あるいは、思いついても実行するためにはあまりに失うものが大きくためらってしまうような方法。キャンプ場での一件から、葉山は八幡のことを、ヒキタニではなく正しく比企谷と呼んでいます。明確に呼称が代わったことは、彼が八幡のことを善し悪しは別にして認めていることの証なのではないかと思います。現在と過去の雪乃さんの、もしかしたら最も身近な他人というポジションにいるかも知れない両者。葉山が過去に成し得なかったことを、現在の八幡が成そうとしている、その予感が彼の中にあるのでしょうか。一般論からしたら、常に正しい側にいるはずの葉山が、間違っているはずの八幡に、結果的に正しい答えを与えられてしまう。本人がその正しさの中にいないとしても、自分を除いた世界の中により良い答えをもたらすその行為を、彼はどう感じているのでしょう?
一方での雪乃さん。頑なに変わることを拒絶している八幡とは異なり、彼女は少しずつ変わろうとしているように見えます。誰かに頼ることを良しとしないような冷たさが少しずつ薄れていってるような雰囲気ですね。結衣の猛烈なアピールと、心底案じるその気持ちの偽りのなさ。高校生活で始めてできたかも知れない親友を、ようやく受け入れる覚悟ができたのかも知れませんね。一線を引いていたとしても、覚悟を持って踏み越えてくる結衣の行動は、彼女のアホさ由来なだけではなく、本当に彼女が雪乃さんを、そして八幡を大事に思っているからだというのが、伝わってくるようです。相手が近づいて来てくれないのなら、自分から近づくという結衣の宣言。それは、距離を置いて逃げることに比べればどれだけ勇気の要ることか。八幡に告げ、逃がさないと暗に伝えようとするような彼女の行動は、打算的にも見え、けれどそれ以上に自分の想いに純粋に従う言葉として響きます。
最低なやり方で事態を収集し、雨降って地固まる、だけど、自分は泥まみれな状態に自ら飛び込んだ八幡。彼にとっては、それだってさしたる痛痒ではないのでしょう。今までと変わらない、ぼっちを貫けば多分耐えられる空気。けれど、彼は決して一人じゃないと、まだ分かっていないんでしょうね。雪乃さんに、結衣に、平塚先生に他の雄二と呼べるかも知れない人たち。奉仕部を通じて繋がった人たちと、本当に知り合ったとき、八幡もまた変わる……変えられていくんでしょうね。それを彼が望むのか望まないのかそのときにならないと分からないですけれど。
八幡が許せなかった雪乃さんの嘘。それを彼はようやく許せたのでしょう。不器用で、本音をはっきりと伝えるには遠回りもいいところだけれど、八幡もまた憧れたままだった「雪ノ下雪乃」の中から、彼女の素顔の一部を受け入れることを自分で決めたのです。自分の理想を押しつけるだけでなく、その在り様を自分の目で見て、認められないことからは目を逸らさないことを。出逢ってから半年。高校生活の中では短くない時間をかけて、ようやくお互いの存在をまっすぐに見つめることができた二人が、この先、少しずつ変わっていくのを予感させる、そんな結末でした。
ああ、この先はなんか三角関係が大変なことになっていきそうな気がするなあ。八幡はまだ雪乃さんと結衣のどちらにも、そういう感情を抱くことを自制していそうな感じですが。女の子は踏み込んでくる気満々ですよ? この先、もっと波乱が待ってそう!
hReview by ゆーいち , 2013/02/19
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