春風にのせて

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春風にのせて

 変わらない日常。
変わらない風景。
変わらないあなたの笑顔。
そして、少しずつ移ろいゆく季節……。
――また、春が来たね、浩之ちゃん。

§

厳しかった寒さもだんだんと和らいで、雲間から顔をのぞかせる太陽の陽射しに暖かさが混じり始めてきたね。
最近は雪解けの道を一緒に歩くのが私の楽しみなんだ。
ついつい楽しくてはしゃいじゃうから、浩之ちゃんに呆れ顔で『子共みたいなマネするなよ、恥ずかしい』なんて言われちゃったけどね。
浩之ちゃん、気付いてた?
隣を歩く浩之ちゃんに気付かれないように、ちらりと横顔を伺いながら心の中で問いかける私。
楽しかった高校二年生の生活も残りは数えるくらい。
最後の最後に期末テストがあるのはやっぱり憂鬱だけど、それを乗り切っちゃえば春休みを迎えるだけだし。
浩之ちゃんじゃないけど、やっぱり私もうきうきしちゃうな。
南の空に高く昇ったお陽さまが、白い雲に隠れて足元に落ちる影の形が少しぼやける。
足元で揺れる影を見ながらゆっくりと吐いた息には、もう以前のような白さが失われている。
眩しいくらいのいいお天気。
週末はやっぱりこんな穏やかなお天気がぴったりだよね。
日だまりの中をふたり、並んで歩きながら、浩之ちゃんと過ごしてきた一年を振り返る。
――本当にこの一年はいろんな事があったよね。
一年生の終わり、浩之ちゃんに私の気持ちを分かってほしくて思い切って髪型を変えたこと。
二年生の始業式の日、浩之ちゃんや雅史ちゃんと同じクラスになれてすごく嬉しかったこと。
風邪を引いた私を心配してお見舞いに来てくれたこと。
黄昏の公園で私を見付けてくれたこと。
それから……。
あの日、浩之ちゃんが言ってくれた言葉、今でもはっきりと覚えてるよ。
浩之ちゃんとそれまで過ごしてきた時間の中で、嬉しかったこと、楽しかったこと、数え切れないくらいあるけど、私にはあの言葉が一番嬉しかったんだよ。
ぶっきらぼうで照れ屋さんだから、私があの日のことを話そうとするとするたびに、慌てて話題を変えようとする姿が面白くて、からかっちゃったこともあったね。
でも、あの言葉があったから、きっと今の私たちでいられるんだよね。
あれから始まった私たちふたりだけの大切な時間。
照りつける太陽に汗を流しながら一緒に遊び回った夏休み。
海へ行ったり遊園地へ行ったり、お祭りへ行ったり花火をしたり。数え切れないくらいの楽しい想い出を作れたね。
だんだんと涼しくなっていく風を感じ色づいていく木々の葉を見上げた秋の日々。
運動がちょっと苦手な私だったけど、体育祭でも浩之ちゃんが応援してくれたから頑張れたんだ。浩之ちゃんは、雅史ちゃんと一緒に大活躍してたっけ。私も一生懸命応援した甲斐があったね。
文化祭でもクラスごとの出展を見て回りながら、立ち寄った食堂で言ってくれた『やっぱりあかりの料理が一番だな』って言葉、すごく嬉しかったよ。あれから浩之ちゃんに、もっと美味しく食べてもらえるように、お母さんに色々訊いているの気が付いているかなぁ?
刺すような冷たい木枯らしに吹かれ震えながら歩いた通学路。のしかかるような鈍色の冬の雲。
この冬初めての雪を一緒に見上げられたこと。さらさらと降り積もる粉雪がとっても奇麗で時間が経つのも、頭に雪が積もって白くなっているのも忘れて無心に見上げていたね。
ふたりだけのクリスマス・イブ。志保や雅史ちゃんは何だか遠慮しちゃって前みたいにみんなで騒げなかったのがちょっと寂しかったけれど、浩之ちゃんの側にずっといられたのは嬉しかったよ。
私があげた手編みの手袋、気に入ってくれたみたいで嬉しいな。
浩之ちゃんは『プレゼント何も用意してなくて悪ぃな』なんてバツが悪そうにしてたけど、そんなことないよ。浩之ちゃんと過ごせたイブが、私には何よりのプレゼントだったから。
年が明けて新年の挨拶は私の方からだったね。お母さんに着付けてもらった着物を浩之ちゃんに見せたくて、そのまま浩之ちゃんの家まで行っちゃったよね。
おじさん、おばさんも帰って来てせっかくの家族団らんを邪魔しちゃうんじゃないかって心配だったけど、やっぱり行ってよかったな。
浩之ちゃんにも褒めてもらえたし、おじさん、おばさんも『可愛い』って言ってくれたしね。
あの時おばさんが浩之ちゃんに小声で何か言ってたけど、何だったんだろ?
