わたしは、何度この夜を迎えようと、おまえを選ぶ。おまえを手に入れること、おまえとともに生きることを選ぶ。何度でも。
「真名を思い出したらあいつはもう、クリスじゃなくなる。そうしたら、斬ればいい」定められた刻印の運命によって分かたれたミネルヴァとクリスの最後の戦いの行方、そしてはじまりの獣と終わりの女神が出逢うとき、世界は――。
一大ファンタジー巨編、ついに終幕!
[tegaki]そして運命の輪は閉じる[/tegaki]
ああ、やっぱりこういう結末に至るしかなかったのかという想いです。
たどり着いた結末は、本人たちには納得の上で、望むべくもないひっそりとした幸せなものなのかもしれないけれど、残されていった者たちの心は、大きな傷を得、そしてそれを癒す術もなくきびしい生をまっとうしていくしかないという。
クリストフォロとミネルヴァ。はじまりと終わりの神の力に導かれるまま巡り会い、そして自分たちの心で惹かれあったふたり。お互いへの想いが、神による運命でなく、自分たちが望んだことであるかどうか、それを疑うこともなく、ふたりは再び巡り会い、戦い、そして今度は別の結末にたどり着きました。この物語を通じて、お互いを分かり合ってきたからこそ選べた選択、生へ執着でなく、ふたりで在ることをちっぽけな永遠に託したかのような結末。それを知ることは、おそらくシルヴィアをはじめとした作中のひとびとの誰もが知るはずもなく、読者の解釈にゆだねられているのがやるせなくなりますね。
本当に、幸せになってほしかったんですよ。この作品の所々で見られた、クリスのまっすぐな言葉に、真っ赤になるミネルヴァとか。不器用ながらも想いを通い合わせて、少しずつ幸せな歩を進めていくふたりの姿が見たかったんですよ。巻が進むにつれ、そんな甘い未来なんて想像できないくらいに過酷な道が目の前に開けていて、命を失くすかもしれない、そんな不安が現実になるのを見ながらでも、この結末ではない未来を見てみたかったんですよね。それが叶わぬ夢であっても、おそらくはフランチェスカやジルベルト、パオラや銀卵騎士団で彼らとの絆を深めたひとたちは、そう思っているんじゃないんでしょうかね。これからも続く戦いの中、そうやってほかの誰かを思い出す余裕などなかったとしても、つかの間の安息の中で、ここにいない誰かを思う、その時に浮かぶのはきっとクリスやミネルヴァの姿なのでしょうから。だから、切ない。生ききった満足のいく終幕だと理解しても悲しさは残ってしまいますね。
けれど、むしろ苦しいのは、残されたひとびとなのだとも思います。生き地獄ということばが適切かどうかはともかく、自らの命に結末を刻んだものたちとは別に、これからも生きていかなければならないものたちには、未来を作るという仕事が残っているのですから。目的を遂げ、傷だらけで掴んだ玉座に座ることもなく戦いを続けるしかないフランチェスカも、力を失くし屋台骨さえ揺らぎかねない聖王国の女王となったシルヴィアも、彼女に使えるジュリオも、運命が彼らを天に召すまでは、その生をまっとうするという重荷が課せられているのだから。
そして、それがもっとも過酷であろう人物が、カーラ先生でしょうね。自身に互する人間を探し続け育て続け、ようやく願いが叶うかと思われた瞬間に突き付けられた彼女の未来のすべて。自分の命を絶つという選択もできなそうな彼女は、目的を失ったこれから先、どのような人生を送っていくのでしょうか。神の力によらず、己の力だけで最強であり続けた彼女は、けれど、神の力によって悟らされた己の未来に戦いを挑むことさえできないくらいに打ちのめされてしまったのはどうしようもない皮肉ですね。
戦い抜いたものは、それが神に定められた運命なのか、自らが選び取った結末なのか、わからずともある種の満足を抱いて逝ったように思います。そして、これからも生き続けるものたちは、神々の息吹の残る世界で、人間として戦い続けていかなければなりません。神の力は奇蹟を呼ぶけれど、その奇蹟が必ずしも希望に繋がらないというのは悲劇ですね。奇蹟と絶望にまみれた世界は、これからも続いていくのでしょう。
そんな世界にひっそりと、寄り添うように咲いた二輪の花の美しさは、だからこそ心に残ります。いつか、どこかで、再会という奇蹟を生む予兆だとも思えるので。
hReview by ゆーいち , 2012/01/28
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