浩之ちゃん、慌ててごまかしてたみたいだけど、気になるなぁ……。
それから一緒に初詣。
人ごみで逸れないように手を繋いで、浩之ちゃん、何をお祈りしたのかな?
――私と一緒だったらいいな。
バレンタインには毎年あげてたチョコレート、喜んでもらえて良かったな。
これまでは迷惑がられるのが恐くて心の中で心配しながらあげてたんだよ。でも、今年からはそんな心配しなくていいんだよね?
それから少ししたら私のお誕生日で、浩之ちゃんと雅史ちゃんと志保の三人で盛大にお祝いしてくれたね。みんなそれぞれプレゼントを用意してくれ てたのが嬉しくて、思わず泣いちゃったんだよね。涙で滲んだみんなの苦笑に、私も慌ててぎこちない笑顔を作ったんだけど、余計に困らせちゃったみたい。
迷惑掛けちゃってゴメンね。
――でも、あんなに嬉しいお誕生日は初めてだったかもしれないな。
「……り」
――え?
「あかり!」
「え?」
素っ頓狂な声を出して、私を呼ぶ浩之ちゃんを見る。
「何ボーッとしてんだよ……」
苦笑混じりの溜め息をつきながら浩之ちゃんが言った。
やだ……。考え事ばかりしてたから、浩之ちゃんの話、全然耳に入ってなかったみたい。
「あ、ゴ、ゴメンね。ちょっと考え事してたの」
「何考えてたんだか知らないけど、顔にまで出てたぜ」
「――え?」
「嬉しそうに笑って……。もうちょっと周りも気にした方がいいと思うぜ?」
私をからかって面白がる浩之ちゃん。
うぅ、意地悪だよぉ……。
「う、うん」
私はそう言うのが精一杯。
熱く火照った頬を、冷たさの残る春風が優しく撫でていく。
「え、えっと、なんのお話ししてたの?」
「ったく」
「ゴメンね」
「ま、別にいいけどな」
「うん……。ありがとう」
「いいって、いちいちンなことで礼なんて言わなくても」
「うん。――ところでさっきのお話なんだけど……?」
「そうそう」
ぽん、と拳を作った右手で左の手のひらを軽く叩いて、思い出したように浩之ちゃんが言う。
なんだかワザとらしいなぁ……。
そのオーバーな仕草に、小さな笑いをこぼしながら、
「うん」
私は浩之ちゃんの言葉を待つ。
「ちょっとそこらで話してってもいいか?」
「うん」
「――なんだかお前、『うん』ばかりしか言ってないぞ」
「うん……あっ!」
思わず口に手を当てて苦笑い。
浩之ちゃん、呆れ顔で見てる……。
「えへへ……」
「まぁ、いいけどよ。――それじゃ、まだ時間も早いしちょっと公園にでも寄ってくか?」
「うん、そうだね」
そう言って見た浩之ちゃんの視線の先には、幼い頃からたくさんの時間を過ごしたあの公園が見えていた。
――ふぅ……。
公園のベンチに腰をかける。
浩之ちゃんは『ちょっと待ってろ』って言って公園の出口へ駆けて行っちゃったし……。
私は小さく息を吐いて、膝の上に載せていた鞄を脇に置いた。
背もたれに体を預けながら、木々の枝の間を通して目に飛び込んでくる空の青さをじっと見つめる。
「ホラ」
「あ、浩之ちゃん、ありがとう」
浩之ちゃんが公園の近くにある自動販売機で買ってきてくれたココアを受け取りながらお礼を言う私。
ちょっと熱めのスチール缶。
プルタブに人差し指をひっかけて開けると、かっ、という軽い音がした。
ちょっとびくつきながら缶に口を付けココアを一口、口に含むと甘さと香り、そしてその暖かさが体の中に広がっていくのを感じた。
「美味しいね」
「そっか? 別に学校で飲むのと全然変わらないと思うけどな」
言いながら、浩之ちゃんはいつも飲んでいるカフェオレの缶を一息に飲み干した。
「ふふふ、そう言ってるわりには美味しそうに飲んでるよ?」
「まぁな。オレはカフェオレが好きなんだよ」
「――それにしても、毎日飲んでるのによく飽きないね」
私が感心しながら言うと、
「日課みたいなもんだよ。たまたま販売機が混んでて買えなかったりすると調子が狂うんだよな」
小さく苦笑を浮かべてそう言った。
「ふ~ん」
「……なんだよ? その意味ありげな相槌は……」
怪訝な表情で私を伺う浩之ちゃんに、
「ううん、そんなに好きなら毎日のお弁当のお茶もカフェオレに替えようかなぁって」
「――あかり……」
「えっ? な、なに……?」
突然真面目に私を呼んだ浩之ちゃんに、少しどきってしながら返事をする。
「今のもいつもの冗談だよな?」
「え? ち、違うよ……」
そう言い終わる前に、
――ぺしっ
「あっ!?」
「だったらなおさら悪いわ」
――ぺしっ
「あっ!?」
もう一回。
「も、もう……。ひどいよ、浩之ちゃん」
ちゃんと手加減してくれるのは浩之ちゃんらしいけど、いきなりはやっぱり驚くよぉ。
「いくらなんでも弁当にカフェオレは合わないだろうが。――ったく、それくらい分かってるだろ?」
「う、うん」
浩之ちゃんの挙動に注意しながら恐る恐る答える私。
「お前の煎れてくれたお茶だって気に入ってるんだしな」
ふっと優しい光を瞳に浮かべて照れ臭そうにぽつりと呟く浩之ちゃん。
「――え?」
「やっぱりお前の弁当には、お前のお茶が一番合ってるって言ったんだよ」
「またまた、そんなこと言っちゃって」
「ホントだって」
「ありがと。褒めてくれるのは嬉しいけど何も出ないよ?」
「ったく、オレがそんな下心で言ってると思ってんのかよぉ」
ちょっと不満そうに拗ねる浩之ちゃん。
なんだか可愛いなぁ。
「? 何だよ、オレの顔じっと見て」
私の視線がくすぐったいのか、ちょっとぎこちない苦笑で訊く浩之ちゃんに、
「浩之ちゃん、可愛いなぁって思って」
「ばっ……」
言葉をつまらせる浩之ちゃんに、思わず私は吹き出し笑ってしまう。
「バカなこと言ってんじゃねーよ」
「えへへ……」
照れ隠しに頭を掻きながら、私を見つめる浩之ちゃんの優しい眼差し。
私だけが知ってる優しい笑顔。
飲みかけだったココアが熱さを失い始めている。残り少なくなった缶の中身をゆっくりと飲み干してから、ベンチの横に置いてある屑かごに浩之ちゃんのカフェオレの缶と一緒に投げて……、
――カラン・カラン
「あ……」
見事に外れちゃった。
乾いた音を立てて地面に転がった缶ふたつ。
「――ったく、相変わらずそういうの下手だよな~」
見ると意地悪な笑顔の浩之ちゃん。
「も、もう、そんな顔しないでよぉ」
可笑しそうに私を見ながら、表情で私をからかう浩之ちゃんに言う。
「オレのことバカにするからだよ」
「浩之ちゃんだって私のことよくからかうじゃない……」
「オレはいいんだよ。いつものことだからな」
「良くないよ~」
言いながら席を立ち、地面に転がった缶を拾って屑かごに入れ直す。
「最初からそうすりゃ良かったのにな~」
「浩之ちゃんの真似してみたんだけど、やっぱり上手くいかないね」
苦笑しながら言葉を返し、浩之ちゃんの隣りにまた座る。
「はい、ご苦労さん」
言って浩之ちゃんは私の頭をぽん、と軽く手で撫でた。
「あっ……」
浩之ちゃんに触れられるのは慣れてるはずなのにやっぱりドキドキする。
隠そうとしてもきっと顔に出ちゃってるよね。
身体が熱くなるのを感じながら、でも照れ隠しに、
「もう……あんまり子供扱いしないでよ」
「そんなつもりじゃねーんだけどな、イヤだったか?」
「ううん、イヤじゃないけど」
頭を左右に振り浩之ちゃんの言葉を否定する。
「そっか」
「うん」
こくんと一つ頷く私。
地面に落ちた木の枝の影が、風にそよいで揺れている。
ほんのりと若葉が薫り、穏やかな日和はいつになく優しく私たちを包んでくれる。
「でも、ホントにいいお天気だね。もう春だもんね」
「そうだな。これでテストさえなけりゃ文句ないんだけどな~」
「浩之ちゃん、そればっかりだね」
「あかりだってテストなんて好きじゃないだろ? みんなそんなもんさ」
「ふふふ、そうかもね」
テストのことを思い出したのか、ちょっと苦い顔をして答えた浩之ちゃんに、私も苦笑を返す。
「二学期の期末試験がついこの間あったばかりな気がするんだけどな」
「三学期は短いからね。でも、その分、テストの範囲も狭いから少しは楽だよね?」
一緒に勉強した毎日を思い出しながら答える。
辛いと思ったテスト勉強も浩之ちゃんとなら辛くないしね。
「まーな。あとは……」
言葉を途中で切った浩之ちゃんが大きなあくびをした。
「――っと、悪ぃ。あとはテスト中に春の陽気で眠くならなけりゃな……」
ちょっと心配だけどな、と眠そうな目で続けた。
「おっきなあくびだね」
「お前だって、でっかいあくびするぜ?」
「え? ウソ?」
思わず訊き返す私。
――やだ、そんなとこ浩之ちゃんに見られてたのかな……。
「ウソだよ」
あっさりと言う浩之ちゃん。
「可愛いあくびだと思うぜ?」
「…………」
顔を赤くして言葉を失う私。
「そういうとこもな」
「……浩之ちゃん」
熱を帯びた瞳で浩之ちゃんを見る。
時間が止まったような沈黙。
短いような、長いような、時間を忘れてしまうような沈黙。
木々の葉擦れの音が静かに聞こえる中、言葉もなく私は浩之ちゃんを見つめ続けた。
「あかり」
恥ずかしそうに視線を逸らしながら浩之ちゃんが口を開く。
「何?」
頬を熱くしたまま訊き返す私。
「ちょっと眠くなっちまったから一眠りしていいか?」
「え? ここで?」
「ああ。ずいぶん暖かくなったし風邪なんて引かないだろ?」
「うん」
頷く私。
「というわけで肩、貸してくれ」
照れ笑いを浮かべながら浩之ちゃんが言った。
「え……?」
「イヤなら別にいいんだけどな」
「あ、ううん、イヤじゃないよ……」
私はちょっと考えて、
「それだったら、ひざ枕してあげるよ? そっちの方が浩之ちゃんも楽でしょ?」
「ま、まーな」
私のいきなりな申し出に、ちょっとびっくりしたみたい。
「ホントにいいのか?」
遠慮がちに訊く浩之ちゃんに、
「私だって恥ずかしいんだから、あんまり訊かないでよぉ」
――でも、浩之ちゃんが喜んでくれるなら、ね。
胸の中でそっと呟いて浩之ちゃんを見る。
「お、おう。それじゃ……」
浩之ちゃんが寝やすいように、ベンチの一番端まで行って座り直す。
考えてみると、ひざ枕なんてあんまりしてあげたことないなぁ。
私も緊張しちゃうな。
浩之ちゃんの頭が、私のひざに載る感触。
イヤな重さじゃない、心地好い重さが私の両足に感じられた。
浩之ちゃんの髪の毛が、ちょっとくすぐったいかなぁ。
「大丈夫? 辛くない?」
「ああ、ちょうどいいぜ」
「良かった……」
私の顔を見あげる浩之ちゃんと、浩之ちゃんの顔を覗き込む私。
なんだか私も安心できる。
浩之ちゃんがこんな近くに感じられて。
「それじゃ、ちょっと眠らせて貰うぜ。悪ぃな、こんなことに付き合わせちまって」
「ううん、気にしないで」
私は小さく微笑んでから、
「おやすみなさい、浩之ちゃん」
「ああ」
そう言って浩之ちゃんは瞳を閉じた。
浩之ちゃんの身体から力が抜けていく。
優しげな顔で眠りに落ちていく様子を見ながら、私は何気なく浩之ちゃんの頭を右手で軽く撫でた。
程なく規則正しい息遣いが浩之ちゃんの口から漏れる。
気持ち良さそうに眠る浩之ちゃん。
「浩之ちゃん」
帰ってくるのは静かな息遣いだけ。
暖かな陽射しの中、木陰のベンチでふたり。
こんな穏やかな時間がいつまでも続くといいね、浩之ちゃん。
吹き抜ける春風が梢を揺らし、春の匂いをのせてくる。
重みと共に伝わってくる浩之ちゃんの暖かさ。
「…………」
静かな寝息を立てて眠る浩之ちゃんの唇に、私はそっと自分の唇を重ねた。
唇越しに感じた浩之ちゃんの暖かさ。
涙が出るくらい幸せな時間。
「……浩之ちゃん」
もう一度私は浩之ちゃんの名前を呟いた。
暖かな風にのせて感じられる眩しい季節の訪れ。
見上げた雲一つない青空が幸せに滲んで見えた。

――了――

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